(2)想定外の遭遇

 そろそろ物件があるビルだなと郁が思っていると、三好が意外そうな声を上げた。


「あれ? こんな所に珍しいですね」

「え? あ……」

 目指すビルの二つ手前のマンションで立ち止まった三好は、目の前の通路の奥を眺めていた。マンションの壁面と敷地を囲む塀の間には三メートルほどの通路があり、そのまま奥に進むと小さな赤い鳥居が建立されている。更にその奥に小さな社殿があり、両側に赤い小幟も立てられているのを認めた郁は、納得して頷いた。


「そう言えば、お稲荷さんがありましたね。いつも通り過ぎているから、存在自体を忘れていました」

「今は窮屈そうですが、昔はもっと広々とした所に立っていたんでしょうね」

 昔の光景を想像でもしたのか、三好がしみじみとした口調で述べる。それに郁は苦笑気味に告げた。


「確かに、開発する時にここだけ無理矢理残した感じがしますね」

「都会だと結構ありますよね。無理に動かすと祟られたりするから敷地内に残したり、ビルの屋上で奉られているような物が」

「私もそういうのを見たことがあります。こんな所にって、ちょっと驚きますよね」

 そこで三好が、真顔になって懇願してきた。


「新見さん、すみません。ちょっとあそこにお参りしていっても良いですか? お稲荷様は商売繁盛を司る神様ですし」

「ええ、構いませんよ? 私もお付き合いします」

 時間に余裕があり、なんとなく精神的に救いを求めていたこともあって、郁は三好の後に続いて通路を進んだ。そして軽く一礼して鳥居をくぐり、お財布からお賽銭を出して拝む準備をする。鍵がかけられている社殿の中に賽銭箱があり、扉の格子の隙間からお賽銭を静かに入れ、二拝二拍手一拝して神妙に祈りを捧げた。


(ここで見つけて、お参りしたのも何かの縁。風向きが怪しいけど、どうか首尾良く契約が成立しますように)

 その横では三好も何やら真剣な面持ちで頭を下げていたが、郁は少ししてからゆっくりと頭を上げて彼に声をかけた。


「それでは行きましょうか。このすぐ先です」

「はい、お願いします」

 そして二人連れ立って通路を歩き、元の商店街に戻って目的地に向かって歩いて行く。その時、小さな社殿の辺りで、僅かに空気が揺らいだ。


「ほう? これはまた、珍妙な物が……」

 その微かな囁きは、誰の耳にも届いていなかった。



 ※※※



「それではどうぞ、お入りください」

「失礼します」

「入り口横のここは倉庫として使えますし、動線としてはこうなりますね。分電盤はこちらです」

 ビルの一階をほぼ占めている店舗の通用口を解錠した郁は、三好を招き入れて再び施錠してから、早速店舗内の設備や構造について説明を始めた。水回りや電気系統を含めて伝えてから、奥の広いスペースに足を踏み入れる。


「それで、ここが厨房と店舗部分になります」

「はぁ……、調理器具や食器、テーブルや椅子まで完璧に揃っていますね。居抜き物件としても破格の条件だな……」

「直前の借主も、喫茶店として借りていましたから」

「本当に、設備投資費用が少なくて済むのは、この上なく魅力的なのですが……」

 先程聞いた理由が理由なだけに、三好の顔が素直に喜べないものになる。下手に口を挟めない郁が戦々恐々としながら彼の様子を窺っていると、唐突に背後から声が響いてきた。


「そこの男、少々物を尋ねても構わぬか?」

「はい?」

「え?」

 郁は三好と共に、勢いよく背後を振り返った。そこに自分と同年配の男を認めた郁は、狼狽しながらも警告を発する。


「ちょっ、ちょっとあなた、どこの誰よっ!? 通用口はちゃんと施錠したはずなのに、どこからどうやって入ってきたのよ!? ピッキング!? 警察を呼ぶわよ!! 第一、昼日中から変なコスプレしているだなんて、不審者一択よね!?」

「随分と騒々しい女だな。お前には聞いておらん」

 しかし相手は少しばかり不愉快そうな顔つきになっただけで、すぐに三好に視線を向けた。


「おぬし。先程、これを我の社に寄進したであろう?」

 その台詞と共に突き出された五百円玉を見て、三好は怪訝な顔になりながらも頷いた。しかし次の瞬間、ある事実に気がついて声を上ずらせる。


「あ、確かにさっきお稲荷様の賽銭箱に、五百円玉を入れましたが……。え? そうなると、まさか!? あそこの神様ですか!?」

「ああ。それで確認したいことがあったものでな」

 驚愕する三好とは対照的に、相手は落ち着き払って答えた。しかしここで憤慨しきった郁の声が割り込む。


「は? 神様? 馬鹿にしてるの? あそこは狐の神様よ? それに、そんな今時のイケメンの神様なんて、いるわけないでしょう!! それとも何? 今時の新興宗教は、見た目が良い男を厳選して若い女性を勧誘しているわけ!? 本当に闇が深いわね!!」

 それを聞いた三好が、不思議そうに問いを発した。


「新見さん。『イケメン』って、誰のことを言っているんですか?」

「え? ですからこの目の前の、見た目は良いけど胡散臭さ爆裂のこの野郎ですよ!」

 ビシッと音が聞こえそうな勢いで、郁は目の前の男を指さした。それを見た三好の困惑が深まる。


「因みに、新見さんには身長はどれくらいに見えていますか?」

「どれくらいって……、ですから百八十くらいの銀髪ストレートロングのウイッグ……。もしかして三好さんには、そう見えてはいないんですか?」

「その……、私には自分の胸の高さくらいの、小学校高学年程度の女の子のように……。口調と声音が高齢のお年寄りっぽくて、似つかわしくありませんが……」

「…………」

 そこで二人は無言で顔を見合わせ、次いで目の前の人物に視線を戻した。そしてしげしげと眺めてから、ほぼ同時に再度顔を見合わせる。


「だから妙に俯き加減で、変にへりくだっているように見えたんですね」

「申し訳ありません。妙に上から見下ろしているなと思っていました」

「いえ、こちらこそ失礼しました」

 そこで二人は互いに頭を下げ、再び問題の人物に向き直った。



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