第7話 シーソーゲーム

「ただいま」


玄関のドアが開き、

静也の声がした。


今日は定時での帰宅だった。


「静也! おかえり!」


愛はすぐに立ち上がり、

嬉しそうに玄関まで迎えに行く。


「いい匂いでしょ?

 静也の好きなビーフシチュー作ったの!」


胸を張るように、

満面の笑みで言った。


静也は一瞬だけ鍋に視線を落とし、

それから愛を見る。


「……ありがとう」


声は穏やかだった。

でも、抑揚はなかった。


テーブルに向かい、

二人で席につく。


「どう? 美味しい?」


愛は、無邪気に問いかける。


静也はスプーンを置き、

少し間を置いてから答えた。


「……あー、うん。

 美味しい」


それ以上、言葉は続かなかった。


食事は、

滞りなく終わった。


静也は立ち上がり、

何も言わずに食器を流しへ運ぶ。


水の音が、キッチンに響く。


愛はソファに座ったまま、

テレビもつけず、

その背中を見ていた。


胸の奥が、

じわじわと冷えていく。


――喜んでない。


それが、

はっきり分かった。


「せっかく、頑張って作ったのに」


不貞腐れたように、

少し大きめの声で言う。


当てつけだった。

気づいてほしかった。


静也は、

食器を洗う手を止めなかった。


振り向きもせず、

何も答えなかった。


水音だけが、

二人の間を埋めていた。


愛は唇を噛み、

ソファに深く沈み込む。


――どうして?


頑張ったのに。

ちゃんと、やったのに。


その夜、

ビーフシチューの鍋は、

コンロの上で静かに冷えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る