022 身体の最も深いところの味
エリーとヘーゼルがざわついた。
「乗っちゃダメッスよ若隠居! こいつ吸い尽くすつもりッス! おいコラてめえアルフレッド! 血が欲しけりゃ自分のを」
【麻酔食らって朦朧としてやがるアマの血なんざ飲めるか】
「アル中のは良いってのかコラ!」そこはかとなく不服そうだ。
「アル中じゃないもん!」明らかに不服そうだ。
【アル中だろ】「すみません、引くほどお酒臭いです。実はさっきからずっと吐きそうで……」と共生コンビ。
「君らのために頭捻ってるってのに酷くないかい!? もう良いよ! 閃いちゃったもんね!」
露骨に拗ねたミキが、回収したばかりの酒瓶をホルダーから抜く。
「これで大体二百㏄だから、これ一気して血を詰める! 二回分だよ! これで文句ないよね! ねえ!?」
三人、耳を疑った。
「若隠居、抑えて。捨てりゃ良いじゃないスか」
「うるさい! ご覧よ、この手!」ぷるぷる震えている。「ここ来るまでにかけた時間で本当なら何本空けられたと思ってんだい!」
「それモロにアル中の症状ッスよ! だからいつも量減らせっつってんじゃないスか!」
「うるへー!」
騒ぐ間に、瓶の紐が引かれ、蝋キャップが取れた。革蓋をめくって外気に触れる間も与えず、ミキは中身を一息に煽った。「ああーっ!?」ヘーゼルの悲鳴が尾を引く中、至福の溜め息が、今日一番の酒気を放つ。
酔いが、脚に来ていた。
「だから言わんこっちゃ……」
酔っ払いの肩を支えに回ったヘーゼルの脳天に、空き瓶が叩きつけられる。鈍い打撃音とガラスの割れる澄んだ音が重なり、粉々のガラスを浴びて、ヘーゼルは卒倒した。エリーの悲鳴が滑稽に上がる。
「
ふらつきながら、ミキはエリーと額を突き合わせる。エリーは嫌な予感がした。だが、手足を動かそうにも氷漬けで感覚がなくなってきている。アル中から、逃げられない。
「らからぁ、ガブってしゅんなら、こ~こ」
フェイスベールが摘ままれ、めくられた。チェーンがさらさらと落ちる下、布の影に薄っすらと艶やかな唇が現れ、ンベ、と舌を垂らした。
「あのミキさん! 血は瓶詰でって! ヘーゼル! ヘーゼル!? ひい!」
ミキの両腕が艶やかに、エリーの首に絡みつく。めくれたフェイスベールが銀仮面を隠していた。酒が回った赤い頬が、乱れた唇が、エリーの貞淑を破ろうと迫る。首を逸らしてエリーが逃げる。しな垂れてミキが追い詰める。
「ちゃあんと飲んれねえ、あるふれどお」
女たちの唇が、塞がった。エリーの中に柔らかな舌肉が滑りこみ、犬歯を挑発的に舐めてくる。頭が真っ白になった。これ、キス。強烈な酒精と樽の残り香がしっとりと、熱と共に口腔に染みてくる。生温かい息遣いと粘膜の絡む音が、耳にこびりつく。
【
何だが知らねえがチャンスだ。エリーの目が血に染まる。機を見てアルフレッドはエリーの身体の主導権を握り、ミキの舌に牙を立てた。ぶつり、と肉を裂く感覚が返ると同時に、赤くとろみのある熱の甘露が口を潤していった。
】ちょっと! 勝手に代わんないでよ!【
るせぇ! ビビッて勝手に引っこんだのはそっちだろうが!
】ミキさん! 逃げて! 正気に戻って!【
意識から一歩退いたエリーに、声を届ける手段はない。ヘーゼルを痛めつけようとしたときに咄嗟に身体を取り返せたが、今、あのときの感覚を再現できる自信はなかった。
まさに、貪る口づけだった。止まらない。粘液を交換し、それ以上に濃厚な命の通貨を取り立てる、情交に似た食餌。止められない。むしろ、同性であっても生命の秘所に火を点けるかの如き欲の発散が、器の娘と、生ける血と、酔客の意識を浮つかせ、血肉を火照らせた。のめりこむ。
口を交わし合う二人の端に、紅の筋が垂れ、それを互いに補うようにして舐める。
傍から見れば、耽美であったことだろう。しかし。
「……酒臭い」】気持ち悪い【
ヘドロからガスが湧くように喉が鳴り、呻いた直後、うぷぉ……とアルフレッドは頬を膨れさせた。エリーの胃が縮む。
アルフレッドは酒の臭いに、エリーは加えて血生臭さにしばらく堪えたが、胃が怒涛の断固返品を敢行し、止めどなく血が返ってきた。ごっぽぽぽ。遠退きかけた意識を追って、赤くなった白目を剥いた。血の涙が流れる。
舌の根に、苦酸っぱさがこみ上げた。
「ブボッ、げおろろろろろ!」
ミキが吐瀉物を顔で受け、神聖な衣装が穢されていく。苦酸っぱい臭気が酔った鼻腔で暴れ狂う。ミキは言葉にするのもおぞましい汚物に塗れ、酸鼻を極める臭気に晒され、飲まされ、汚された。
「……ぉえ」
たらふく受け皿になったミキの腹から、受けた分以上がきゅるきゅるとこみ上げる。
上を向いて吐いたら溺れる。ミキがそう考えた訳ではない。生命に備わった危機回避能力が、彼女を動かした。
吸血鬼に匹敵する膂力で、アルフレッドの頭を掴む。アルフレッドは丁度バケツのような体勢になった。
「お゛っ!? ぅぽぼろろろろろおおぉえッえッエェーッゲ、ッボオオオ‼」
「んぼ!? んぼぼーッ!」
以降、応酬。
霧と廃墟が、血反吐に塗れ、身体の深いところで睦み合う二人を隠していた。
†】
間もなくヘーゼルが意識を取り戻し、惨状を目にした。酷い目眩を耐えつつ、ぐったりとへばる二人を目にした最初の感想は「え、これの面倒、一人で見んの?」だった。
遅れて散乱する肢体のことを思い出し「え、後始末は?」と途方に暮れる。
ふと、耳が動く。馴染みのある遠吠えが聞こえる。ヘーゼルの身の安全を尋ねる内容だった。
正直なところ、くたくたのぼろぼろだ。今すぐ姉に泣きつきたい。しかし、これでも護律協会員のはしくれなので、協会の領分を超えて助けを求めることは遠慮しなければならない。
大丈夫、終わった。その意を込めて、遠吠えを返す。
じっと夜霧を仰ぐ。洟をすする。さすがに冷水を浴びすぎたのか、鼻が詰まっていた。
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