吾輩は猫又である

@hachio_haru

第1話

吾輩は猫又である。名前は死ぬほどある。

現世だけでも、行きつけの魚屋では「タマ」と呼ばれ、公園を歩けばガキンチョたちが「ミー」と呼んでくる。どうやら三毛猫から「ミーやミーちゃん」と呼ぶらしい。時代がいくつ変わってもこのミー呼びは変わらない。

私が一鳴きすれば、人間と呼ばれる者たちは破顔し、貢物を差し出してくるのだ。なんともWIN WINな関係だろう。


そう、私は長く生きているため、人間が使う言葉を理解できる。最近ではインバウンドというやつのせいで、海の外の「外国」と呼ばれるところから来る者が増えた。

次は英語を覚えようと思う。私もインテリ猫又になるのだ。


私の一日は忙しい。朝からやらなければならないことが決まっているからだ。これをルーティンと呼ぶ。まだ陽が昇らないうちから鼠を狩に行かなければならない。これは猫又になっても変わらない猫の習性だ。何とも情けない。この姿は見られたくないものだ。

人間たちが活動し始めたタイミングで、パトロールに出る。街の様子や猫たちの様子を見に行かなければ。野良たちの安全を守るのも私の仕事だ。だが、ここ最近外に出る猫が少なくなった。野良猫は捕獲され連れて行かれる。帰ってきたかと思えば繁殖能力を取られているのだ。悲しい現実だ。この世の中は人間中心となってしまったのだ。恐れられていた我々妖怪も立場が逆転し、妖怪が人間を恐れている次第だ。


暖かな午後の日差しを堪能しようと、昼寝ポイントへ向かう。

お腹が満たされている今、至福の時間となる。

……はずだった。


公園を横切ると、数人のガキンチョたちに囲まれた。

「ミーだ! ミー、遊ぼ」

私の頭ほどの広さの手を、次々と差し出してくる。

退散!


しかし、今日のガキンチョたちはしつこかった。

追い回され、すっかりヘトヘトだ。


満身創痍とまではいかずとも、かなり疲弊した状態で昼寝ポイントへ辿り着く。


つ、疲れた……。

子供という生き物は、何度経験しようとも厄介だ。動きがあまりにも予測不可能すぎる。


これが、いけなかった。

私はそのまま、深い眠りに落ちてしまったのだ。


深く沈んだ思考の、ずっと上のほうから、微かに「可愛い」という声が聞こえる。

頭から背中へ、優しい風が撫でていく。

心地よい。安心する。

思考を浮上させることなく、身を任せてしまった。


——が。


突然、身体のすべてが包囲された。


「っ?!」

な、なんだ?


急上昇っ!


慣性の法則って知ってる?

物体に外部から力が加わらない限り、静止している物体は静止し続け、運動している物体は等速直線運動を続けるという――

……と、確かWikipediaに書いてあったはずだ。


私の静止し続けた身体を急に持ち上げるなんて!(確か、遊園地と呼ばれるところにアトラクションでこんな乗り物があるみたいだけど…) なんて悠長なことを考えている場合じゃない! 


そこには、私を抱きしめて立っている少女がいた。

優しい風だと思っていたのは、この少女が撫でていたのか。


少女は私の顔を覗き込み、微笑んでいる。


「さっ、いこっか」

と言ったと思ったら、そのまま歩き出した。


「えっ、えっ、えっ、いこっか。って、どこに?」


何を隠そう、私はここ何年も、人間に捕まるなどという失態をさらしたことはなかった。

なのに、急なことで頭が追いつかない。

ジタバタと身体を捻って逃げ出す、という行為さえ忘れてしまっていた。


猫は軟体動物。

猫は液体。

いくらでも逃げる術はあったはずだ。


「逃げなきゃ」と身をよじろうとした、その瞬間、ふっと鼻を掠めた。香りが。


死の香りが……。


私は思わず、少女の顔を見上げた。

瑞々しい肌。桃色の頬。艶のある髪……。


まさか、この少女から……?


気になる……。私はこの少女に興味を持った。

知りたいと思ったことは、とことん追求する。これが猫又性における幸福論。私の持論だ。


不覚…。いや、想定内だ。私は自分の意思で、ここにいる。


そう、私は家猫になったのだ。


少女の名前は今井陽向(いまい ひなた)。両親と三人暮らしで、戸建てに住んでいる。そして新しい家族が増えた。そう、この私である。ミーではなく『きなこ』となったらしい。


恐怖の時間がやってきた。野良から家猫へなるための洗礼の儀式。

……お風呂だ。


こればっかりは耐えられない! 戦争だ! 戦ってやる!


「ギャー、やめてー!」

「フギャー!」


陽向母と、私の声が重なる。

人間も猫もボロボロである。


「ねぇ、ママ見て。きなこの耳。ギザギザー」


陽向は戦闘によりグシャグシャになった毛並みを乾かしたあと、ブラシをかけながら陽向母に話しかけた。


「あー、地域猫なのねぇ。野良猫は不妊治療をされてから、また外に返されるのよ。その印として耳をカットするのよね。もう手術終わってますよ、ってこと」


なんだとーっ!

私のこの高貴な耳に、不妊治療の痕だとー!


私たち猫又は、妖力が増すごとに耳に切れ目が入っていくのだ。


怒りでプンプン…

…ゴロ ゴロ ゴロ…


「ねぇ、ママー、きなこの喉めっちゃゴロゴロいってるー。」


「陽向の膝の上が気持ちいいのねぇ。」

「可愛いねぇ」


!? いや、怒ってるよ。私たち猫又の誇り高き耳を貶されて怒り心頭だよ。でも、この気持ちよくなると勝手に喉が鳴っちゃうんだよ。 


会社から帰宅した陽向父との対面を済ませ、人間たちはそれぞれくつろぎ始めた。

陽向も、あの恐怖のお風呂を済ませたようで、全身からホワホワとした湯気を立ち上らせながら近づいてくる。


さて、そろそろ本題に入ろう。


私は陽向の身体にスリスリと身を寄せる。可愛さアピールに見えるであろうCUTEさを全面に出しつつ、匂いを嗅いでいく。


ソファーに座っている陽向からは、やはり死の香りが、石鹸の匂いに混ざって漂っている。

とくに足の方からだ。

左膝の上あたり。

おそらくここに、病の種が植え付けられているのだろう。


さて、これからどうやって人間たちに伝えていくか……だ。


それから数日が過ぎていった。相変わらず陽向は元気で、家族も彼女の身体に病魔が潜んでいるなんて、ちっとも気づいてはいない。


私が今できることは、この柔らかい肉球で病の種が植えられている場所を押すことだけだ。全ての人間を魅了し続ける肉球で、である。


陽向は「もう、きなこー、そんなに押したら痛いよー。爪も出さないでよ。」と、病気のせいで痛いなんて微塵も思っていない様子だ。


家族が寝静まった夜、徘徊中にカチッと音がした。

その瞬間、白く眩しい光が部屋を淡く照らした。

どうやら踏んだのは、パソコンと呼ばれるもののようだ。


画面には赤い字で Yallah! と表示されている。


これは……いけるかもしれない。

試しに「ひ」「よ」「き」と打ってみる。


画面には v294g と書かれている。


「な、なんだこれ?」

「あ」を押すと「3」、「い」を押すと「え」……「い」が「え」?

よく見ると、そのボタンには「い」の他に「E」と書いてある。なるほど、これは世に言うローマ字入力というやつか。


「びょうき」と打ち込んでみる。陽向父がPCに向かってる時にやたらとEnterというボタンを押しているのを見ていたので少し大きいボタンを押す。すると画面には「病気 症状なら」や「病気一覧」など「病気」から始まる言葉がずらっと並んでいる。


さらに陽向に当てはまる語句を足していく。「10代 左膝 痛い 病の種」と入力し、Enter。


画面には「オスグッド病」と表示されていた。

「なになに…オスグッド病は、小中学生男子に多い膝のオーバーユースによる成長期スポーツ障害の代表疾患です…これじゃない。」


検索ワードを変えてみる。「10代 死ぬ 病気 足の痛み」と入力。

「死ぬほど痛いリュウマチ…いやいや、実際に死んじゃうんだってば。」

難しいな。よし、じゃあ、「死ぬ病気」と打ち込もう。


結果は「心疾患、癌」。

心疾患ではない。こっちか。癌……


次に、「10代 癌 左膝上が痛い」と入力し、Enter。

そこには「骨肉腫」という文字が表れた。


骨肉腫…骨肉腫は、骨に発生する悪性腫瘍(がん)の中で最も頻度の高い代表的ながんだ。10歳代の思春期、すなわち……

「これだ。おそらく陽向は骨肉腫という病気なんだ…。」


翌日、今井家は変わらない日常を過ごしている。

私は相変わらず、陽向の病気のありそうな場所を押す。


「ママー、きなこがいつも押してくるところが痛い。」

「膝でしょう? 今は成長期だからねぇ。きっと陽向、背が伸びるよー。」と呑気に返事をしている。


夕飯の美味しそうな匂いがしてきた。今日のメニューは鯖の味噌煮らしい。

これはもしかしたら、ご馳走様にありつけるかもしれない。なんてニマニマしながら待っている。すると、


「はい、今日は鯖だから、きなこの分も茹でてあげたよー。」

陽向母が私専用器を持ってきた。


すっかり家猫特権を甘んじて受け入れてしまっている自分のことは考えないようにする。

ガツガツといただいた。


陽向父も帰宅し、家族団欒の時間が始まる。

突然、陽向父の声が部屋を震わせた。


「な、なんだこれは?」

全ての視線はPCに向けられる。


「誰かPC使った?」

「使ってない」

「それじゃ、なぜこんなにも病気に関する検索がされているんだ?しかも、骨肉腫!?」


そこには、病気に関する検索履歴がずらりと並び、特に骨肉腫に関するものが目立っていた。


「誰も検索していないのに?なんか怖いね」

陽向は、私を抱えている腕にぎゅっと力を込めた。


「ところでパパ、その骨肉腫ってどんな病気なの?」

「えっと…骨肉腫は、10代の成長期を中心に発症しやすい悪性骨腫瘍で、進行が速く転移しやすいという特徴があります。膝や腕などの骨端部に多く発生し、痛みや腫れが初期症状として現れることも少なくありません」


「えっ、それって…」

空気が、一瞬冷えた気がした。


次の日から、陽向の家族は慌ただしく動いていた。

やはり、陽向は骨肉腫だった。

ただ、幸いにも早期発見だったらしく、化学療法で完治も可能だとのことだ。

陽向の検査入院などで、家族は家を空ける時間が長くなった。


「陽向も死の香りを放つことはなくなるだろう。

さて、そろそろ私の日常に帰ろうかな」


なかなか悪くないもんだな、家猫というのも。


今井家のPCに

「おせわになりました」と入力する。


吾輩は猫又である。名前は死ぬほどある。英語と医療の知識が多少あるインテリ猫、そして何より so cute なのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

吾輩は猫又である @hachio_haru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画