第3話 那須の選択

 宗像先輩との一戦が全国に中継された後、水戸将軍の「カップル狩り」命令は、さらにその異様な熱を帯びていった。宗像先輩は逮捕されたが、彼の敗北は、「賞金一億」という甘い誘惑が、どんなに優秀な武道家をも狂わせることを証明してしまった。

​私は道場に戻り、師範に深々と頭を下げた。師範は何も言わず、ただ静かに頷いた。道場は、以前にも増して重い空気に包まれていた。

​そして、この狂乱の中で、もう一人、追い詰められた男がいた。

​ 那須隆也。

​ 彼はかつて、私の父の道場に通っていた先輩であり、その組手の実力は宗像先輩に匹敵するほどだった。しかし彼は、空手から身を引いた後、事業に失敗し、莫大な借金を抱えていた。

​「隆也、お前の最後の希望は、あの『一億』しかないんだぞ…」

​ ある日、私は街の裏路地で、借金取りに詰め寄られている那須先輩の姿を見かけた。彼はかつての精悍な目を失い、疲弊しきっていた。

​「くそっ、わかってる…わかってるよ!」

 那須先輩は地面を蹴りつけた。

​ 彼が空手を辞めたのは、「空手では家族を食わせられない」という、現実的な理由からだった。その現実が、今、彼を最も忌まわしい道へと追い立てようとしていた。

​ その夜、那須先輩はついに決断した。賞金ランキングを賑わすため、彼は黒いフードを深くかぶり、カップルが集まる公園へと向かった。

​ 彼の初戦は残忍で、そしてあまりにも効率的だった。彼は一切の躊躇なく、空手で培った「人を無力化する技術」を、殺戮のために使用した。

​ ランキングは急上昇した。宗像先輩を凌ぐ勢いで那須隆也の名が全国に知れ渡る。彼の動きには、宗像先輩のような**「武道への迷い」は微塵もなかった。あるのは、「家族を救うため」という、歪んだ覚悟**だけだった。

​「佐藤、那須が…那須が人を殺しているんだ…」

​ 道場の仲間たちが、テレビに映し出された那須先輩の姿を見て、怯えた声で言った。

​ 私は自分の腰に手を当てた。宗像先輩の蹴りによって鍛えられたこの体幹が、今、かつての先輩を止めなければならないと強く訴えていた。

​ 私は夜の街を彷徨い、那須先輩の足取りを追った。彼は、小田信長が使用していた廃工場とは別の、郊外にある古い倉庫を拠点にしているという情報を掴んでいた。

​ 倉庫の裏口を潜り抜けると、中には血の匂いと、そして空手の道着を着た那須先輩がいた。彼は、一組のカップルを仕留めたばかりだった。その手には、震えも後悔も見られなかった。

​「那須先輩!」

 私の声に、先輩はゆっくりと振り返った。

​「…佐藤か。お前も賞金目当てか? 悪いが、お前は俺の敵じゃない」

​ 先輩の目には、私への憎しみはなく、ただの**「邪魔者」**を見る冷たい視線があった。

​「違います。私は、先輩を止めに来たんです!」

​「止めに来た? ふざけるな。お前は借金がないから、そんな綺麗事が言えるんだ!」

​ 先輩の怒りが爆発した。彼は、貯め込んだ全ての絶望を乗せて、猛然と私に向かってきた。

​ 彼の攻撃は、宗像先輩のそれよりも遥かに速く、そして容赦がなかった。

​ 中段回し蹴り!

​ それは、かつて私の腰を襲った蹴りと同じ軌道を描いていた。

​ しかし、私は既にその痛みを知っている。

​ 私は蹴り足に対し、一歩踏み込み、体をわずかにひねることで、衝撃を腰の芯ではなく、外側の筋肉群に受け流した。

​ ガツン!

​ 鈍い音と共に、再び激痛が走る。だが、体幹は崩れない。むしろ、その衝撃を**「力のバメ」**へと変えた。

​「くそっ!」

​ 那須先輩は驚愕の表情を浮かべた。私の腰は、あの日の宗像先輩の蹴り以来、二度と同じ場所を打たれるために、静かに、そして強固に鍛え上げられていたのだ。

​「先輩、武道は、人を殺すためのものじゃない!」

​ 私は低い姿勢から一気に立ち上がり、先輩の懐に飛び込んだ。

​ この状況で私が放つべき技は一つ。

​「止め」の突き。

​ 私は先輩の胸の中心に、寸前で止める突きを放つ。その突きには、殺意ではなく、**「武道家としての正気を取り戻せ」**という、私の全ての意志が込められていた。

​ 先輩は突きを避けることも、受け止めることもできなかった。体幹の奥深くまで、その**「無殺意の衝撃」**が浸透した瞬間、彼の膝が再び地面についた。

​「…なぜ、殺さない…」

​ 先輩は絞り出すように言った。その目の奥には、狂乱の炎ではなく、失ったはずの、家族を思う悲しみが滲んでいた。

​「先輩、空手は…守るためにあるんです」

​ 私は静かに言った。外には、サイレンの音が近づいてきていた。水戸将軍の狂った命令は、まだ終わっていない。だが、私は今、師から受け継いだ**「武道の心」**を守り抜いた。


 順位


 1位 小田 信長 320点 組織的な犯行で初期からトップを独走。現在、宗像との決戦で負傷し、活動を停止中。


 2位 宗像 先輩 285点 空手技で一時は信長を猛追。佐藤との一戦後、逮捕・連行されたため失格。


 3位 那須 隆也 190点 借金返済のために参戦。宗像失格後、猛烈に点数を稼ぐが、佐藤との対峙で制止される。


 4位 その他の追随者 80点以下 小規模な集団や個人。信長・宗像・那須の三強の陰に隠れている。


 圏外 佐藤 0点 参加者ではなく、武道の心を守るためにランキング参加者を制止する側の人間。

 

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