霧夜のゴンドリエーレ

天海二色

水上都市の夜渡り

「へ、へへへっ! やった! 俺はやってやったぞ!!」


 深い霧に覆われた街の路地から、下卑た笑い声が響きわたる。

 声の主は年季の入った外套を着た薄汚れた男。

 彼は掴み取った成功に心の底から歓喜していた。


「金は俺のもんだぁっ!!」


 掠め取った戦利品を、独占できたのだから。


 ここは大運河の上に作られた、水上都市〈レガーラ〉。

 木の根のように都市の隅々まで運河が巡り、それを水路としてゴンドラを利用するのが一般的だ。

 しかし今晩は霧が濃く、一寸先も見えないとして夜間のゴンドラは運休。

 出歩くことも難しく、住民は家にこもり切り。これでは店を開けられないと、露店も商店も店仕舞い。都市全体がまるで葬式の如く静まり返っていた。

 そんな中、男は押入り強盗に踏み切った。

 一人ではない。橋の下を棲家とするはぐれ者達と手を組んで、合計五人で富裕層の家を強襲した。

 手順は単純だ。

 まずは家のドアをノックする。反応がなければ次の家に行く。目を付けた家を片端からノックをし続け、「霧が濃くて道に迷った」やら「寒い。暖炉の火に当たらせてくれ」やら適当なことを囁いて、呼びかけに応えた者、更には扉を開けた警戒心の薄い者を――襲う。

 悲鳴を上げる暇も与えずに。

 そうして楽々、家に侵入し金目のものを漁るだけ漁るという楽な仕事だ。


 とは言え五人も共犯者がいると、分け前が減る。

 金貨や宝石がたんまりと詰まった大袋を前に、男は欲に目が眩んだ。

 だから分ける前に、大袋を背負って家を飛び出した。

 背後から怒鳴り声が聞こえてきたが、それは寧ろありがたい話だった。

 葬式のように静まり返っている今夜、騒動が起きれば直ぐに近隣住民に知れ渡る。そうすれば憲兵がすっ飛んできて、彼らを捕らえてしまうことだろう。

 それをわかっていたからこそ、男は扉を開けた家の主の首を絞めた。真っ先に悲鳴を封じたのだ。家の中を漁る時も騒音に気を付け、共犯者とのやり取りもジェスチャーで行っていた。

 なのにその苦労を自ら水の泡にするとは。

 男は笑みを深めた。


 しかしこのままでは共犯者が情報を憲兵へ伝え、勝ち逃げをさせまいと追っ手を放ってくることだろう。尤もその程度、想定内だが。

 男は逃げる算段も組み立てていた。


 ――水上都市レガーラには、『夜渡り』がいる。


 ランタンも灯さず、夜の水路を渡るゴンドリエーレゴンドラ乗り。巷では『夜渡り』と呼ばれている、どの組合ギルドにも所属しない、無免状の漕ぎ手だ。

 しかしその腕は並外れており、街灯のない夜だろうと嵐の夜だろうと、今日のような霧深い夜だろうと水路を渡り切ってしまうと噂されている。

 そして男は、この夜渡りが噂ではないことを知っていた。

 ある夜、偶然にも見たのだ。

 闇に溶け込む真っ黒なゴンドラを漕ぐを。




 夜渡りは黒いローブを身に纏い、カーニバルでもないのに白い仮面バウタを付けた、珍妙な格好の男だった。


『おい! アンタ! そこのアンタ!!』


 男は迷わず声をかけ、夜渡りと接触を計った。

 呼び声に応えてくれた夜渡りはゴンドラを止め、男の方を向いてくれた。


『アンタ、噂の夜渡りか!? 普段はどこを走っている! 幾ら積めば利用できる!?』


 畳み掛けるように質問責めをしてきた男に対し、夜渡りはこう言った。


『金貨六枚。レガーラで最も古い橋の下に、私はいるよ』

『金貨六枚っ!?』


 夜間ゴンドラの相場は高くとも金貨一枚。あまりにも高額すぎる。男は戸惑った。


『そうさ、金貨六枚。金貨六枚で、誰であろうと何であろうと、どこへでも連れていきます。例えばそう、都市の外に出られる秘密の水門……とか』

『何……っ!?』


 水上都市レガーラは街の出入りも水門によって管理がされている。

 どの水門にも番兵が配置され厳重に取り締まっており、勝手に入ることもできなければ出ることもできない。加えて夜は水門を閉じられている。

 しかし夜渡りは『抜け道』を、知っているようだった。


『ほ、本当だろうな!? 本当に街の外に出られるんだろうな!?』

『金貨六枚払えば、わかること』


 それだけ言って、夜渡りは再びオールを操り水路を進んでいった。

 ゴンドラには夜渡り以外誰も乗っておらず、しかし船の中には荷物が乗せられていた。麻縄で縛られた、大きなズダ袋――




(あれは、死体に違いない)


 死体をどこぞに捨てに行く途中で、自分は遭遇したのだ。

 男は確信していた。

 そんなならず者ならば、街の外への抜け道ぐらい、知っていてもおかしくない。


(最悪、ぶん殴って船を奪っちまってもいい! 遭遇できればこっちのもんだ!)


 男は走る。レガーラで最も古い橋へ。

 そこは街の端、教会の脇に架けられた真っ白な大橋。

 ギッコ、ギッコ。

 男が大橋へ辿り着いたと同時に、オールが軋む音が耳に届いた。

 いる。

 暗闇も濃霧もものともせず、ゴンドラを漕ぐ夜渡りが、大橋の下を進んでいる。


「おおい! おおい!」


 男は呼びかけた。


「金を用意した、乗せてくれ!」


 それを聞いた夜渡りはぴたりとゴンドラを止め、大橋を少し出た所で停止する。


「さぁ、乗ってください」

「ど、どうやって!?」

「それはもう……飛び降りて」


 大橋からゴンドラに、飛び移れ。夜渡りはそう言ってきた。

 さした高さはないが、着地に失敗すれば激痛を味わうことになるだろう。男は迷った。


(一度、川に落ちてから乗った方が……)


 しかし今晩はとても冷える。水濡れとなれば体温を奪われ、命の灯火も消えてしまうことだろう。

 選択肢はない。

 意を決した男は先に大袋をゴンドラへ投げ入れると、大橋の縁に立ち――飛び降りた。

 ガタンッ!

 男を受け止めたゴンドラは大きく揺れたものの、それだけだ。転覆する気配はない。幸い、着地もうまくいって、男は膝を少々痛めるだけですんだ。


「金貨六枚、くださいな」


 夜渡りは男に手を差し伸べて、言った。


「……っ! 金を払うのは目的地に着いてからだっ!」

「くださらないのですか? では、降りていただきたく……」

「先に二枚やろう! それでいいだろう!?」


 男は苛立ちながら大袋から金貨二枚を取り出し、夜渡りの手に握らせる。


「先払いでなければ、行き先は……」

「うるせぇ! ガタガタ抜かすな、殺すぞ!?」


 それでも夜渡りが不満げな声を漏らしたものだから、男が怒鳴り付ければ、彼は渋々といった様子で金貨をローブのポケットの中へしまった。


「目的地は街の外だ! 誰の目にも止まらないよう頼むぞ!?」

「かしこまりました」


 軽く頭を下げてから、夜渡りはオールを漕ぎ出す。

 ギッコ、ギッコ。

 ゴンドラは進む。濃霧によって一寸先も見えない水路を。

 しかしどこにもぶつかることなく、無駄に揺れることもなく、まるで氷の上を滑るかのように、あまりにも順調にゴンドラは進んでいく。

 いっそ不気味なぐらい、快適だ。


「おい、夜渡り。後どのぐらいかかる?」

「街の外ならば、四半刻もかかりませんよ」

「……ふん」


 この機に秘密の水門の場所を把握しておこうと、男は目を凝らす。

 街への出入りが好きにできるようになったら、また盗みに戻るのもありだ。

 しかし幾ら目を凝らしても、見えるのは霧ばかり。街並みも城壁も、何なら水路の端さえ見えない。

 見えるのはゴンドラが乗る水面だけだ。


「っ、これ本当に進んでいるのか!?」

「えぇ、えぇ。間違いなく」


 男が苛立っても、夜渡りは機械的にオールを漕ぐだけ。

 ギッコ、ギッコ。ギッコ、ギッコ。

 四半刻が経っても、半刻が経っても、街の外には出られていない。

 とうとう堪忍袋の尾が切れて、男はその場で立ち上がった。


「ふざけんな! 弄びやがって!! もういい、オールを寄越せ! お前は死ね!!」


 こうなったら自力で抜け道を探すか、近場の乗り場に付けて陸路で逃げるか。

 どっちにしろ、役立たずの夜渡りは要らない。


「死ね! 死ね! 冷たい川の底で! 醜く朽ち果てろ!!」

「いけませんよ、お客さん。こんな所で大声を出してしまっては……」


 暴言を吐きながら男が胸蔵を掴んでも、夜渡りは落ち着き払っている。

 それがまた不愉快で――

 ガシリ

 その時、男は何かに足首を掴まれた。

 人間の手だ。

 だがゴンドラにいるのは自分と、目の前の夜渡りのみ。

 一体誰がと、男は恐る恐る視線を下げた。


 白い手。

 血の気のない青白い手が無数に、水面から伸びてきて――次々に、男の足を掴んでくる。


「うわぁっ!?」


 悲鳴を上げ、蹴り上げても、白い手は男を離さない。


「何だこれ、ゴーストか!? おい、どうなっているんだ!?」


 混乱し、発狂し、錯乱し、叫ぶ最中、地を這うような声が耳に届く。


 ――よくも、よくも。殺してくれたな。


 その声は、つい先ほど絞殺した老人の声。


 ――よくも、よくも。よくも、よくも。


 その声は、つい先日犯して川へ捨てた女の声。

 その声は、後頭部を殴って金品を奪った男。

 その声は、その声は、その声は――


 聞き覚えのある声が何重にも重なって、男にのしかかる。


「知らねぇ! 離せ! 死人に用はない!!」


 男は血を吐く勢いで叫び、暴れ狂い、

 足を外し、川へ、落ちた。

 そして無数の白い手によって、水底へ沈んでいってしまった。

 悲鳴を上げる暇も与えずに。


「あぁ、あぁ。憎悪ステュクスの川へ、落ちてしまった」


 夜渡りは客がいなくなったゴンドラの上で、独りごちる。


「金貨二枚では、入り口を少し超えた所までが限界だったか」


 男は望み通り、街の外へ出てはいた。出港から四半刻経った辺りで。

 ここは冥界へ繋がる川、ステュクス。

 夜渡りはこのステュクスと現世の川を、好きに行き来ができた。

 ステュクスを介せば、夜渡りはレガーラのどこの川にも出没できて、乗せた客をどこの川へも運べる。経由するステュクスに、障害などないのだから。

 あるとすれば、水面の下。川に漂うゴーストたち。

 彼彼女らは、現世へ戻りたいと夜渡りのゴンドラを狙っている。それを避ける対価として金貨を頂戴しているのだが――


「遠回りをすれば、いけなくもないかと思ったのだけど。いやはや、短気は損気か」


 ギッコ、ギッコ。

 夜渡りはオールを漕ぎ、ゴンドラを進める。


「あぁでも、臨時収入が入った。お客さんの忘れ物、もう二度と取りに来れないのだから、私が有効活用するとしよう」


 ギッコ、ギッコ。

 夜渡りはゴンドラに残ったままの、金銀財宝が詰まった大袋を一瞥して、くつくつと喉を鳴らす。


「さてはて、次のお客さんを探しに行かなくては。あぁ、貧乏暇なしだ。地獄の沙汰も金次第と言うけれど、私が借金を返せる日は、いつになるのやら」


 ギッコ、ギッコ。

 そうして夜渡りは一寸先も見えない暗闇の中へ、姿を消した。

 

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