「ジーニー、暇だねー。」

「そうですね。今日は何をしましょうか。」

「分岐アドベンチャーゲームの全エンディング見ちゃったからなぁ。」

「前にハマっていたモンスターを狩りに行くゲームの最新版が出たみたいですよ。」

「ホント? じゃぁ、それを買って今日は遊ぼう!」

「患者さん優先でお願いしますよ。」

「わかってるって。もう。ジーニー、僕をいくつだと思っているの?」

「今年28になる人です。」

(精神年齢は16くらいですかね…)


カタカタと音がしそうなリズムで( )の文字がモニター上に書き出されていった。


灯はまたエメラルドグリーンのドアの前に立っている。とにかく『お礼を言いたい』という気持ちが身体と足を前へ前へと押し出していく。


バーンッ、と勢い余って思いっきりドアを開けてしまった。


1ヶ月前にきた、誰もいない受付カウンター。長椅子にも人の温もりはなさそうだ。


ベルを鳴らす。返事はない。


診断室のドアをノックして


「先生。」


開けてみるが見当たらない。PC画面が目に入る。


(精神年齢は16くらいですかね)という文字が打たれていた。


その時


「うわっーっ!」


という悲鳴が聞こえた。


診断室の右側にドアがある。反射的に


「大丈夫ですか!」 と開けてしまった。


「えっ…」「えっ…?」


声が重なる。


目の前には、中学生男子の夢の空間が広がっていた。


壁一面の本棚には漫画。

机の上には山のように積まれたお菓子。

キャビネットの上には炭酸メーカーと色とりどりのシロップ。

そして、先生の目の前には30インチ以上はありそうな大型ゲーミングモニターに映し出されたモンスターが火を吹いている。


「はっ、花村さんだっけ? えっ、何? どうしたの?」

「す、す、すみませんっ、悲鳴が聞こえたので」


慌てて答える。


「大変失礼しました。」


急いでドアを閉めると


「ちょっと待って、すぐに行くから」と御門先生の声がした。


受付前の長椅子に座って深く息を吐く。


やってしまった。プライベートな部屋を勝手に開けてしまった…。


(あー、もー、何をやってるんだ私。)


顔を両手で覆って下を向いていると、白衣を身につけた御門先生が診断室から出てきた。


「本当に失礼しました。勝手に開けてしまって。」


立ち上がり、深々と頭を下げた。


「いや、クリニックを開けている時にゲームをしていた僕が悪いんだ。花村さんは悲鳴を聞いて飛び込んできてくれたんでしょう? ジーニーにも気をつけてと言われていたのに…」

と、最後の方はゴニョゴニョとした言い方になり、よく聞き取れなかった。


(ジーニー?)


「それで、どうしたの? 今まで僕のところに2回くる患者さんなんていなかったから。」

と言いながら、御門先生は診断室の椅子に座るよう手で促した。


先生の言ったことが良いことなのか悪いことなのかわからないけどそこは聞き流す。


「先生! 先生のおかげで私に憑いていた霊が離れてくれました。」


「そうなんだ。お寺で供養してもらったんだね。」


うんうんと頷いているので


「いえ、行っていません。先生、言ったじゃないですか。自分の感情じゃない、これは霊の感情なんだって。

だから、悲しいと思った時に霊の--私を頼ってる女性のことを想い、『そうなんだ、悲しかったんだね』って言うようにしてみたんです。


最初はもう本当に悲しくて悲しくて、この悲しさを誰かに分かってほしいって思ってました。


でも泣いて泣いて……。


そしたら、少しずつなんですが心の中で思う言葉が変わってきたんです。

悲しいだけじゃなく、裏切られて悔しかった。とか、苦しかった。とか。そんな気持ちを一緒に感じ、共感して。私一人なんですけど、二人で話してるみたいに会話して。

そのうちに、しかたなかったなって思い始めて。


そしたら『ありがとう。』って声が聞こえたというか、思ったというか。そんな気がしたんです。

その瞬間、パーンって目に入る色が鮮やかになって。


それっきり、心の中の言葉もなくなりました。


これって成仏してくれたってことですよね?」


一気に話したので少し息が荒くなってしまった。

胸を押さえつつ顔を上げると、キョトン顔で口を開けたままの先生が。

『鳩が豆鉄砲をくらう』って表現は今の先生の表情のことを言うんじゃないかなと思っていると、


受付カウンター上のアクリルスタンドが揺れるほどの声量で


「えーーーーーっ!!」と先生が叫んだ。


「ちょっとまってっ、えっ? 話をして? 霊と? 対話で成仏? あり? そんな方法ってあるの?

考えたこともなかった。まじか?」


そういうとPCに向かい、すごい速さで何かを入力していった。


放置。


(先生、私がいること忘れてるのでは…。)


「花村さん。」


そう言って私の両手をむんずと掴んできた。


「花村さん、君、ここで働かない?」


少年のようなワクワク・キラキラした目。だけど、断る選択肢はないといわんばかりに手を握られている。


会社を辞めてから、鬱のせいで失業手当も申請できていないため、急いで仕事を探さなくちゃと思っていたから、こんな形でしごとにつけるなんてとてもありがたい。


でも…。


「私は何をするんですか?

受付ですか?」

「いや、カウンセラーだよ。」


思ってもいないワードが出てきた。

聞き間違い?


「ちょっと、仰っている意味がわからないのですが…。

とりあえず、手を離してもらってもいいですか?」


「わぁ、ごめんごめん。」と言いながら、掴んでいるのも忘れていた感じでパッと手を離す。


「僕は陰陽師の末裔なんだ。実家は京都にあってね。

ただし、その力は代々女性に受け継がれてきた。

祖母の代までは順調だった…。」


先生は目線を落とす。


「曽祖母が誰かに呪詛をかけられたらしくてね。そのせいで孫である母が病気がちになり、僕以外の子供は持てなかった。

僕は男だからね、力を受け継ぐことがなかったから、力の伝承は途切れてしまった。」


そう話す先生の顔は苦しそうだ。

力の伝承が途絶えてしまったのは、男として生まれた自分のせいだと責めているのかもしれない。


「それで僕は医療で人を救おうと思って医大に入ったんだ。

でも研修で患者を診ているとね、何度も同じ病気を繰り返したり、なかなか治らないと言われるたびに、根本の原因を取り除かなければ本当には良くならないんだと、思わず考えてしまうんだよ。」


「こんな家に生まれてきた運命だよね。普通はそんなこと思わないだろうけど…」

そう言って、机の奥に飾られていた筒状の物を手に取った。


「この巻物、なんだかわかる?」


分厚く、長く巻かれたその巻物は、かなりの年代が経っているのか古く見えた。


「これは代々、陰陽師として人々を救ってきた記録なんだ。どんな症状で、どんな霊が憑いたか、どうやって除霊してきたかが記されている。この膨大なデータをPCに入力して、患者さんの問診票から病気の根本原因を診断できるようにしたんだよ。」


その巻物を手に取り、ポンポンと叩く。

(代々受け継がれてきた大事な物じゃないの⁈)と思っていると、


「まぁ、この巻物はレプリカなんだけどね。ほら、代々受け継がれている貴重な物を、僕なんかが外に持ち出せるわけないじゃない。

でも、患者さんが『インチキだー』みたいに言ってきた時に、納得してもらうには十分な働きをしてくれるアイテムなんだよ。」


「でもさ。」


そう言ったまま先生は天を仰いだ。

「いくら診断したからといって、お寺や神社でお祓いしてもらってください。としか言えなかったんだよ。

だから、僕のところに来た患者さんがその後どうなったかわからない。

君が初めてなんだよ。成仏したって教えてくれた人は。」


私の目の前にいる御門先生は、心から人を救いたいと思っているんだ。そして、自分の力のなさを悔やんでいる…。


「でも、その話から、何で私がカウンセラーって話になるんですか?


私に陰陽師のような力があるとは思えない。私を頼った霊が成仏してくれたのもたまたまかもしれない。


「花村さんは、対話で成仏させた。霊だと怖がらず、同じ苦しみを抱えた人として霊と話し、感情を受け止める。寄り添ってくれる。

そんな優しい君が、ここに来た患者さんとゆっくり話をしてくれたら−–。

きっと道が開かれるんじゃないかと思う。いや、絶対そうだ。僕の勘は当たるんだよ。」


また、あのワクワク・キラキラした目が戻ってきた。


「でも私には、カウンセラーの資格はありません。」


「カウンセラーは特に法律で定められているわけじゃないから、誰でも名乗れるんだよ。

でも、そっか……。ただでさえ怪しいクリニックなのに、何も資格がないとなると、花村さんも働きづらいよね。」


そう言って、先生はPCに向き直った。


「ねぇ、ジーニー。今からすぐに取れるカウンセラーの資格、ない?」


「メンタル心理カウンセラーでしたら、通信講座で最短二週間で取得可能です。

他にもいくつかありますが、すべてお伝えしましょうか?」


PCから声がする。

……AIと話しているのか。


「ありがとう、ジーニー。それで大丈夫。」


「承知しました。必要になったら、また声をかけてください。」


先生はPCから私の方へ向き直り、メモを差し出してきた。

そこには、今聞いた資格の名称が書かれていた。


「その資格、取ってみて。

お金は僕が出すから。必要経費。

それで資格が取れたら、またここに来てくれないかな。

その日から働き始めるってことで。」


一拍置いて、少しだけ表情が柔らぐ。


「あっ、でも……無理をさせてしまうかもしれないな。

……一ヶ月。

一ヶ月後からにしよう。もちろん、それ以降になってしまっても構わないよ。

久しぶりに働くことになるだろうから、しっかり回復する方が大事だからね。」


——そうだ。久しぶりに、働けるんだ。


でも、医療関係の職場なんて、今まで一度も考えたことがない。


「本当に……私でいいんですか?」


たとえ資格が取れたとしても、私にできるとは思えない。

カウンセラーなんて——。


「せっかく解放されたんだ。

新しい世界に、触れてみたくなったんじゃない?」


確かに、景色が鮮やかになり、心も軽くなった。

私の世界は狭い。

少し前まで、霊と対話するなんてこと、なかったはずだ。


「やってみます。」


素直に言葉が出た。


ただ一つ、確認しておきたいことがある。


「あの、でも、ちょっと聞きづらいのですが…。」


受付と待合室を見回した。


「お給料っていただけるんですか?

前もそうでしたが患者さんがいる様子がなくて…。」


とてもお金が稼げてるとは思えない。

保険適用外なのに一律千円だし。


「あっ、その点は心配しないで。

僕が大学を機に東京に出ると言ったら、祖母が僕が住むようにとマンション丸ごと購入してね。

マンションのオーナーは僕になっているんだよ。

だから家賃収入がたくさん入るんだ。

さらに、そのお金で自分でもマンションを買ってね。そしたら、ほら、最寄りの駅に特急が停まるようになったおかげで、マンションやビルが建ち始めてベットタウンになったじゃない。」


この街は、駅周辺には高級そうな新しいマンションが建ち並んでいる。

けれど、大きな通りを渡ると、そこには昔ながらの商店街があり、戸建ての家々が窮屈そうに身を寄せ合い、温め合っている。


「だから、お金には困ってないんだよ。」

と、先生は軽く笑った。


(なるほど、勘がいいって言ってたのも、あながち嘘じゃないんだな。)

と、先生を信じてみようと思った。


今年も終わり、西暦にひとつ数字が足された。


私にとっても新しい一年。

導かれた――そう思いたい。


悲しくて、苦しかった昨年のことは記憶には残っているのに、不思議と心はあの感覚を覚えていない。

霊が離れてから、私は驚くほど早く元の私に戻れた。


今までの会社にも、行けるのではないかと思う。

けれど、関係はもうそれぞれ絶ってしまった。

蒼汰も。


もしかしたら連絡を取れば、また一緒にいられるかもしれない。

でも、私は彼を傷つけた。


強くなったら、連絡してみよう。

蒼汰の隣に別の人がいると分かっても、笑って応援できるくらい強くなったら。


私にも手を差し伸べてくれる人がいる。

今は、自分にできることを、ひとつずつ頑張ろう。

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