021 自分の立場とこっちの譲歩

 アルフレッドは黙っている。こいつが自分に寄生している? 今の今までそれどころではなかったので気にも留めなかったが、途端に全身に鳥肌が立つ。


 自分の血管に他人がいる。


 元々氷漬けで鳥肌は立っていたが、更に増えた気がした。


「嘘……やだ、ちょっと! 出てってよ、気味が悪い! 私の身体よ!」


【寝ぼけたこと抜かすな恩知らずが!】アルフレッドが唾の代わりに血を飛ばす勢いで罵倒する。【オレがいなきゃ、テメエは今頃あの世だったろうが!】


「ストーップ!」


 ミキの手刀が、目と鼻の先ほどしかない二人の間に割って入る。アルフレッドが刺す気配があったが、ミキの手は銀糸を織ったグローブで覆われて、刺す余地がない。ミキが話を引き継ぐ。


「色々あるだろうけどね、今はアタシに話を進めさせてよ。こんなところで脱線ばかりして、風邪引いちゃうのは御免だよ」


 二人が舌鋒を納めたと見て、柏手一つ。ミキが話を取り仕切る。


「手短にいこう。エリーさんはアタシたちで保護するよ」


「ッシ」話の外野で、握った拳で手応えを表現するヘーゼル。


「本当に?」エリーが沸き立つ。「私、助かるんですか!」


「ぬか喜びさせたくないから言っておくけれど、それはアルフレッドの出方次第かな。こいつの拘束と監視も兼ねて、付きっ切りで看てあげようにも、面倒は御免だからね」


 それでも、助かる。かもしれない。


 エリーは大口をわななかせて、目を熱く潤ませた。ぼろぼろと涙に崩れた相好で、ミキさん、ありがとう。ヘーゼル本当にありがとう。顔を赤らめようが鼻水を垂らそうが構わず、感謝を口にし、エリーはむせび泣く。ヘーゼルもつられて洟をすすった。


【アルフレッドにもありがとうは?】


「うっさいわね!」エリーの涙が引っこんだ。


【命の恩人に向かって、口の利き方がなってねえぞ!】


「とっくに恩は帳消しになってんの!」


 諸悪の根源が何を言っているのか。ヘーゼルも「てめえ空気読めよ!」と同調してくれている。しかし、その慌てふためく視線はミキに向いており。


 稲光と雷鳴が、同時に轟いた。霧を破って光が瞬き、廃墟を一挙に漂白する。全員の身がすくむ。ミキを除いて。


 ミキの周囲に、微風が漂っていた。


「手短に、って言わなかったっけ」その声は冷めていた。「アタシはね、子守りだけは誰にも頼まれないんだ。四六時中酔っ払っているせいじゃないよ。ここさ……託児所だったっけ。アタシの勘違いかな」


 大人なら、お話できるよね。ダメ押しの落雷が、ミキに影を落とした。エリーはともかくアルフレッドまで絶句し、ヘーゼルは仕舞い忘れた尻尾を股間に挟んでキュウキュウ鳴いていた。


「ごめんね、怖かったよね」


 抑揚の控えめだったミキの声が、微かに和らいだ。


 泣き腫らしたエリーは、今度はキッと顔をしかめ、小声を張ってアルフレッドに言い含める。


「ちょっとあんた、今のみたいに滅多なこと言わないでよ!」


【指図すんじゃねえ。テメエは母ちゃんか】


「そういうのを言ってんの!」


「ま、脅しに耳を貸すタマじゃないよね」


 呆れて頭を掻くミキだったが、さすがに見かねて二人の間に入った。


【……で、食用種風情が大きく出たな。殺されてえか】ミキを挑発する。


「できるならとっくにやっているんじゃないのかい?」アルフレッドが口を開け閉めする。「さっきの不意打ちが最後のチャンスだったね。ああいうのはもうネタが割れているから。はい残念」


 続いて保護、拘束、監視の条件の大枠を決める。アルフレッドに次の条件を呑むよう求めた。破れば即刻駆除すると念を押して。


「ほらちゃんと聞きなさい!」母親っぽくエリー。【しつけえ!】子どもっぽくアルフレッド。


 エリーの妊娠が終わるまで、エリーと胎児の安全を保証すること。その間、人間や亜人種を攻撃せず、また殺さないこと。眷属を増やさないこと。


【呑めるかボケ】


「最後まで聞いておくれよ。えーと、後は、妊娠が終わると同時に、エリーを五体満足で解放し……」


【知らねえっての。話にならねえ】


「ちょっと!」エリーがたしなめる。


「ハッハ。こっちが下手に出たら良い気になっちゃったよ、こいつ。ヘーゼル、短剣!」


「ちょっとお!?」エリーが途方に暮れる。


 ミキが得物を催促するのを、ヘーゼルはまあまあとなだめる。


「こいつを庇うつもりじゃねッスけど、それはちょい考えたげた方が良いッス」


「どうして?」


「何でか知らねッスけど、エリーと自分、襲われたッス。抵抗くれえはさせてやんねえと……」


 崖上で氷漬けにした見張り、崖肌で見逃してやった射手、周りの死体。ミキにも思い当たる節がある。このエリーという女は命を狙われていて、何者かに追われて、こんなところにまで侵入した。一応、筋が通る。


「エリーさん、どういうことか説明してくれるかい?」


 できない。エリーには記憶がない。


 正直に告白すると、ミキはヘーゼルの反応を伺う。どうも本当らしいとわかると、大儀そうに腕を組んで首を捻る。ひとしきり悩んだ末に溜め息をついた。


「じゃ、護身のためなら実力行使しても良いよ。殺しちゃダメだけど」


【誰に断って話を進めてやがんだ。オレは納得してねえ】


「良い加減、自分の立場とこっちの譲歩を理解しなよ」


 霧が凍って細氷となり、月明りを受けてきらめいた。ミキの声も冷たい呼気を含んでいる。「ミ、ミキしゃん?」エリーの表情も凍てつき、声がしゃくれた。和らいだと思っていた声音に、冷徹さが戻っている。


「こっちはいつでも、親子諸共君を消しても構わないんだよ。駆除を延期したのは、師匠に歯向かった弟子の無謀さに免じてであって、決して君たちに情けをかけた訳じゃないのさ。不肖の弟子と違って、アタシは最初から覚悟を決めているし、本気だって、もうわかっているよね」


 アルフレッドに向けた脅し、とは理解できる。しかし、険のある言葉はエリーにも切れ味鋭く、思わず身体を強張らせ、生唾を呑ませた。怯えたエリーがいないかのように、ミキは続ける。


「さて、エリーさんが死にたくないのは当然として、後は、一番の問題児くん、君の胸三寸にかかっているのがわかるね?」


【……ぎゃは。ごちゃごちゃ言っちゃいるが、人狼の小娘のせいにして、テメエだって殺したかねえくせによ】


「そうだね。君だって人を襲いたくてうずうずしてるだろうさ。だけど、死ぬまでそうしろ、って訳じゃない。これはね、時間稼ぎさ。アタシが吸血鬼を駆除するまでの、エリーさんが生き延びるまでの、子どもが生まれるまでの、そして、君がアタシたちの目を盗んで力を蓄えて、返り討ちにするまでの、ね」


【面白え冗談だ。からかってんのか。そりゃ暗に、隠れて血を飲んでも見逃す、つってんのも同然だぜ?】


 仮面の奥から、静かな瞳が血を見つめている。見下して笑う血が、次第にその表情を鎮めていく。


【手付金を要求する、ミキ・ソーマ護律官。今ここで、テメエの血を四百㏄差し出せ】

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