第3話 小さな決意

「あの…今日は宿に泊まりませんか? 

宿代はもちろんお出ししますから……」


リコリスは勇気を振り絞って提案した。


慣れない獣道と魔物との戦いを経て全身が鉛のように重い。足の裏はジンジンと痛み、膝も軋む。


もう一歩歩けば崩れ落ちそうだった。


こんななか夜の山を進むなんて考えただけで恐ろしい。魔物がまた現れるかもしれない。


ーー休息が必要なのは明らかだった。


「そう言って逃げるつもりだろう?」


「そっ、そんなことないです!一緒の部屋に泊まれば逃げないように見張れますし、いいですよ……ね?」


しかしクロウは、呆れたように眉をひそめた。


「俺は亜人だ。泊まれる宿なんてあるわけねぇ。」


「……えっ」


リコリスははっと息を飲んだ。


人間たちに根付いている亜人差別。

近年それがさらに激しくなっていた。


だが、実際の厳しさを理解していたわけではない。

噂で聞くのと当事者から聞くのとでは、天と地ほど違う。


クロウの言葉は、甘い考えを容赦なく打ち砕いた。


「ご、ごめんなさい……何も分かってなくて……」


「そんなもん分からねぇ方がいい。」


ぶっきらぼうな声、どこか無関心さを感じる。

クロウにとってはその差別は普通のことなのだろう。


それを当たり前だと捉えていることが悲しかった。

疲れ切ったリコリスの心と身体には重くのしかかる。


足も膝も腰も背中も肩も……全部痛い。

靴の中の足は、もう自分のものではないみたいだ。


もう……歩けない……


その様子を見て、クロウは大げさにため息をついた。


「……ったく。これだから人間は…今日はもう休むぞ。」


「え?いいんですか!?」


「そんな状態じゃ足手まといにしかならんからな。

まぁ別に、お前を背負って先に進んでもいいが…」


「お休みさせてください!」


クロウが野宿を提案し、それに乗った。

休めるならもうどこでも良かった。


「お前はそこでじっとしてろ。」


クロウは周囲を素早く見回し、

風を避けられそうな大きな木の根元を見つけた。

そして落ち葉を集めて地面の凹凸を整え始める。


その手際は見事だった。

慣れていなければできない動きだ。


獣人としての勘か、

それとも長い旅で身につけた技術か。


リコリスはそんなクロウの背中を、

ただ、ぼんやりと眺めていた。


「クロウさん、ありがとうございます。」


言葉にすると、胸がじんわり温かくなる。


落ち葉のベッドは思ったよりふかふかで、

身体中の疲れがすうっ…と溶けていくようだった。


「いつもこうして野営してるんですか?」


「いや、俺一人なら木の上で寝る。」


「じゃあ私の為に…?ありがとうございます!」


落ち葉のベッドを用意してもらい、

ゆっくり休めるのがとにかく嬉しかった。

思わず元気にお礼を言ってしまう。


「お前、元気だな……先に進むか?」


「……ごめんなさい。それだけは許してください。」

 

日が沈み、森はすっかり夜の色に変わっていた。


焚き火がパチパチと音を立て、橙色の光が揺れる。

クロウは食料を獲りに行くと言ってどこかへ消えた。


リコリスは火を見つめながら、ゆっくり息を吐く。


魔物との戦いの記憶が脳裏に蘇る。

自分の体から噴き出した、あの不可思議な光――。


あれは……なんだったんだろう??


考えようとすると胸がざわつく。


怖い。でも、気になる。


自分の中に眠る「何か」を感じてしまった以上、

目をそらすことはできなかった。


クロウは凛々しく、どこか寂しげな人だ。

強くて、逞しくて、冷たそうに見えるのに、

なぜか近くにいると安心する。


「クロウさんは、どうして私を助けてくれるのかな。」


魔獣化薬を手に入れるためだけ?

そんな事の為だけに私を魔物から庇ってくれたの?


何となく…分かってしまう。


クロウさんは……本当は優しい人なんだ……


人間に酷い目に遭わされてきたのに。

亜人であるせいで居場所を奪われてきたのに。

それでも、困っている誰かを放っておけない。


「クロウさん。私……あなたの力になりたい。」


焚き火が揺れる。火の粉が舞う。

遠くでフクロウが鳴く。


静かな夜だった。

だが、リコリスの胸の内は、少しだけ明るくなっていた。


自分はひとりじゃない。

ぶっきらぼうで優しい人が隣にいる。


もっと……強くなりたい


火に照らされた手をぎゅっと握りしめる。


リコリスの胸に小さな決意がみなぎった。


この小さな決意が先の運命を大きく変えていくことを、まだ誰も知らなかった。


リコリスはひとり、落ち葉のベッドで眠りについた。

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