診断
ゆっくりとドアを引く。目の前には、個人病院のような受付や長椅子が置かれていた。
(本当に病院なんだ…)
受付には誰もいなかった。カウンターには、『原因不明の身体の不調を診断します。』と書かれた紙がアクリルスタンドに挟まれている。なぜか『診断』の部分だけ太字で強調されていた。その隣のアクリルスタンドには、一律千円という文字がある。
台の上にはもう一つ、バインダーに挟まった問診票も置かれていた。シルバーの呼びベルには、『問診票を書き終わりましたらベルを鳴らしてください。』と書かれている。
それを手にし、誰にも温められていない椅子に座って記入し始める。その問診票には『アンリーシュ・ラボ』とカタカナで書いてあった。
お名前(仮名でも可) 年齢 ご住所(おおまかでもok)
※下記で気になるところにチェックを入れてください。
【身体の状態】
⬜︎ 頭痛 ⬜︎腹痛 ⬜︎咳 ⬜︎気持ち悪い ⬜︎吐き気 ⬜︎首が痛い ⬜︎心臓が痛い ⬜︎股関節が痛い ⬜︎背中が痛い
⬜︎眠れない ⬜︎眠い ⬜︎忘れ物をする ⬜︎道に迷う
【心の状態】
⬜︎涙が出る ⬜︎何も感じない ⬜︎不安
⬜︎イライラする ⬜︎カッとなる
⬜︎誰かに見られている、または声がする
⬜︎うつ病と診断されている
【夢や思考】
⬜︎最近よくみる夢がある
⬜︎最近よく使う言葉がある
【現在の症状や気になることがあったら書いてください。】
【その症状になやんでいるのはどれくらい前からですか】
と書かれている。
(なんだか変わった問診票…。)
【身体の状態】の吐き気、首の痛み
【心の状態】の「うつ病と診断されている」【最近よく使う言葉】に「悲しい」
【どれくらい前からですか】には「6ヶ月前から」と記入し、受付に持って行く。
深呼吸をして、恐る恐る銀色のベルを叩いてみる。しかし遠慮しすぎて、音は掠れていた。
もう一度ベルを叩くと、『チーン』という乾いた音が、静かな部屋に響き渡った。
「はーい、どうぞお入りくださーい。」
奥の方から男性と思われる声がした。左奥に『診断室』と書かれたドアがある。
(診断室?診察室じゃなくて?)
違和感を覚えながら軽くノックをし、そうっと開ける。
そこにはよくみる診察室の風景に30歳前後と思われる男性が座ってこちらを見ていた。
「そこに座って。問診票は書いてくれた?」
なんとなく軽そうな、『苦労なんてしてきてませんよ』と感じさせるそんな声。
「はい、書きました。これです。」
と、問診票を差し出す。
「花村 灯さんね。僕はこのクリニックの診療医の、御門 舜(みかど しゅん)です。よろしく。
えっと……半年前から『悲しい』という言葉が出てきた。吐き気もある。うつ病の診断も受けてるんだね。」
そう言いながら、彼はPCに文字を入力し始めた。
「今の家はアパートかな。」
「はい。仕事が三年目になったので、自立しようと思って、昨年引っ越してきました。」
「なるほど。プライベートなことだから、言いたくなければ言わなくていいんだけど……彼氏とかいる?」
若干ナンパっぽく聞こえる言い方で、体調とはあまり関係なさそうな質問が続く。
「……少し前に、別れました……。」
「そっか。ごめんね。辛いことを思い出させちゃったね。」
「いえ……私が悪いので……。」
「最後に一つ。死にたいって思うこと、ある?」
「……っ。……あります……。高いところに、惹かれてしまうというか……。」
そう、何となく――
高いところから飛び立てば、違う場所に行けるんじゃないか。
そんな考えがふっと浮かんでしまうから、私はなるべく、高さのある場所に近づかないようにしていた。
先生が一つ弾けるようにキーボードを叩いた。
「OK、診断結果がでたよ。」
そう言ってPCからこちらに視線を移す。
「花村さんは、自殺した霊に頼られています。」
「えっ、霊って幽霊ってことですか?」
「そう、おそらく家のアパートにいるんだろうね。吐き気や首の痛みがあるからおそらく水子つき。」
「水子?」
「そう、水子。産まれることができなかった子供。要するにその霊は妊娠してたってこと。だから女性だよね。
『悲しい』って声がするみたいだから、男の人に捨てられたかなんかで飛び降りちゃったんだと思う。」
聞き慣れない単語が出てくる。
「でも、アパートを借りる時に事故物件の話とかされていないですよ。」
「霊はね、その土地に憑くんだよ。だから、今のアパートが建つ前なのかもしれない。でも、眠くはないみたいだからそこまで昔の話じゃないと思うな。古い霊ほど眠くなるんだ。」
先生はスッと背筋を伸ばして、
「はい。以上が診断結果となります。」
と、軽やかな調子で言った。
「だから、近くのお寺とか、行きつけの寺院とかあったら供養してもらってね。」
「えっ、先生が除霊とか何かで治してくれるんじゃないんですか?」
「いや、僕は霊感や霊力みたいなの全くないから、そんなことはできないんだよ。一応、医師免許持ってるから睡眠導入剤が必要な人にお薬は出してあげられるけど。」
「はぁ…。」
(頭がついていかない。
えっ、どういうこと?
霊が憑いていて私はこうなった?
でも、先生は治せない…。
そっか。
だから受付のところの『診断します』が強調されていたのか…。)
こんな診断でもどこかストンと腑に落ちる感覚と、除霊という不確かな解決方法を言われた不信感とで思考停止状態になってしまう。
診察室の空気が、わずかに張り詰めた気がした。
今まで軽い口調で話していた先生が、表情を改めて真っ直ぐに目を見てきた。
「これだけは心に刻んでおいて。
花村さんが『悲しい、死にたい』と思っているんじゃないということ。
今の感情は全て亡くなってしまった女性のものなんだ。
だから、『悲しい、死にたい』と思ったらその度に、『これは私じゃないんだ』って自分に言い聞かせて欲しい。
どうか、自分のものじゃない感情に支配されないで。
いい?」
コクリと首を縦に振り、立ち上がる。
(私の感情ではない…。)
会計を済ませ、クリニックの診察券、もとい診断券を受け取るとエメラルドグリーンの扉を後にする。
背中でパタン、と音がした。
陽が傾き、温かな光は差し込んではいない。代わりに街に造られた光が灯っている。
(私の感情ではない…。)
おまじないのように、何度も繰り返しながら、今日、ここに連れてきてくれたレンタカーをまた走らせた。
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