第13話 評価
廃ビルの朝は、いつもより少し遅かった。
公園での戦いから一週間が経ち、群れは再び拠点に戻っていた。悪霊の気配は街全体に薄く散らばり、すぐに新たな脅威になる兆しはない。人間の世界は変わらず、負の感情を吐き出し続けているが、今は静かだ。猫たちは、機械の残骸の陰で体を休め、傷を舐め、互いの匂いを確かめ合う。馴れ合いはないが、疲労の共有はある。
オレは、輪の外側に座っていた。
いつもの位置。完全に中心に入れていない、端の場所。だが、もう警戒の視線は少ない。若い猫たちが、時々ちらりと見てくる目は、嘲笑ではなく、興味に変わっている。老いた猫たちは、無関心を装いつつ、耳を少し動かす。クロトは、片目を閉じて、コンクリートの床に体を横たえている。
朝の光が、割れた窓から差し込み、埃を浮かび上がらせる。
風が、通路を通り抜ける。外の雑草が、ざわめく。
クロトが、ゆっくりと立ち上がった。
その瞬間、輪が静かになった。
十六匹の猫が、息を潜め、クロトを中心に集まる。自然な動き。訓練された動き。オレも、輪の端に近づいた。まだ、外側だが、以前より近い。
クロトの片目が、みんなを見回した。
低い声が、廃ビルの空気を振動させる。
「評価する」
短い言葉。
だが、重い。群れに加わった新参者は、試され、評価され、役割を決められる。一匹狼だったオレは、特に長く試された。見張りとして、斥候として、戦いに参加して。
まず、見張り役の若い猫が、報告した。
「灰縞の動きは、速い。異常を、最初に察知した」
結界役の老いた三毛猫が、続けた。
「単独で、気配の変化を探った。結界の外で、役に立った」
実働役の縞猫が、鼻を鳴らした。
「突っ込みそうになったが、止まった。連携を、乱さなかった」
クロトが、頷いた。
みんなの目が、オレに集まる。
警戒は、もうない。代わりに、認めているような静かな視線。
クロトが、オレをまっすぐ見た。
「お前は、正式に迎え入れる」
その言葉に、輪が微かにざわついた。
若い黒猫が、尻尾をゆっくり振った。老いた白猫が、目を細めた。誰も、反対しない。
オレは、息を吐いた。
胸の奥が、少し軽くなる。群れに、属する。初めての感覚。一匹で生きてきたオレが、帰る場所を手に入れる。
だが、クロトは続けた。
「役職は、与えない」
輪が、再び静かになる。
「見張りでも、結界でも、実働でもない。お前は、斥候のまま。だが、固定しない。自由に動け」
他の猫たちが、耳を動かす。
驚きはない。理解しているような目。オレの特性を、知っている。
群れに属しながら、縛られない立場。
オレは、一匹狼の過去を、捨てていない。
連携に完全に馴染めない。背中を預けるのは、まだ慣れない。判断を、誰かに委ねるのは、嫌だ。単独で動き、気配を探り、危険な場所に先に入る。それが、オレの強さ。
クロトが、説明した。
「お前は、群れの外側を歩け。内側に入る必要はない。異常を感じたら、知らせる。戦うときは、加われ。加わらなくても、構わない。お前の速さが、群れを助ける」
老いた三毛猫が、付け加えた。
「縛られない方が、お前は強い」
若い黒猫が、初めてオレに近づいてきた。
鼻を軽く触れさせる。挨拶のような。匂いを確かめるような。
オレは、頷いた。
「わかった」
短く。
それ以上は、言わない。
クロトが、輪に戻った。
猫たちは、再び体を休め始める。朝の光が、強くなる。廃ビルの外で、鳥が鳴く。
オレは、輪の端に座ったまま、みんなを見た。
群れに、属している。正式に、迎え入れられた。だが、縛られない。自由に動ける。帰る場所がある。呼べば、来る猫たちがいる。背中を、預けられる猫たちがいる。
一匹狼の終わり。
いや、違う。一匹狼の特性を、群れが認めた。
オレは、ゆっくりと立ち上がった。
廃ビルの外へ。屋根の上へ。街を見下ろす。
自由に、動く。
群れに属しながら。
あの人間の記憶を、胸に抱えたまま。
失われた日常を、胸に抱えたまま。
夜が来るまで、オレは街を巡回した。
人間が知らない戦いのために。
そして、帰る場所がある安心のために。
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