第1話 はじめまして、魔王様
「……お茶、どうぞ」
目の前に差し出されたカップから、ふわりと湯気が立ちのぼる。
琥珀色の液体は、ほんのりと甘い香りを漂わせていた。
「……ふむ」
銀髪の男――魔王ゼルヴァは、無言でカップを手に取り、ひと口すする。
その仕草はどこか優雅で、けれどどこか不機嫌そうでもあった。
「……悪くない」
「よかったです」
私はほっと息をついて、そっと自分のカップにも口をつけた。
少し苦味のある、でもどこか懐かしい味。
日本でよく飲んでいた紅茶に、少し似ている気がした。
* * *
「で、君は……その、魔王様?」
「ゼルヴァだ。魔王“様”などと呼ぶなと言ったはずだが」
「ご、ごめんなさい……」
「……まあいい。お前が“聖女”であることに変わりはない」
「えっと……その、“聖女”って、なんですか?」
ゼルヴァは、じっと私を見つめた。
その瞳は深紅で、まるで夜の炎のように揺れている。
怖い、はずなのに、不思議と目を逸らせなかった。
「お前は、我が魔界に“呼ばれた”存在だ。癒しの力を持ち、世界の均衡を保つ者。……それが、聖女だ」
「癒し……?」
「そうだ。魔界は今、瘴気に蝕まれている。お前の力が必要だ」
私は、自分の手を見つめた。
細くて、特別なことなんて何もできない、普通の手。
でも、あのとき――空から落ちる直前、確かに何かが胸の奥で光った気がした。
「……わかりました。できることがあるなら、やってみます」
ゼルヴァの眉が、わずかに動いた。
「……意外だな。もっと取り乱すと思っていた」
「うーん、たぶん、まだ実感がないだけです。あと……」
私は、そっと笑った。
「なんだか、こっちの空気のほうが、落ち着く気がして」
「……変わったやつだな」
ゼルヴァはそう言って、ふいと視線を逸らした。
その横顔は、どこか照れているようにも見えたけれど――気のせい、かな。
* * *
その後、私は魔王城の中を案内された。
案内役をしてくれたのは、ゼルヴァの側近だという夢魔の女性――リリィさんだった。
「ふふっ、あんたが新しい“聖女ちゃん”ね。思ったより可愛いじゃない」
「え、あ、ありがとうございます……?」
「そんなに緊張しなくていいのよ。ここは魔界だけど、意外と平和なの。ほら、あそこが食堂で、こっちが図書室。あ、温泉もあるわよ〜」
「温泉!?」
「そう、魔界式だけどね。硫黄の香りがちょっと強いけど、効能は抜群よ。肩こりとか、すぐ治るわ」
「肩こり……魔族もなるんですね……」
「なるなる。魔王様なんて、肩バッキバキよ。あの人、意外とデスクワーク多いから」
「えっ、そうなんですか!?」
「ふふ、意外でしょ?」
リリィさんは、くすくすと笑いながら、私の手を引いて歩いた。
魔王城は思っていたよりもずっと明るくて、どこか温かみがあった。
石造りの廊下には、色とりどりの花が飾られていて、窓からは赤い空が見えた。
「ここが、あんたのお部屋ね。気に入るといいけど」
案内された部屋は、広くて、ふかふかのベッドと、木製の机、窓際には小さなティーテーブルまであった。
まるで、童話の中のお姫様の部屋みたいだった。
「……すごい。私、こんな部屋に住んでいいんですか?」
「もちろん。聖女なんだから、もっとわがまま言ってもいいのよ?」
「いえ、十分すぎます……!」
私はベッドに腰を下ろし、ふうっと息をついた。
ふかふかの感触が、じんわりと背中に広がる。
「……なんだか、夢みたい」
「夢じゃないわよ。ここは魔界、そしてあんたは“聖女”」
リリィさんは、そう言ってウィンクした。
* * *
その夜、私は魔王城の庭に出た。
空には、赤い月が浮かんでいた。
風はひんやりとしていて、けれどどこか心地よかった。
「……ひより、元気にしてるかな」
ぽつりと呟いた声は、夜の空に溶けていった。
あの子の作ってくれた卵焼き、もう一度食べたかったな。
あの子の声、笑顔、あたたかい手――全部、遠くなっていく。
「……泣くな、聖女」
ふいに、背後から声がした。
振り返ると、ゼルヴァが立っていた。
いつの間にか、私のすぐそばに来ていたらしい。
「……泣いてません」
「嘘をつけ。お前の目は、赤い」
私は、そっと目元を拭った。
涙なんて、出てないと思ってたのに。
「……ごめんなさい。ちょっとだけ、思い出しちゃって」
「……そうか」
ゼルヴァは、私の隣に腰を下ろした。
しばらく、ふたりで黙って空を見上げる。
「……茶は、飲むか?」
「……はい」
私は、そっと笑った。
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魔王城でお茶をどうぞ。〜転生聖女は今日もマイペース〜 aiko3 @aiko3
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