第13話 シーソーゲーム

翌朝の食卓は、

異様なほど静かだった。


「……」


「……」


会話はなく、

視線も交わらない。


朝食は、

味わうものではなく、

作業のように消費された。


食器を片付け、

身支度を整え、

いつも通り、

それぞれ出勤する。


「いってきます」


「……いってらっしゃい」


声は、

必要最低限だった。



会社へ向かう電車の中。


揺れる車内で、

静也は吊り革につかまりながら、

ぼんやりと窓の外を見ていた。


(……愛とは、無理かもしれない)


その考えは、

驚くほど静かに浮かんだ。


怒りも、

悲しみも、

伴っていなかった。


ただ、

事実のように。


それでも、

《結婚》に向けて始めた同棲を、

解消する勇気はなかった。


今さら、

どう切り出せばいいのか分からない。

傷つけずに終わる方法も、

見つからない。


静也は、

そのまま次の駅で降りた。



一方、

愛もまた、

不機嫌なまま仕事に向かっていた。


キーボードを打つ指に、

いつもより力が入る。


(私、悪くないもん)


画面を睨みながら、

心の中で繰り返す。


(なんで静也は、

 私のこと考えてくれないの……!)


結婚のこと。

将来のこと。


全部、

自分だけが背負っている気がしていた。


静也が、

《結婚》を

自分に任せきりにしていることが、

どうしても許せなかった。



昼休み。


「ねえねえ」


明日香が、

いつもの調子で声をかけてくる。


「彼氏さんと、どう?

 ラブラブ?」


ニヤついた表情。


「もちろん!」


愛は即答した。


「式場の話だって、

 ちゃんとしてるからね!」


嘘だった。


でも、

うまくいっていないとは、

言えなかった。


言った瞬間、

何かが崩れてしまいそうだった。


(私は幸せ)


(私は順調)


(静也は、私と結婚する)


(幸せ……幸せ……幸せ……)


何度も、

心の中で繰り返す。


それは祈りに近かった。


そうやって言い聞かせることで、

愛は自分を守っていた。


静也の沈黙と、

自分の不安から、

目を逸らすために。


同じ時間、

同じ空の下で。


二人は、

それぞれ別の決断に、

静かに近づいていた。

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