第2話 褒めまくってチップをもらおう作戦

 岡本さんからいろんな話を聞いた中で、地理を早く覚えることが特に重要だと感じた俺は、休憩後すぐに今まで行ったことのない地域を走り回った。

 走りながら、地名を一つ一つ確認していると、突然マイクから『ピロピロ』と音が鳴った。これは無線配車を知らせる音で、俺はすぐに指示された番地に向かって車を走らせたが、初めての経験で気が焦っていたのか、なかなか目的地にたどり着けなかった。


(おかしいな。たしかこの辺のはずなんだけど)


 客を待たせていることにプレッシャーを感じながら、目的地周辺をウロウロしていると、二十メートルくらい前方で、腰の曲がったおばあさんがこちらに向かって手を振っているのが目に入った。

 俺はあの人が指示された客だと確信し、ホッと胸を撫でおろしながら車をおばあさんの横に付け、ドアを開けて素早く降りた。


「田中様でございますか?」


 一応名前を確認してみると、おばあさんは「そうだけど、えらく時間が掛かったねえ。もしかして道に迷ってたとか?」と、やや不機嫌そうな顔で言った。


「ええ、です。そうなんといっても、別に山や海で危険な目に遭ったわけではありません。えっ、そんなことわかってるって? そうですよね。これはどうも失礼いたしました」


「えっ? 遅くなったうえに、そんなふざけた態度を取るなんて、どういうつもり?」


 俺は少しでもおばあさんの機嫌を良くしようと、小粋なギャグをかましたつもりだったのだが、それが完全に裏目に出てしまった。


「私はただ、お客様を待たせてしまったお詫びに、少しでもお客様の心を和ませるつもりで言ったのですが、どうやらお気に召さなかったみたいですね。お望みとあれば謝りますが、いかがいたしましょうか?」


「いや、別に謝らなくてもいいよ。それより運転手さん、初めて見る顔だけど、いつ入ったの?」


「実は今日からなんですよ。そしてなんと、田中様は私の記念すべき一人目のお客様なんです」


 俺はこの先の展開をスムーズにしようと、咄嗟に嘘をついた。


「へえー。でも、せっかくの記念すべき一人目が私みたいな年寄りで、さぞかしガッカリしたんじゃないの?」


「そんなわけないじゃないですか。むしろ光栄に思っています。私の記念すべき一人目のお客様が、田中様みたいな素敵な女性であられたことに。私はこの瞬間を一生忘れないでしょう」


「たとえお世辞とわかっていても、そんなに褒められると、照れちゃうね」


「お世辞ではありません。心の底からそう思っています。その証拠に、緊張のあまり、さっきからずっと手が震えてるんですよ」


「あら、大丈夫? ちゃんと安全運転でお願いしますよ」


「はい、お任せください」


 その後も、俺はおばあさんを褒めまくった。

 やがて目的地に着くと、おばあさんは「運転手さんのおかげで、楽しい時間を過ごせたわ」と言って、料金とは別にチップを五百円くれた。

 俺は内心ラッキーと思いながらも、それは表情には出さず、「こちらこそ、初めてのお客様が田中様で、本当に良かったです」と無難な返答をし、ドアサービスをしながら、おばあさんを車から降ろした。



 その後も知らない町を探索していると、三十代半ばくらいの女性が手を挙げているのが目に入った。

 そのまま女性を乗せ、行き先を尋ねると、「○○まで」とぶっきらぼうに返されたため、俺は空気を読んで、しばらく無言で運転していたが、やがて沈黙に耐えられなくなり、思い切って声を掛けた。


「失礼ですが、お客様おいくつですか?」


「はあ? 三十四だけど、それがどうかしたの?」


「えっ、そうなんですか? 見えないですね。パッと見た感じ、三十三くらいだと思いました」


「なにそれ? 一歳しか違わないじゃない。普通こういうときは、二十代に見えますねとか言うものなんじゃないの?」


「なるほど。確かにお客様の言う通りですね。いやあ、一つ勉強になりました」

 

 俺はボケたつもりだったのだが、女性はそれに気付いていないようだった。


「お客様、どんなお仕事をされてるんですか?」


「長距離のトラック運転手だけど」


「それは大変ですね。じゃあ、夜中にも走ったりするんですか?」


「まあね」


「時間が不規則だと、肌が荒れて困りませんか? あっ、でも見た感じだと、そうでもないですね。ということは、メイクに相当力を入れてるんですね」


 ルームミラーを見ながらそう言うと、女性は「はあ? あんた、さっきから何言ってんの? 失礼でしょ!」と、なぜか怒り出した。


「すみません。よかれと思って言ったのですが、お気に召さなかったのなら謝ります。ところで、先程から気になっていたのですが、そのバッグ、ブランド品ですよね。誰かにプレゼントされたんですか?」


「いいえ。自分で買った物だけど」


「そうだったんですか? お客様お綺麗だから、私はてっきり男性にもらったものだと思っていました」


「今更、そんな取って付けたようなお世辞を言わなくていいわよ。いいから、もう黙ってて」


 先程のおばあさんで味を占めた俺は、『とにかく褒めまくってチップをもらおう作戦』を再度実行してみたが、今回はことごとく失敗に終わった。

 やがて目的地に着き、メーターの料金を読み上げたところ、案の定、女性がちょうどの金額を差し出したので、俺はダメ元で訊いてみた。


「あのう、お客様、チップは?」


「はあ? 馬鹿じゃないの? チップなんか払うわけないでよ! あんた、散々私に不愉快な思いさせといて、よくそんなこと言えたわね」


 女性に不愉快と言われ、カチンときた俺は、こんな風に言い返してやった。


「お客様、とか言っちゃって。そんなこと訊かなくても、今は冬ですよ」


 「うるさい! 死ね!」


 女性は強烈な捨て台詞を吐くと、そのまま逃げるように去っていった。

 








 

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