0.きみの鳥籠を開けるために

 停止した時の中で、僕は思い出の彼方より立ち返る。

 思い出した。遠い日のことを。僕がほんとうの『悪魔』になる前の日々のこと。

「セツナ」

 音にならない声で、名前を呼ぶ。それだけで剣士は瞳を震わせ、ひどく物悲しい表情を浮かべた。僕は苦笑いすると、消えていく意識の中でもう一度かつての自分を呼び起こす。

 「シロ。ほんとうに……シロ、なのか?」

 記憶よりもずっと低くて、それでも懐かしさを残す声音。そこに宿っている感情が憎しみであったなら、僕はただの狂った悪魔として消え去ることができただろうに。優しいセツナ。僕の大切な……だけど、そんな風に呼ぶ資格はとうに失っている。僕は悪魔。邪悪で歪で、醜い……白い悪魔だ。

「そんなやさしい名前のモノはもうどこにもいないよ。僕は……きみが滅ぼすべき悪魔だ」

 笑ってそう告げると、セツナはより一層悲しげな顔をした。どうかそんな風に悲しまないで、と言えたらどんなに良かったか。僕はかつての僕とは違うものに成り変わってしまったけれど、少なくともきみは僕の一方的な約束を忘れず、あまつさえ守ってくれもした。それがどれほど嬉しいことなのか、きみは絶対に理解できないだろう。

 『悪魔が救われてみんな幸せになりました』みたいな、そんなおとぎ話みたいなことは起こらない。僕は一瞬後に滅ぶだけの存在であって、きみを慈しんだ『僕』はどこにもいない。だけど、どうしてかな。空っぽになってしまったはずの心が、少しだけ痛むんだ。

「きみに会えて、僕は嬉しかったんだ。自分勝手な言い草だけど、この気持ちに嘘はない。ほんとうにそれだけは」

 二度と出会えないことを願っていた。二度と、僕を振り返ってくれはしないと思っていた。約束を忘れ去ってくれたらとても良いことなのに、僕はそれを悲しいと感じていたんだろう。悪魔と成り果てても、無関係の人間たちを屠っても、きみを忘れ去ることができなかったのは、僕が『僕』を心に残していたのは。

「さよならだ、セツナ」

 たった一言、別れの挨拶を言うためだけに。

 今、この瞬間まで『在り』続けていたのだと――。


 

 空のさいはてへ 羽ばたく鳥の跡形の

 小さな片羽根を 空へと解き放ちましょう


 ひとり孤独に 空へと飛ぶのだとしても

 いつかあなたの場所へたどり着く それを『幸せ』と呼ぶのでしょう?

 

 広く遠い空の下 名も知らぬどこかの街で

 独り往く羽根は 何度傷つき倒れようとも

 誰かに触れてぬくもりを知る それが『幸せ』だと知るでしょう


 青い空 遠い朝 ひと時で散る花の儚さよ

 一瞬に 瞬くように せつなに


 

 

「ありがとう、シロ」

 

 やっと、きみの鳥籠を開けることができる。

 ――そして、剣は振り下ろされた。



 セツナの鳥籠――了

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セツナの鳥籠 ~The Last Bloody Promise~ 雨色銀水 @gin-Syu

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