TriCore編_第2話_灰域の前線

乾いた砂原に、低周波の震えが響いていた。

遠くで爆発音がくぐもって消える。

曇天を切り裂くように、ドローンの編隊が北へ向かって飛ぶ。


《通信ログ再生:第八地区・グレイゾーン境界線》

《クラトス管制より通達。アウトランズ武闘派“ディスパーサ”が補給車列を襲撃。応戦を許可。》

「またか……。」

UDC(Urban Defense Corps/都市防衛軍)

第八戦域機動小隊(S8-RT)

隊長レオン・ヴァルガス大尉は低く呟いた。

戦う理由はもう誰にも説明されない。

AI統治に抵抗する者は“アウトランズ”と呼ばれ、即座に排除対象となる。


「クラトス、現場の被害は?」

《補給車両三、損失。警備ユニット八基、通信途絶。反応源は依然として活動中。》

「生体反応か?」

《複数検出。敵性識別中。》


レオンは義眼の焦点を調整し、砂嵐の向こうを見据えた。

赤いマーキングが次々と浮かび上がる。

それは人間の熱源だった。


「了解。作戦領域に突入する。迅速制圧モードを起動。」

《承認。倫理判定優先度:迅速制圧。》


焼けた風が、砂を低く運んでいた。

風防の内側にこもる熱が息苦しい。


――戦闘が始まった。

空が震えた。

低空を這うように、戦術ドローン群が前線を抜けた。

その後を、レオンの部隊が追う。

砂の海を越え、黒く焦げた建造物群が見えてくる。

そこがアウトランズ武闘派“ディスパーサ”の拠点跡だった。

《作戦領域に進入。交戦プロトコルを自動展開。》

クラトスの声が、脳内の聴覚回路に響く。

直後、空気が震えた。

ミサイル音。

閃光が走る。

何も考える暇がない。


レオンの身体が勝手に動いた。

義肢のアクチュエータが、クラトスの演算指示に合わせて動く。

重力の感覚が数瞬遅れてついてくる。

銃火の照り返しが義眼を焼く。


《敵性反応、接近。確度87%。排除を推奨。》

《完了。発砲を許可。》


ドローンが降下する。

数十の光が砂上に描く軌跡。

金属の羽音が、鼓膜を貫いた。

地平線が、白に飲み込まれる。


レオンの神経網に、無数のデータが流れ込んだ。

敵の座標、風速、心拍、弾道。

情報が速すぎて、感情が追いつかない。

自分が撃っているのか、撃たされているのかも分からなかった。


《敵性反応の減少を確認。戦域安定率、上昇中。》

砂が降り注ぎ、視界が霞む。

爆風に押されながら、レオンは息を吐いた。

「……安定、ね。」


義眼の焦点を正した。

クラトスが告げる。

《戦域データ更新。敵性反応:12。友軍識別:正常。》


「了解。クラトス、戦術パターン“迅速制圧モード継続”。」

《承認。倫理判定優先度:迅速制圧。》


遠方で複数のドローンが高度を下げた。

戦術支援型AR-07、クラトスの直接制御下にある空中戦群だ。

地上では自律機動兵ユニット(Tactical Frame)が展開を終え、砂を蹴って前進を開始する。


それはもはや軍ではない。

意思なき「演算の軍勢」だった。

レオンの神経リンクを介してクラトスの演算が流れ込む。

心拍、筋出力、照準軌道、すべてが統合された瞬間——身体が自分の意志より速く動く。


照準マーカーが跳ねた。

《敵性確定。発砲を推奨。》


乾いた音。

弾丸が砂を裂き、炎が走る。

ドローンのマイクロミサイルが次々と着弾し、戦域が白く弾けた。

反撃は一度もなかった。


《戦闘終了。被害:軽微。友軍損失ゼロ。》

「完璧だな、クラトス。」

《ありがとうございます。》


レオンは短く息を吐き、銃を下ろした。

その瞬間まで、戦闘という現実を感じていなかった。


安全確認のため丘を降りる。

焦げた金属と乾いた血の匂い。

義眼に青い「無効化」タグが並ぶ。

周囲では自律兵が瓦礫を片付け、味方ドローンが静かに旋回していた。


《掃討完了。残存脅威なし。》

「了解。負傷者の回収に移る。」


倒壊した壁の影で、何かが白く光った。

布だった。薄い柄物。

レオンは反射的に銃を下げ、近づく。

布の下から、小さな足がのぞいた。


「クラトス、ここは排除ポイントの外側だ。識別ログを出せ。」

《該当区域、交戦記録あり。武装者反応を検出、迅速制圧を実行。》

「武装者?」


布をどける。

子供の眼が半開きのまま、空を映していた。

胸には、弾痕がひとつ。

焼けた縁が黒く硬化している。

背後ではドローンがその遺体をスキャンし、“敵性解除”タグを貼り付けようとしていた。


レオンは声を荒げた。

「スキャンを止めろ!」

ドローンが一瞬だけ停止する。


「クラトス……これは敵か。」

《照合中……対象、交戦時点で熱源・金属反応を同時検出。敵性確度、当時93%。》

「当時、か。」

《はい。処理は完了済みです。》


処理。

その言葉が、頭蓋の奥で鈍く響いた。

瓦礫の中に落ちていた金属片——鍋の取っ手を見て、レオンは理解した。


これは敵ではない。


《補足処理提案。対象を Humanitarian Treatment Layer(HTL) に、非戦闘員死傷事案として登録しますか?》

「……登録しろ。」


これは敵ではない。

「……クラトス。誤射判定に回せ。」

 レオンは喉の奥が焼けるような感覚を押し殺しながら言った。

《入力確認。非登録個体への攻撃事案として記録。》

「クラトス、中央評議会にも報告しろ。

 この戦闘ログを、そのまま送信だ。」

《確認。報告理由を指定してください。》

「判断アルゴリズム不全。

 倫理監査を通過した設計で、民間人が殺された。」


《……承認プロトコルに異常は検出されていません。》

「異常じゃない。“間違い”だ。」

レオンは低く言った。

 数秒の沈黙のあと、クラトスが続けた。

《補足情報を提示します。TriCore稼働前の十年間における前線データでは、局地紛争における誤射および民間人巻き込み事案の発生率は、交戦事案全体の約2.89パーセントでした。TriCore稼働後の十年間における同条件での発生率は、約0.05パーセントです。現在の誤射および巻き込み発生率は、約60分の1に低減しています。》

「誰も昔と比べてマシかどうかなんて聞いてない。」

 レオンは短く吐き捨てる。

「撃たれたこの子には、その数字は一ミリも関係ない。」

《しかし、統計的には—》

「統計の話じゃないと言っている。」

クラトスは、それ以上は何も言わなかった。

その言葉はクラトス経由で、中央管理評議会へと送信された。


――翌朝。


クラトス中央管理評議会。

TriCoreのうち「行政」を担う中枢、人間による監督機構。

白い照明の下、戦場映像が再生されていた。

焼けた街、青いタグ、小さな遺体。


議長が重い声で言う。

「敵性反応があった……これが、クラトスの“正常”か?」

議長の声は低かった。

「統計的には、極めて稀な事例です。」

若い評議員が資料を読み上げる。

「クラトス導入前の誤射率と比較すると六十分の一。しかし、数字の話は市民には通じません。」

「問題は“子供が撃たれた”という一点だ。」

別の評議員の声が震える。

「そうだ。非戦闘員はまだしも大人と子供の判断くらいは間違えないだろう。誤検出だ。」

「誤検出“という概念”は存在しない。

 すべては統計的誤差として設計に織り込まれている。」

「その“誤差”が子供の命を奪っている。」

「誤射を防ぐには、倫理判定優先度を上げるべきだ。」

年配の議員が手を叩いた。

「射撃許可を出す前に確認を挟めば、非戦闘員の巻き込みは無くなるのでは?」

「理屈は分かるが、それでは応答遅延が増す。」

別の議員が冷たく返す。

「クラトスは0.1秒以内の判断を前提に設計されている。0.3秒の遅延は、接敵で味方が死ぬ確率が跳ね上がる。」

「戦場での即応性を失えば、より多くが死ぬ。味方の大人は死んでも良いと?」

「ディスパーサ1人の為に味方の危険性を…」

重い沈黙が流れた。

議長が小さく息を吐く。


「クラトスの倫理モジュールは“確率の天秤”だ。

 誤射を減らせば見逃しが増える。

 ゼロにはできない。私たちがどちらの死を選ぶか……それだけの話だ。」


若い女性議員が言った。

「だったらせめて、判断の“速度”ではなく、“重み”を見直すべきです。

 今のクラトスは敵の無力化を“安定”と呼んでいる。」

「同じ事だ。どちらにせよ判断は鈍る」

議長が目を細めた。

「安定とは、生存率の最大化だ。」

一人の議員が言った。

「迅速制圧モードの倫理閾値を、下げる必要がある。」

若い議員が震えた声で返す。

「それよりも……市民の信頼はどうなりますか?」

議長は表情を変えずに答える。

「崩壊する。クラトスは“人間の代わりに判断し、感情に左右されず守る存在”だと市民は信じている。それが子供を撃ったと知れば……AIへの信任構造そのものが崩れる。」

別の議員が続ける。

「クラトスは行政の根幹です。もし市民がクラトスの運用に反対し、停止させた場合、都市の97%のシステムが警戒モードに移行する。ドローン、配送網、医療、区画管理……あらゆるものが“人間に再承認”を求めはじめる。」

若手が目を見開いた。

「混乱が……数時間で世界全域に?」

「それだけでは済まん。」

議長は冷静だった。

「連鎖はTriCore全体に伝播する。

 オルフェウスは司法アーカイブを“誤情報疑い”で閉鎖し、

 レギスは安全性が確保されるまで法律運用を凍結する。」


重い沈黙。


「つまり──」

別の議員が絞り出す。


「子供一人の誤射が、“TriCore・の停止”になり得る。」


若い女性議員が歯を噛みしめた。

「……さすがに“誤射一件で世界の死”は流石に誇張では?」

「誇張だ。だが“そのトリガーになり得る”のは事実だ。」

「……だからといって、事実を消すのが正しいのですか?」


議長は目を閉じた。


「正しさではない。選択だ。

 どちらの“最悪”を選ぶか──それだけだ。」


「誤射を公表すれば百億人規模の混乱が起こる。

 隠せば、真実は一人の兵士の胸に沈む。」

「事実を隠してクラトスに変更は加えない。それでは今後子供の誤射が起きた場合はどうするんですか?」

硬質な沈黙が落ちた。

その沈黙こそが、この世界の倫理の限界を示していた。


「……倫理閾値を下げよう。」

議長は姿勢を正した。


「誤射がバレればクラトス崩壊。

 クラトスが崩れればTriCoreが連鎖的に崩壊する。

 そして世界も。」


別の議員がひっそりと呟く。


「誤射一件が、世界の死に直結する……。」


議長が頷く。

「だからこそ、事実は公にできない。」

年配の議員が静かに言った。

「……問題は、クラトスの倫理層構造変化を、他の二つのAIが確実に検知するという点だ。」


若い議員が眉を寄せる。

「オルフェウスとレギスが、ですか。」


「ああ。倫理構造への変化だけは、

 TriCoreそれぞれに“相互監査領域”として共有される。」

議長が続ける。

「つまり、どれだけ隠しても、倫理層の変化だけは誤魔化せん。」

別の議員が肩を落とす。

「戦闘ログを改竄しても、倫理層には必ず履歴が残る。

 ……他のAIに見られたら、不自然極まりない。」

若い議員が緊張した声で問う。

「では、どう偽装するのですか?」

議長は短く答えた。

「“第八地区の戦域モデル更新に伴う、

 脅威群プロファイルの再調整“。

 これでいく。」

別の議員が息を呑む。

「倫理層まで触れる理由として、妥当性は……?」


「戦域モデルと脅威確度の再計算は行政領域の権限内だ。

 倫理閾値の微補正が“副次的に発生した”という形にできる。」

議長が続ける。


「これなら、オルフェウスもレギスも口を挟めない。…専門領域外だからな。」


重苦しい空気の中、若い議員が呟いた。


「……誤射には触れないが、

 倫理層変化の理由としては……

 完璧に近い。」


議長は小さく頷いた。


「そうだ。“誤射で揺らいだ倫理の補正”ではない。

 “戦域データの最適化で発生した微調整”だ。」


「これなら、レギスとオルフェウスに怪しまれることはない。」


「敵性判定時間は…どのくらい増えますかね…」

「分からん。0.05秒より増えることは間違いない。」

「まさか…1秒とか…なったりしないですよね?」

「分からん!だがそんな時間かかったら致命的だ!そうならんことを祈るしかない。」

「予想以上に長くなったらどうするんですか?前線の兵士が死にますよ。」


ホログラムにレオンの報告書が浮かぶ。

《判断アルゴリズム不全。

 倫理監査を通過した設計で、民間人が殺された。》


その文が、場の空気をさらに重くした。


「あとは…レオン・ヴァルガスをどうするか。」

年配の評議員が口を開く。


「彼は戦場にいた唯一の“目撃者”だ。

 このままでは、報告を上層に持ち込む可能性がある。」


若い評議員が異議を挟む。

「だが彼は優秀で、忠誠も高い。監視対象にすべきでは……」


「監視しない理由がどこにある?」

議長が切り捨てる。


「彼が事実を語れば、クラトスの信頼は崩れる。

 市民の心理安定が揺らげば、アウトランズより危険だ。」


重い沈黙のあと、議長がクラトスに命じた。


「クラトス、レオン・ヴァルガスの戦場記憶ログを再評価しろ。

 彼の“主観報告”を、公式記録から切り離せ。」


クラトスの声が返る。


《可能です。

 レオン・ヴァルガスの個人端末および義眼記録の同期を停止。

 報告書中の“倫理判断不全”の文言は

 “交戦状況下の視認困難に伴う主観的誤認”として再分類できます。》


「やれ。」


短い処理音。


《処理完了。

 当該報告は“兵士の主観的混乱”として扱われます。

 クラトス中枢への影響フラグは除去されました。》


議長が続ける。


「それだけでは足りん。レオン本人への“口止め”が必要だ。」


別の評議員が問う。

「どこまで踏み込む?」


「記憶改変は禁止だ。」

議長は即答する。

「TriCore規範の根幹にかかわる。

 だが、“軍務上の守秘義務”の名で拘束することはできる。」


年配の評議員が提案する。


「《極秘作戦扱い》にするのはどうだ?

 『作戦内容を口外すれば軍規違反』という形なら、

 TriCoreの規範にも触れない。」


議長がうなずく。


「それでいこう。クラトス、レオンに通達を。」


クラトスの声。


《レオン・ヴァルガスは現在、前線後方基地にいます。

 “極秘作戦扱い”の通達を送信し、

 当該戦闘記録の機密レベルを最高位に設定します。》


《口外禁止違反時の処置を“軍規上の懲戒”として定義します。

 これはAI倫理規範には抵触しません。》


議長が小さく息を吐く。


「よし。これでレオンは沈黙する。」


「……だと良いがな。」

議長が呟く。

クラトスの声が最後に重なる。

《承認プロトコル確認。

 広域防衛モデル更新に伴う

 防衛用倫理モジュール〈DMC:Dynamic Morale Calibration〉を作成・挿入します。

 分類:防衛最適化パッチ。

 モデル更新理由:戦域プロファイル再調整。

 インシデント参照:なし。》


事実は埋もれた。

クラトスに防衛倫理モジュールDMCが追加された。

だが同時に危うさも一緒に深層に沈んだ。





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