第8話 シーソーゲーム
翌日、
静也はいつも通り会社にいた。
パソコンの画面を見つめている。
キーボードに手を置いたまま、
しばらく動かない時間があった。
「静也、どうした?」
同期の隼人が、
隣の席から顔を覗き込む。
「具合でも悪いのか?」
静也は答えなかった。
「顔色、よくないぞ。
体調悪いなら早退した方がいい」
心配する声。
静也は一瞬、
何かを考えるように視線を落とし、
それから小さく首を振った。
「……体調は悪くない。
大丈夫。ありがとう」
そう言って、
口元だけで笑う。
愛想笑いだった。
それ以上、
隼人は踏み込まなかった。
静也は再び画面に向き直る。
数字と文字の並びを追いながら、
自分が何を考えていたのかを、
もう思い出せなくなっていた。
⸻
同じ頃。
会社の昼休み、
愛は明日香と並んで座っていた。
「聞いてよ!」
少し前のめりになって、
声を落とす。
「昨日さ、一生懸命、
彼氏のためにビーフシチュー作ったのに、
感想、ほぼ無しだよ!?」
頬を膨らませ、
露骨に不機嫌を見せる。
「え?
平日に?
ビーフシチュー?」
明日香は目を丸くして、
それから吹き出した。
「え、やばっ」
その反応に、
愛の胸が少し軽くなる。
「ビーフシチュー作るの、
めっちゃ大変だもんね」
明日香は続ける。
「愛、頑張ったね!」
その一言で、
愛の中の何かが、
すっと整う。
――やっぱり、そうだよね。
私が悪いわけじゃない。
ちゃんと、やってる。
愛は、
深くうなずいた。
家に帰ってからの静也の顔を、
思い出すことはなかった。
ただ、
努力は評価されるべきだ
という感覚だけが、
確かな輪郭を持って残った。
一方で、
静也は、
誰にも何も言わないまま、
その日の業務を終えた。
体調は、確かに悪くなかった。
ただ、
自分がどこに立っているのかだけが、
分からなくなっていた。
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