第3話



 電車に乗って家に帰る。


 窓から見える夕陽がきれいで目に染みた。失敗だらけなら、まだ落ち込んでもすぐに復活出来る。けれど、自分の情けなさを自覚してしまったら、もう地面としか顔を合わせることが出来ない。




「はは……、こんなんじゃ面接通るはずないか」




 この程度の人間性だと、見透かされているのかもしれない。また来週には面接の予定があるのに、果たして上手く笑えるだろうか。


 ため息をつきながら、帰ってきた。こんなときあの三毛猫がいれば、また励ましてもらえるかもしれない。わたしは顔を上げた。でも、まだ薄暗闇程度の暮れ具合だ。鉄階段には三毛猫の姿はない。




「……せっかく煮干しも用意したのにな」




 バッグの中の煮干しは一度も外に出されることなく、再びわたしと一緒に家に帰ることになった。


 冷蔵庫の中身は、卵ぐらいしかない。近所のスーパーに行くことも面倒で、卵焼きとご飯と海苔と侘しい夕食になった。いつもなら面接の準備をしたり、動画を見たりして過ごすが、この日はシャワーを浴びるとぼーっとして過ごす。そのうちに眠気が襲って来て、まだ早い時間だと言うのに床についた。


 とはいえ、布団の中に入っても眠れるものではない。天井の木目を見ながら、ぼんやりと明日のことを考える。明日はバイトもないし、面接の予定も入っていない。珍しく丸一日フリーの日だ。いつもなら買い物に行ったり、溜まった洗濯物をしたりする。


 だけど、とにかく身体が重い。眠たいわけじゃないのに、布団の中で悶々としていることしか出来なかった。この調子で明日は回復できるとは思えない。それどころか、一生このままなのではないだろうか。布団から起きられずに餓死してしまうのではないだろうか。


 そんなことばかり考える。


 一体、どれぐらい暗闇の中でそうしていただろう。


 無音の部屋に、シャンシャンと鈴が鳴る音が微かに聞こえてきた。




「うん……、何の音?」




 少しだけうつらうつらしていた目を擦る。カーテンをめくると、外はまだ真っ暗だ。まだ鈴の音は聞こえて来る。わたしは窓をゆっくりと開けた。




「わっ!」




 窓を開けた途端、ボールのような何かが部屋の中に飛び込んできた。




「な、ななな、なに?」




 暗くてよく見えない。それはもぞもぞと動き出す。わたしは壁を伝って、何とか電気のスイッチにたどり着いた。パチッと電気をつけると、正体を現す。




「……あ、なんだ。あなたか」




 そこに居たのは未知の地球外生物でも、今にも爆発しそうな爆発物でもない。白と黒と橙色の毛の塊、三毛猫だった。たぶん、昨日と一昨日にアパートの鉄階段にいた子に間違いないだろう。




「どうして入って来たんだろう。もしかして、わたしに飼われたいのかな。でも、ごめんね。このアパート、ペットは……」




 飼えないの――。そう言おうとしたけれど、三毛猫はそっぽを向いてしまう。そのまま、てとてとと歩いて玄関のドアの前に向かった。猫だけに気分屋だな。勝手に入って来たのに、もう出て行こうとしている。




「もう、迷い込んでこないようにね。あれ?」




 玄関のドアを開けてあげると、さっきも聞こえていた鈴の音がより大きく聞こえてきた。どこかでお祭りか何かの練習をしているのだろうか。


 ぼうっと闇の奥を見ていると、足元を三毛猫がすり抜けていく。そのまま去っていくかと思いきや、一メートル先の廊下で立ち止まってわたしを振り返った。


 すんと澄ました顔をしている。




「もしかして。ついて来いって言っている?」




 階段を上っているときと、まるで同じ顔をしていた。ツンの鼻先を上げて、置いて行くよと言っているみたいだ。




「行ってもいいかな……」




 猫についていくと言っても、精々近所だ。大人だし、迷子にはならないだろう。わたしは鍵を取って来て靴を履いて出る。そうやって、鍵をかけている間も三毛猫は同じ場所で動かずに待っていた。




「お待たせ」




 三毛猫は全く待たせやがってとばかりに前を向いて歩いていく。でも、わたしの歩調に合わせるようにゆっくりと急がない。赤い鉄階段を下っていき、そのまま道路に出た。


 暗くて見失うんじゃないかと思ったけれど、三毛猫は少し歩いては街灯の光が届く場所で待っていた。本当にわたしをどこかに導いているみたいだ。


 それに鈴の音が歩いていくにつれて、より大きくなっていく。シャン、シャンと間違いなく拍子をとっていた。




「ここは……、神社?」




 三毛猫が連れてきたのは、近所にある神社だった。鳥居があって階段が続いている。本堂は階段を上がり切ったところだ。不思議なことに、真夜中だというのに明かりが漏れている。


 こんな真夜中に、誰かいるのだろうか。


 三毛猫は目的地に着いたとばかりに、素早く階段を駆け上っていく。すぐに見えなくなってしまった。ここまで来て行かないという手はない。


 わたしは神社の石階段を上っていく。するとどうだろう。あれほど、布団の中ではもう一生身動き出来ないと思っていた身体が軽く感じる。まるで、身体が鞠にでもなったように足が弾んだ。




「わぁ……」




 階段を上りきると、思わず声が漏れた。夜の暗い神社ではない。温かい光の提灯がいくつも並んでいる。


 でも、驚いたのはそんな小さなことではなかった。


 賽銭箱の前でたくさんの猫たちが二本足で立って踊っていたのだ。何十匹の猫たちが輪を描いて踊っている。真ん中では神楽鈴を持った猫がくるくると舞っていた。その度に、シャンシャンと心地よい音が響く。




「これって、猫たちのお祭り?」


「おや。新顔さんだね」




 猫が一匹やってきた。お腹がぽっこりしている白に黒いブチがある猫だ。普通に滑らかに日本語を話している。




「あ、こ、こんばんは」




 不思議な猫の集会に人間が迷い込んできて、追い出されやしないだろうかと心配になった。まごまごしていると、他の猫がやって来る。わたしを連れてきた三毛猫だ。他の猫と同じように普通に二本足で歩いている。




「そいつは俺の連れだ」


「おや、三毛さん。あんたの紹介だったのかい。じゃあ、初めてで緊張するだろうけれど、楽しんでな」




 そういうと、ブチの猫は踊りの輪に入っていった。


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