きれいごと解体新書

萩原 隆苑

生きてるだけで偉いを疑う

副題:苦しみを消そうとする社会は、人間を壊す


「生きてるだけで偉い」——この言葉が、夜の底で人を救うことがあるのは確かだ。

息が浅くなり、部屋の空気が重く、世界が遠のいていくとき、そこに理屈はいらない。価値の査定もいらない。まずは止血だ。倒れた人間に「立ち上がり方」を講義するのは、優しさではなく刃である。


けれど、この言葉が“常備薬”になる瞬間、別の壊れ方が始まる。


苦しみを消そうとする社会は、人間を壊す。


ここで言う「壊す」とは、叫びを止める代わりに、声帯そのものを鈍らせるような壊し方だ。痛みを消す代わりに、痛みが知らせていた何か——生の緊張、選択の覚悟、欲望の輪郭——まで一緒に薄めてしまう壊し方だ。


痛みは不快だ。だが痛みは、身体や心に備わった鐘でもある。

どこかが折れている。どこかが擦り切れている。どこかが飢えている。

痛みは、世界がこちらに触れた印だ。触れられたから、人は気づく。気づくから、考える。考えるから、選ぶ。選ぶから、人生に輪郭が生まれる。


輪郭がある人生は、固い。だから傷つく。だが同時に、触れる。握れる。守れる。

輪郭が溶けた人生は、やわらかい。だから傷つかないように見える。けれど、守れない。手のひらからすり抜ける。

まるで、石を磨くのをやめて砂になったみたいに。


現代は痛みを消すのが上手い。上手くなりすぎた。

痛みが顔を出す前に、甘い言葉が抱きしめに来る。苦しみが声を出す前に、柔らかな毛布が口を塞ぐ。

「無理しなくていい」「頑張らなくていい」「そのままでいい」。

それらは、必要な人にとっては救命具だ。だが、誰にでも常時配るなら、それは麻酔になる。


麻酔の怖さは、痛みが消えることだけではない。

感覚が消える。

痛みが消えると、なぜ痛かったのかを考えない。考えないと、選ばない。選ばないと、責任を引き受けない。引き受けないと、人生の重さがなくなる。

重さのない人生は、風に飛ぶ。風に飛ぶ人生は、いつも“どこかの誰かの正しさ”に流される。


そうして人は、楽になるかわりに、空っぽになる。

空っぽになった人は、もっと慰めを欲しがる。

慰めが増えるほど、さらに空っぽになる。

静かな循環だ。だから怖い。


Ⅰ|実存主義:選ぶ痛みを避けるほど、人生は他人のものになる


実存主義が突きつけるのは、冷たい事実だ。

人間は世界に投げ出され、自分で意味を作らなければならない。

意味は最初から与えられていない。与えられているように見えるものは、多くが借り物だ。世間の相場、流行の正しさ、誰かの台本。


だから、人は苦しむ。

意味を作るには、選ばなければならないからだ。

選ぶという行為は、切り捨てるという行為でもある。

あれを選ぶなら、これを捨てる。ここへ行くなら、あそこへは行けない。

その痛みが、胸に残る。実存の痛みだ。


だから現代は、選択の痛みを「消す」方向へ走る。

選ばなくていい。決めなくていい。今じゃなくていい。

それは一瞬、優しい。しかし、その優しさが習慣になったとき、人は自分の人生の作者ではなくなる。

舞台の上に立っているのに、脚本を握っていない。セリフを喋っているのに、自分の言葉じゃない。


そのとき訪れる苦しみは、派手ではない。

ただ、じわじわと砂が溜まるような苦しみだ。

「なぜ生きているのか分からない」

「何が欲しいのか分からない」

「何が嫌なのか分からない」

——輪郭が溶けた苦しみ。


実存主義の厳しさは、ここで終わらない。

それでも人は選べ、と言う。

それが人間だ、と言う。

苦しみを避けるな、と言うのではない。苦しみの中で、自分の手で意味を作れ、と言う。


Ⅱ|ロマン主義:痛みは魂の濃度であり、浅さは人を壊す


ロマン主義の側から見ると、現代の「麻酔」は別の罪を持っている。

それは、人間から深さを奪う罪だ。


恋、憧れ、喪失、孤独、夜、破滅、死生観。

こういうものは効率的な幸福とは相容れない。だが、これらを削ぎ落とした人生は、何かが足りない。

あまりにも整いすぎた部屋のように、息が詰まる。

絵の具を薄めすぎて、色が出ない水のように、味がしない。


痛みは、魂の深さと繋がっている。

痛いから、深く感じる。

深く感じるから、世界が濃くなる。

世界が濃くなるから、生は詩になる。


もちろん、痛みを礼賛するのではない。

だが、痛みを“ゼロ”にしようとする社会は、感情の起伏そのものを「ノイズ」にしてしまう。

怒りも、悲しみも、恥も、執念も、全部「いらないもの」にする。

そうすると人は、傷つきにくくなる代わりに、感動しにくくなる。

愛しにくくなる。

信じにくくなる。

つまり、人生が浅くなる。


浅い人生は、強い現実に触れたときに耐えられない。

耐えられないから、また麻酔を求める。

麻酔が増えるほど、さらに浅くなる。

浅さが習慣になると、人間は“深い痛み”ではなく、“薄い空虚”で壊れていく。


Ⅲ|ある作家の美学:言葉ではなく「様式」が人を支える


ここで、名前は出さない。

ただ、ある作家がいた、として語る。

彼は言葉の力を知っていた。けれど、言葉だけで救われることを信用しなかった。

言葉は美しくなれる。理念は高くなれる。だが、それが身体に届かないなら、ただの装飾になる。


彼が執拗に問うたのは、たぶんこういうことだ。

その正しさは、生活に刻まれているか。

その理想は、姿勢に届いているか。

その信念は、行為に変わっているか。


彼にとって、生は“様式”だった。

様式とは、派手なポーズではない。毎日の形だ。

どう起きるか。どう歩くか。どう黙るか。どう耐えるか。どう鍛えるか。

小さな約束を守ること。やると決めたことをやること。手間のかかることを続けること。

その地味な反復が、人間の輪郭を作る。


だから彼は、安易な慰めを疑った。

慰めが悪なのではない。慰めが常備薬になると、輪郭が溶ける。輪郭が溶けた人生は、空気に溶ける。空気に溶けた人生は、誰のものでもなくなる。


そして、ここが彼の匂いだ。

代価を払わずに得た肯定は、所有にならない。

引き受けた痛みだけが、自分の形になる。


Ⅳ|結論:苦しみを消すのではなく、苦しみを選ぶ


だから私は提案したい。

苦しみをゼロにするのではなく、苦しみを選ぶことを。


苦しみには二種類ある。


① 逃げるべき苦しみ:搾取 理不尽 心身を破壊する環境(長期的に削られる場所) 

これは逃げていい。むしろ逃げるべきだ。

② 引き受けるべき苦しみ:鍛錬 責任 創作 挑戦 愛 選択の痛み

こういう「引き受ける痛み」まで消してしまうと、人は空洞になる。

そのために必要なのは、大げさな根性論ではない。

様式だ。小さな反復だ。


身体を動かして現実に戻る(息が上がる場所へ行く)


手間のかかる技術や創作を持つ(すぐ結果が出ないものを選ぶ)


小さな誓いを守る(毎日少しだけ、自分を裏切らない)


それらは地味だが、輪郭を守る。

輪郭が守られた人間は、慰めの言葉に溺れない。慰めが必要な夜を越えて、翌朝にはまた、自分の足で立てる。


「生きてるだけで偉い」が必要な夜は、たしかにある。

でもそれを終点にしない人間もいる。

痛みを抱えたまま、選び、引き受け、形にする。

——そのとき初めて、肯定は麻酔ではなく、覚悟になる。


苦しみを消そうとする社会は、人間を壊す。

だからこそ私は、苦しみを消さずに、選ぶ。

それが、生の輪郭を取り戻す最小の抵抗だ。

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