第9話 シーソーゲーム

(愛は、俺を思ってビーフシチューを作ってくれた)


静也は、頭では理解していた。


それが善意であることも。

労力がかかることも。

愛なりの「歩み寄り」だったことも。


――分かっている。


でも、

心が追いつかなかった。


理由は、

自分でもうまく言葉にできない。


それでも。


《結婚》に向けて同棲している以上、

すれ違いは調整するものだ。

気持ちは、努力で埋めるものだ。


静也はそう考えるタイプだった。


家に帰る前、

ふと思い出す。


以前、デート中。

ショーケースの前で、

愛が立ち止まった。


「これ、可愛いね」


そう言いながら、

少し名残惜しそうに視線を残した、

ネックレス。


静也は店に入り、

同じものを指差した。


「これ、プレゼント用でお願いします」


店員が笑顔でうなずく。


包装されていく箱を見つめながら、

静也は胸の奥に

小さな安堵を覚えた。


――これで、うまくいく。


そう、思いたかった。



「ただいま」


今日も、

静也は静かに帰宅した。


「遅いよ!

 連絡してよ!」


玄関先で、

愛の声がぶつかる。


昨日のことを、

まだ引きずっているのが分かった。


「ごめん」


短く謝ってから、

静也は紙袋を差し出す。


「これ、買ってて遅くなった」


「え?

 え?

 なに? なに?」


愛の声が、

一気に弾む。


袋を開けた瞬間、

箱の中のネックレスが光った。


「これ……!」


愛の目が、

一気に輝く。


「私が欲しかったやつ!

 覚えててくれたの!?」


ネックレスを手に取り、

胸元に当てて、

何度も鏡を見る。


「愛が喜んでくれて、嬉しいよ」


静也は、

穏やかな声でそう言った。


言葉も、

表情も、

完璧だった。


「めちゃくちゃ大切にする!

 静也、大好き!」


喜びに溢れた愛が、

勢いよく抱きついてくる。


その温もりを、

静也は受け止めた。


拒まなかった。

振りほどきもしなかった。


ただ――


静也の顔は、

笑っていなかった。


愛の腕の中で、

静也は静かに目を伏せる。


――これで、いいはずだ。


そう、

自分に言い聞かせながら。


プレゼントは、

確かに空気を和らげた。


けれど、

何かを埋めた分だけ、

別の何かが、

確実に置き去りにされていた。

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