第3話 異世界ゲート

 新宿駅から電車で移動し、王子駅で下車。

 異世界と繋がった後のこの世界も地上の街並みは変わらない。相変わらずのビル群だ。車は数多く走っているし、ビジネスマンや家族連れの姿など老若男女で歩道が賑わっている。異世界から侵攻を受ける事も無く、異世界の一部が地上に顕現したなんて事も無い。全てがこれまで通りである。

 駅の改札を出て、多田は地下鉄入口へ向かって歩いて行く。その途中で電話がかかってきた。多田は道の端へ移動しながら電話に出た。

「はい」

『お疲れ様です。第一営業課の中谷(なかたに)です』

「お疲れ様です」

『あのーホクミスさんからーなんですけれどもー。企画の文言が他社の旅行代理店とー、違っているという指摘がー、来ているんですよー』

 いかにも軽い口調の若い男性の声が耳に入ってくる。

 ホクミスとは『ホクリクミステリー異世界ツアー』という旅行代理店で、北陸のみに展開する小規模な会社だ。

「どの企画ですか?」

 多田はビジネスバッグの重さが気になり、喋りつつ解決策を探す。そして道の端に立つ柵の上にビジネスバッグを置いた。それは手を離すとバランスが取れず落下してしまうので、置いたけれども手に持ったままにした。それでもだいぶ楽になった。ビジネスバッグの重さは歩いている時はさほど気にならないが、立ち止まっていると地味に辛くなってくるものだ。

『ノムレスのー、農業体験ツアーです。紹介文の文言がー、他社と違うってお客様から指摘されてー、発覚したようでー、えー……っと、この……『エルフと一緒に道具作りの体験ができます』っていうのがですねー、他社の旅行代理店のパンフレットには入ってないみたいなんですよー』

 それを聞いて多田は何言ってるんだこいつ、と思った。その案件の担当はもう俺じゃない。現在の担当は今朝怒られていた田中だ。ちゃんと担当者リストを見て電話してこいよ。

「あーそれ、担当田中さんなんですよ~。なのでそちらにかけていただけますか?」

 努めてフレンドリーな口調で多田は言う。確かエルフと一緒に道具作りは俺が担当していた時にはあったけど問題が起きてツアー内容から削除された気がする。現地で道具を作ってもこちらの世界に持って帰ってこれないルールがあるのだが、ツアー参加者が持ち帰れないなんておかしいと怒り出してすったもんだがあって、で結局、じゃあツアー内容から削除しよう、に落ち着いた。全ての旅行代理店のパンフレットを新しい内容に換えてもらったはずだがホクミスだけ新しいパンフレットを送り忘れてたんだろう。だが中谷は俺にプラスにならない奴なので教えてあげるつもりは無い。リターンが無い相手にはこちらからも何も出すな、が祖母から教わった処世術だ。

『え? あー田中さんだったんですかー。あ、あと、富嶽(ふがく)ツーリズムさんからですけどー、学生達に環境保護の学習をさせたいとかでー、NPOのー、何て言ったかな、忘れたんですけどー、その団体と会ってみないかみたいなー、話が来てるんですけどー』

 富嶽ツーリズムは大手旅行代理店だ。学生向けの修学旅行や社会科見学といった団体旅行の話はよく大手旅行代理店に集まってくるらしい。多田はあまり乗り気にならないのでパスする事にした。バスが近くで発車して大きな音がしたので、周囲の音が落ち着いてから口を開く。

「あーそれはちょっと、ヘヘヘ……まあ、検討してみます」

 大手旅行代理店の担当者を無下にはできないが、この手の話はお金にならない。ビジネスである以上は利益追求が第一だ。申し訳ないが。

『あーそうですかー。分かりました。じゃあ……あそうだ、ホクミスの話、そちらの中で田中さんに話していただいても良いですか?』

「えーとそれは……あすいません、もう地下入ってしまうので電話切れます。すいませ~ん。はい、では~!」

 そう言って多田は電話を切った。面倒事は引き受けないに限る。部長や課長と仲が良い等上層部への影響力がある人物なら別だが、残念ながら中谷にはそれが無いし第一営業課でも下に見られているようなので俺の給料には何もプラスにならない。

 こうして営業から電話がかかってくる事はよくある。今電話してきた中谷は第一営業課で、第一営業課は各旅行代理店とのやり取りを行う部隊だ。MTCJ社はツアーの直接販売を手掛けていないため、ツアー参加者と直接の接点は無い。多田達の企画課が制作したツアーを第一営業課を通して旅行代理店に委託し、旅行代理店が一般顧客にツアーを販売する。顧客の動向も旅行代理店を通してまず第一営業課に渡り、それが統計課を経て企画課へ戻ってくるのだ。他業者との窓口になっているのが第一営業課なのである。

 多田は改めて地下鉄への入口へ向かった。人の流れに乗って地下鉄の駅へ下りていく。

 地下鉄の駅へ行く途中に異世界ゲート専用通路が存在していた。それは日本の城の城門をモチーフにした入口で、ここから先が特別な空間であることをうかがわせる。多田は人の流れから外れ、その入口へ歩を進めた。

 城門風の入口を通過すると長い直線の通路になる。通路は地下を刳り貫いたトンネル状になっており、左右の壁には等間隔に窓や扉が並び、それらの窓越しには自衛隊の詰所らしきものが見える。通路を歩く自衛官も沢山いる。多田はこの通路をビジネスシューズの音を鳴らしながら歩いていた。音が響く硬い床だ。天井も壁も灰青色を基調としたもので統一されている。武骨とも無機質とも言える、硬質さが勝った空間であった。

 周囲を歩くのは殆どが自衛官だ。時折スーツ姿の者を見かけるが、多田の同業者か観光省職員のどちらかだろう。長い通路が終わると今度は三又に通路が分かれた。一つは一般旅行者用。一つはビジネスマン用、つまり多田が行くべき道。最後の一つがスタッフ用。多田は自分が行くべき通路を進んだ。ほどなくして空港みたいなロビーに出る。ガラスの壁で仕切られているがここから一般旅行者用のロビーも見える。一つの大きなホールを仕切りで分けているだけだ。多田はまず営業の者を捜した。ロビーにはそれなりの人数が屯しており、外国人の姿もちらほら見受けられる。その中から幾らか視線を巡らせたところで目当ての人物を見付けた。多田は横切る人を避けながら速足で目当ての人物へと近寄っていく。

「沢口さん、おはようございます」

「おはようございます、今日もよろしくお願いします」

 はきはきとした口調だ。癖毛で眼鏡の男性・沢口徳次(さわぐちとくじ)。柔和な笑顔でそこそこイケメンである。第二営業課の社員で多田に同行することが多い。

 先程電話した中谷が所属しているのは第一営業課で、彼らは国内で活動する営業だが、この沢口が所属する第二営業課が相手にしているのは異世界。この第二営業課こそがMTCJ社を異世界旅行会社たらしめている存在である。

「どうやら上場するみたいですね、グロースに」

「ええ、グロースはまさに博打なので私は手を出さないですけど。やはり無難にオルカンですかね、私は。多田さんはグロースに手を出したりしてるんですか? テンバガー狙いとか?」

「…………え? あ、ああーいや、私もあれですよ、オルカン、ええ、オルカンです」

 オルカンって何? と思いながら多田は焦る。知ったかぶりをして上場の話など振らなければ良かった。ちょっと上場の話でもしてみたらカッコイイと思っただけなのに相手の方が上手だった。このままではボロが出てしまうので早々に話題を替えよう。

「まあオルカンは置いといて……今日の現地のアレは……村人の話とか聞けたりします?」

「もちろんです。村長さんが直々に案内いただけるということで、期待して下さい。代々伝わっている伝説があるそうですよ」

「ああそれは良いですね、それ系はパンフレットに載せれば確実に」

「はい、売り文句になります!」

「きたきた! これですよ、これは大当たりの予感しかしない」

「ええ私もこれは当たると思います。多田さんは本当に金の卵を見付ける嗅覚がありますね」

「いやいや沢口さんがいなければ私なんて何の役にも立たないヒラ社員ですよ。ただほんのちょっと鼻が敏感なだけです、野生動物みたいに。動物は食べるのに必死でしょ? 私も世の中の荒波に飲まれないように嗅ぎ分けて進んでいるだけです、必死ですよ」

 多田は気分よく謙遜と自慢を織り交ぜる。自慢する時は謙遜で包みながらちょっと自慢を入れる程度にする。この社会では出る杭は打たれる。だから出ていない杭であることを回りと示し合わせながら生きていかないといけない。世を渡ると書いて渡世である。

 ロビーにアナウンスが流れ始めた。

『お知らせいたします…………ただいまよりアメイズ行きの方の受付を開始いたします。アメイズ行きの通行証をお持ちの方は受付口へお越し下さい。お知らせいたします……』

 アナウンスを聴いてロビー内では多くの者が動き出した。アメイズは多くの企業がツアーを企画しており、毎日のように多くのビジネスマンが世界を渡る。

「行きましょう」

 沢口がそう言ったところで多田はあることに気付いた。たまたま視線が捉えたものだが、ガラスの壁の向こう側に二人の子供が張り付いてこちらを見ていたのだ。子供達は目をキラキラさせてこちら側のエリアを眺めている。多田が子供達を見ていると、子供達が手を振ってきた。多田も手を振って返す。

「あの子達も我々の作ったツアーに行くんでしょうね」

 沢口も手を振りながらそう言った。多田もそれに同感だ。

「観光客がああやって楽しみに待っているのを見ると、自分が異世界観光業で働いているんだなって実感できます。自分達の作った企画が、こうして形になっている」

 そう、あの子供達も、その親も、これから異世界へ観光に行くのを楽しみに待っている。国内でも海外でもない、異世界へ行くのを。自分の提供しているツアーが楽しんでもらえれば良いな、と素直に思う。

「この職業に就いて良かったですか?」

「ええ……なんたってコレが良いですから」

 手で円を示して多田はニッコリする。この業界は新しくできた業界なので羽振りが良い。だが、表向きはそう言ったが別の理由もある。両親が離婚した時の、当時の母の言葉がまだ印象に残っている。

『私ね、別の世界に行っちゃうの』

 当時の自分は8歳。母が家を出ていくことになった。祖母が当時の母に陰湿な嫌がらせをしていたのを今では知っているが、当時はそれを知る由も無かった。当然、当時の俺は何で母さん出て行っちゃうのと訊いた。その返答が別の世界へ行く、だったのだ。俺は父の所へ残された。別の世界へ行けばまた母に会える、なんてことを本気で思った。異世界というものが俺の奥に根付いたのはその時だ。

「とても現実的ですね。さあ今度こそ行きましょう」

 沢口は苦笑し、その場を離れた。多田は内心をおくびにも出さずその後ろを付いていった。

 受付口は空港の搭乗口のように検査場があり、そこで一列に並ぶことになる。空港と違うところは、検査を行うのが自衛官であり、検査係の背後にも数人の自衛官がいて、しかも米軍まで見張りについているという徹底ぶりだ。異世界と繋がるゲートの価値がどれだけ高いか嫌でも分かるというものである。

 受付口に並んだ順に検査が行われていく。沢口は前に並ぶ外国人に話し掛けられ、それを沢口は笑顔で受け答えしている。沢口は英語を話す時は表情もよく動くし身振り手振りも大きくなる。多田はこんな時鼻を掻いたりして所在なさげに過ごす。英語が話せるとできるビジネスマンという感じがして良いのだが、かといって頑張って英語を勉強する気力も無い。30歳を過ぎて何か新しいことを始めるのはハードルが高い……

 多田が検査を受ける順番が回ってきた。多田は検査係に通行証を渡す。検査係の男性が無表情に読み上げる。

「行先はアメイズのスランジャルバ国。理由は営業で間違い無いですね?」

「はい、そうです」

「身分証を」

「はい」

「…………えーMTCJ社、多田晃……はい、確認できました。では荷物検査へ」

「はい」

 荷物検査では手荷物を係の者に預けることになる。係の傍には強そうな犬が控えており、犬が荷物に目を向けた時が多田は一番緊張する瞬間だった。何もやましいことは無いが何かの間違いで犬が何かのサインを出した場合、自衛官達に別室へどうぞと自分が連れていかれるのを想像してしまう。幸いなことに犬はすぐに荷物から興味を失った。係の者が荷物を開け、簡単に中を探る。ここでは見てすぐ分かるレベルの物が無いかチェックするだけらしく、10秒以内で終わる。ただし、このチェックで係の者がチャックを開けても閉め直さないところに多田は不満を持っていた。その後、荷物は空港でも見かけるX線の機械に通される。最後に人間自身が検査ゲートを通れば検査完了だ。この検査ゲートは金属探知機だけでなく何かを呑み込んで隠してないかとかも調べているのではないかと思われる。多田は検査ゲートを潜り、いつも通り何事も無かった。先に検査ゲートを越えていた沢口と合流し、先へ進む。

「あの検査、昨日トラブルがあったんですよ」

 そう言う沢口に多田はビジネスバッグの中のチャックを直しながら先を促す。

「へえ、どんな?」

「アメリカ人が手荷物検査で止められたんですよ。自衛隊がバッグを開けたらぎょっとして、『これは何ですか?』って取り出したのが、魔法の杖なんです。小さい女の子用の玩具の、可愛い魔法の杖」

「何でそんな物を?」

「そのアメリカ人はこう言ったんです……『これは魔法のステッキだ、魔法少女キュンキュンハートの。向こうの世界でも魔法が通じるか試したい』」

「…………嘘でしょ⁈」

「いやそれが本気なんですよ。自衛隊が怪訝な顔をして一体どんな風にですかって聞いたんです。そうしたらその場でやったんですよ、金髪のイケメンが『ラブラブにな~れ、キュンキュンパッ!』って」

「うわああああああぁぁぁぁぁぁ……やっちゃったの? キュンキュンパッて?」

「そうです、その魔法のステッキ、スイッチ入れてピカピカ明滅していました」

「ヤバイでしょそれ。自衛隊は何て?」

「狼狽えてました。私初めて見ましたよ、いつも能面みたいに眉一つ動かさない人達がですよ、目を見開いて口あんぐり開けて。10秒くらい経ってからようやく、どうぞって。あれは普段どれだけきつい訓練をしていても対処できなかったんでしょうね」

「キュンキュンパッですもんねぇ……いやあしかしそれ、通っちゃったんだ……」

「ええ。彼は念願叶って向こうで試したでしょう」

「こっちでも魔法通じてないのに」

 多田はある意味では感心した。アメリカ人はぶっ飛んだことをするもんだ。しかしそれくらいぶっ飛んでいた方が何か思わぬ企画が思い浮かぶのかもしれない、なんてことを思った。

 通路を進むと広い空間に出た。異世界ゲートが鎮座している部屋だ。異世界ゲートの形は平面的で多角形であるように見えるが、不定形で何角形とも言えない。そしてゲートの向こう側は真っ白で何も見えない。このゲートを開いたり閉じたりする様子は最高機密であり、限られた職員と総理大臣のみが知っている。まるで核のボタンである。そうやって隠されると好奇心で知りたくなる者も出てくるが、知ろうとすれば自衛隊や米軍に捕らえられてしまうだろう。その際は生死問わずの対処だというので恐ろしいものである。

 ゲートの部屋には別の通路から旅行者達も入ってきた。旅行者達が職員から説明を受けている間にビジネスマンの方はゲートへの入場が始まった。沢口も多田も列に並び、ゲートへ進む。次々と人がゲートに入っていく。ゲートに踏み入った者は真っ白な空間へ吸い込まれたように即刻姿が見えなくなる。

 多田達に順番が回ってきて、まず沢口がゲートの向こう側へ歩みを進める。沢口の姿が白い空間に吸い込まれる。多田もゲートへ入った。

 真っ白な世界。だがそれも一瞬だ。もう一歩踏み出すと異世界に到着した。絶叫するような何かは無く、案外あっさりしているものである。真っ白な空間がどれくらいの厚さがあるのかとか、どんな空間なのかとかは全く分からない。

 多田は異世界・アメイズに降り立つとまずはゲートから距離を取った。というのも後ろから次々に人が通ってやってくるので、誰かが立ち止まると渋滞を起こしてしまうためだ。多田は落ち着ける場所まで歩き、そこで改めて周囲を見回すとアメイズの景色に目を奪われた。

 ゲートがある場所はパルテノン神殿のような廃墟の神殿で、小高い丘に建っている。そこから見下ろすと城を中心とした都市がまず目に入ってくる。都市の外では農地や平原が広がり、幌馬車が通っていたり、得体の知れない生物に乗って移動している人も見える。遠くの山々には普通の山も見えるが水晶でできた山や山頂に謎の八面体が浮いている山もある。空には浮島が見え、ワイバーンみたいな飛行生物も見える。

 まさにファンタジー。これが王道ファンタジーの異世界・アメイズだ。

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異世界旅行社企画課の業務は 滝神淡 @takigami

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