6.セツナの鳥籠
それは、はた目から見れば静かな処刑だった。
黒い装束の人間たちが、僕の仲間を一列に並べ、順に殺していく。
「……な、なんで」
目の前の光景が信じられないのだろう。セツナが呆然と血にまみれた光景を見つめる。僕は何も言えず、引き起こされた惨劇をただただ眺めていることしかできなかった。
仲間たちは皆、恐怖に震えながら口々に呟く。たすけて、殺さないで。やめて、どうして…… 僕は耳をふさいだ。それでも声は、意識の中に直接響いてくる。
「悪魔は死ね」
また一人、その命が断ち切られた。首が地面を転がり、支えを失った体が地面に倒れる。大地には似つかわしくない赤い色が広がり、異様な鉄錆のにおいが僕の元にまで届く。
「こんなのって」
こんなのはあんまりだ。ひとり、また一人。首を落とされ死に絶えていく。僕は何もできなかった。飛び出して人間たちを止めることも、踵を返して逃げ出すことさえできなかった。あまりにも恐ろしかったから。恐ろしくて、怖くて……セツナの手が離れたことにも気づかず、ひとり立ち尽くし続けていた。
「こいつで最後か」
黒装束の人間たちが、最後に残った仲間を引きずり出す。仲間は何も言わずに微笑んでいた。まっすぐに前を向いて、揺るがない笑みでこちらに視線を向ける。確かに仲間は――『長』は、僕を見ていた。
「さて、仕上げだ。さあ、死ね。悪魔!」
「やめろぉおおっ!」
小さな人影が黒装束の人間たちの前に躍り出た。武器を構えたセツナは、叫びとともに長を殺そうとした人間に切りかかる。だが、人間は一瞥くれただけで攻撃をかわす。
「なんだ、このガキは。……ああ、例の悪魔に飼われている子どもか」
「長から離れろ! この外道!」
「外道……? 何を言っているのかわからんな。外道はこの悪魔どもだろう? みんな同じ顔をしやがって、気味が悪いにも程がある」
セツナは最後まで言わせず、人間の懐に切り込んでいった。だが、またしても軽々と避けられ、お返しとばかりに鋭い蹴りを見舞われる。木の葉のように宙を舞ったセツナの体は、鈍い音と共に地面に叩きつけられた。
僕はセツナに駆け寄ることができなかった。セツナのように、長のために身を投げ出すこともできなかった。僕にできたのは小さくなって震えることだけ。怖い。ただひたすらに、死んでしまうことが、終わってしまうことが怖かった。
「面倒ごとを増やしてくれるなよ。……まあいい。じゃあな、悪魔よ」
セツナが倒れたまま動かないことを確認して、黒装束の人間は刃を振り上げる。白銀に輝く刃が、月の光を浴びて冴え冴えとした光を放つ。
僕は震えながら手を伸ばした。当然ながら、指先は空を掴むばかりで届きはしない。それでも長は、僕に向かって笑いかける。声なき声が僕を呼び、最後の挨拶のように笑みだけを残す。
『もう、きみ縛るものは何もない。森の意志はきみと共にある』
「う、あああっ」
叫びは不格好につぶれていた。長の首が断ち切られ、音を立てて地面を転がる。その瞬間、僕の意識ははっきりと森の意志に繋がった。どす黒い感情に満たされたそれは、瞬く間に心を埋め尽くし――僕は木々の間から飛び出していた。黒装束の人間たちが驚いたようにこちらを見る。しかし僕は構わず片手を突き出し、絶叫と共に言葉を放つ。
「人間は死ね! 永遠に呪われてあれ!」
一瞬の静寂の後、本物の殺戮が始まった。
無数の木の根が地面から這い出し、周囲に散っていた人間たちを絡めとる。彼らは悲鳴すら上げられず、ある者は絞め殺され、ある者は喉を突き破られ。ある者は首をへし折られ、ある者は心臓を貫かれ、ある者は……。
以前の僕ならこんな光景見ただけで意識を失っていただろう。だけど真っ黒な絶望と怒りに染まった心は、人間たちが散らす血肉に愉悦を覚える。僕たちのことは塵芥のように殺したというのに、自分たちの命は惜しいっていうのか? 命乞いをする人間の目に木の枝を突き立てた瞬間、僕は自分が別のモノに変質したことを悟る。だが、それが何だというのだろう?
人間たちは次々に死んでいく。仲間と人間の血が交じり合い、地面は奇妙なほどに赤かった。僕は両手を広げ、白い月の光を全身で受けとめる。ああ、なんて美しい光景だろう! 人間たちの命が散るたび。僕の中に残っていた大切な何かが抜け落ちていく。僕はただ笑った。ひたすらに笑い続けた。だって、長たちを殺した
「シロ……! シロ……っ! なんで、どうして! こんなの、シロらしくない! やめろ、やめて。元に戻ってよ、シロ……!」
小さな人間が、僕にしがみついてくる。ああ、嫌だな。こんな生ぬるくて気持ち悪い手で触らないでくれ。僕は無言で小さな人間を振り払う。しかし、それでも小さな人間は泣きながら僕に縋りついてくる。何度も名前を呼んでくるのが煩わしくて、反射的に拳を振り上げ――はっ、と目を見開く。
……いや……これは、ただの小さな人間なんかじゃない、これは、この子どもは。
「セツナ」
頭が痛い。気持ちが悪い。僕は自分の体を抱え、後ろへ一歩下がった。僕は一体、何をしているんだろう。長たちを殺した人間を殺して……次は、まさかセツナを殺すつもりだったのか? 確かに仲間を殺した人間は許せない。だけど、セツナは関係ない。セツナだけは。
「セツナ……」
一歩、セツナに近づいた時だった。背後に殺気を感じ、振り返る。途端――突き出された刃が胸を貫き、僕は血の塊を口から吐き出した。急速に視界が狭まり、息ができなくなる。僕は無言で前をにらんだ。
「悪魔は死ね……! 人間をなめるなよ!」
僕を貫いた刃の主はリョクだった。もしや、僕の隙をずっと狙っていたのか。だが、そんなことどうでもよかった。僕は突き刺さった刃の根元を握ると、歯を食いしばってそれを引き抜く。血が勢いよく吹き出し、狭まった視界が真っ赤に染まる。
「そう、僕は悪魔だ。……この森に害なす人間は皆、呪われろ……!」
森が僕の言葉に呼応する。リョクは瞬時に飛び退き、再び刃を構える。しかし、攻撃の隙を与える理由はない。
「う、わあああっ!」
地面を突き破り、無数の木の根が現れる。意思を持ったそれは、いとも簡単にリョクの手足を絡めとる。怒声、叫び。ぐちゃぐちゃと何かがつぶれる音。僕はもう、そちらを見ることもなかった。今、この場で生きているのは僕とセツナしかいない。だけど僕は、それを幸いだとは思えなかった。だって、
「シロ、シロ……!」
「近づくな」
流れた血とともに僕という意識はどこかへと消えていき、空っぽの器には森の意志が収まっていく。このまま一緒にいたら、僕はセツナを殺してしまうだろう。それだけは許せない。せめて、セツナにだけは生きていてほしかった。
「セツナ、お願い」
再び、意識が森の意志と繋がる。ああ、これで僕は二度と元に戻れない。セツナに伝えたいことはたくさんあったはずなのに、そんな時間も残されていないのだろう。ただ不格好に笑って、僕は最期の願いを口にする。
「いつか僕を……『悪魔』を殺して」
セツナの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
僕はその涙をぬぐうこともなく、雲の合間に消える月を追い、森の闇へと姿を溶けさせた。
やさしい言葉できみに呪いをかける。
きみの鳥籠の鍵は僕が持っていくから。だからどうか、僕の最期の願いを叶えて。
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