第2話 「多重下請けの迷路」

 報告者:鏑木直哉(株式会社フレームワークス / ディレクター)

 件名:プロジェクト「残留痕アーカイブ展(仮)」制作体制に関する覚書

 日付:202X年9月


 イベント制作という仕事は、しばしば伝言ゲームに例えられる。

 ただし、伝言のたびに情報が欠落し、責任の所在が曖昧になり、中抜きのマージンだけが正確に積み重なっていく、極めて悪質な伝言ゲームだ。


 今回のプロジェクト「残留痕アーカイブ展(仮)」も、その構造的な病理を抱えたままスタートした。

 整理した受発注フローは以下の通りである。



【クライアント】:某大手都市開発関連企業文化事業の一環として若年層向け展示を企画。


【一次代理店】:S広告社(国内最大手)企画の大枠を策定したがプロデューサー山下氏は初動以降、連絡がつきにくくなっている。


【二次代理店】:中堅広告会社。実務を行わず、一次からの指示を右から左へ流すだけのトンネル会社。


【三次請け制作】:株式会社フレームワークス(弊社)実働部隊。


 我々のもとに降りてくるのは「進めていいはず」「一次からそう来ている」という曖昧な指示だけだ。

 本来存在するはずの決裁権者が誰なのか、誰も把握していない。


 プロジェクト開始から数日、社内のDiscordには、この不透明な体制への不満が蓄積し始めていた。


【資料3:社内Discordログ #general】


 真柴(PM):今日の定例も山下さん欠席っすか。これでGO出して後からちゃぶ台返しとか勘弁してほしいんですけど


 白石(映像):間に挟まってる二次代理店の人も「クライアントの意向待ち」しか言わないしねwていうか、Slackにいる「*N」って誰?クライアント直の人?


 真柴(PM):たぶん。でもメールアドレスが共有されてないから、所属部署もわかんないんすよね。一次の山下さんに聞いても「あの人は特別枠だから」ってはぐらかされるし


 鏑木:請求の宛先がはっきりしてればいいよ。ジャッジは全部*Nに仰ぐことにする。ログ残しておけば、あとで揉めてもこっちの責任にはならないから


 私はチームに対し、そう指示を出した。

 この業界では、正体不明の担当者がプロジェクトを牛耳ることは稀にある。

 顔は見えないが、決定権だけは持っている声の大きい人の存在だ。

 

 しかし、今回の*Nは少し質が違った。

 感情が見えないのだ。

 政治的な思惑も、予算への懸念も、クリエイティブへのこだわりも感じられない。

 ただ機械的に「痕跡を集めろ」と繰り返すだけの存在。


 その日の深夜、私は契約周りの書類を整理するため、共有サーバーから稟議書や体制図をプリントアウトしていた。

 ペーパーレスが進んだとはいえ、万が一のトラブルに備えて紙で証跡を残すのは私の古い癖だ。


 複合機が静かなオフィスで駆動音を立て、温かい用紙を吐き出す。

 私は刷り上がったプロジェクト体制図を手に取り、違和感に眉をひそめた。


【資料4:押収された稟議関連書類のコピー】(プロジェクト体制図 Ver.1.0)


 PROJECT OWNER: █████████


 AGENCY: S-Ad Agency / Yamashita


 CREATIVE: Frameworks inc.


 最上段、クライアントの責任者名が記載されているはずの箇所が、黒く塗りつぶされていた。

 インク詰まりではない。

 文字の上に、意図的に黒い長方形を重ねて印刷したかのような、完璧な隠蔽だった。


「……なんだこれ」


 元のPDFデータを確認しようとモニターを見たが、画面上のデータは正常に表示されている。

 

 しかし、何度印刷しても、その名前の部分だけが、黒いインク壺をひっくり返したように、ベットリと塗りつぶされて出力されるのだ。


 ただのドライバの不具合か、PDFのレイヤー設定ミスか。

 しかし、その黒い染みは、物理的にそこにあるような質量を感じさせた。

 まるで、その名前をこの世に定着させることを拒んでいるかのように。


 私はその黒塗りの紙をクリアファイルに放り込み、見なかったことにして鞄に入れた。

 この時、深入りしていれば、あるいは引き返せたのかもしれない。

 だが、我々は仕事として、その迷路の奥へと足を踏み入れ続けていた。

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