第1章 第6話 小さな相棒の獲得と別れ
巨大な黒い木箱が蔵から運び出されたあと、そこには奇妙な静けさが残った。
長年、蔵の奥を占領していたはずの存在が消えただけなのに、空間はひどく広く、そして軽く感じられる。煤と埃がふわりと舞い、光の粒が宙に浮かんでゆっくり沈んでいった。
ギユウは親族たちの視線から距離を取り、祖母と二人で瓦礫の整理に戻っていた。
誰も責めてはいない。誰も悪くない。理屈では分かっている。それでも胸の奥には、うまく言葉にできない熱が残っていた。
黒箱に指を挟まれたときの痛み。
血が滲み、墨脈が一瞬だけ光った、あの感触。
「……持っていかれてもうたな」
呟きは、埃に吸われて消えた。
理不尽だと思う自分と、当然だと思う自分が、胸の中で小さくぶつかり合っている。
祖母は何も言わず、黙々と古い布や割れた箱を分けていた。しばらくして、ぽつりと声を落とす。
「あんたの宝は持っていかれたけどな。
蔵いうんは、不思議なもんで……一つ動いたら、別のもんが顔出すこともあるんよ」
その言葉に、ギユウはふと足を止めた。
黒箱が立っていた場所。そのすぐ脇、床と壁の境目が、不自然に暗い。
しゃがみ込み、手で煤を払う。
その瞬間、指先が何かに触れた。
「……?」
埃の中から現れたのは、小さな人影だった。
最初は、壊れた人形かと思った。
だが、持ち上げた瞬間、その重みと質感が、はっきりと違うと告げてくる。
身長は五十センチほど。
頭部だけが不自然に大きく、胴体と手足は短い。だが、ただのデフォルメではない。構造上の必然として、そう設計された形だ。
「……カラクリ、やな」
声が自然と低くなる。
全身は古代木材で組まれており、首から胴にかけて、驚くほど密な墨脈回路が走っている。歩行用の発条配置ではない。関節も、力を出すためのものではなかった。
それなのに――いや、だからこそ。
「……中枢、や」
胸の奥で、何かがカチリと噛み合った。
これは“動くため”の機械ではない。“考えるため”の器だ。
ギユウは慎重に埃を払い、構造を確かめる。
頭部の内部に集中する墨脈。情報の流れを最短で循環させる配置。大型機構の核として作られたものだ。単体で存在すること自体が、ほとんどありえない。
「なんで、こんなんが……」
思わず笑いが漏れる。
黒箱を失った悔しさが、別の熱に上書きされていくのが分かった。
祖母のもとへ戻ると、言葉が止まらなくなった。
「おばあ、これ……ほんまにすごいで。
この墨脈、情報処理に全振りしとる。歩くとか戦うとか、そういう次元ちゃう。
大型カラクリの中枢用や。遺跡でも、まず見つからんタイプやで」
祖母は目を丸くし、それから、くすっと笑った。
「そんなにええ顔するんやったら、相当なもんなんやろなぁ」
しばらく考えるように首を傾げ、納戸の方へ消える。戻ってきた手には、小さな木箱があった。
「これな。前から妙や思とったんよ。
蔵から出てきたもんらしいけど、使い道が分からんで、そのままにしてて」
中に入っていたのは、木製のメガネだった。
レンズはない。ただのフレームのはずなのに、左右の縁に、極細の墨脈が張り巡らされている。装飾の精度ではない。完全に機構の一部だ。
「……まさか」
ギユウは、そっと小型カラクリの顔にかけてみた。
その瞬間、形が完成した。
大きすぎる頭部。短い手足。
そこに、知性の象徴のようなメガネが乗ることで、不思議な均衡が生まれる。
「……あかん」
声が震えた。
「これは……反則やろ」
祖母は声を殺して笑っている。
「そんな気に入ったんなら、持って帰り。
蔵の整理、よう手伝ってくれた礼や」
その一言で、決まった。
ギユウは相棒を胸に抱き、縁側へ出た。
外では、巨大な黒箱がトラックに固定されている。役所の職員が淡々と書類を処理し、親族が見守っていた。
黒箱は、もう戻らない。
あの中に眠っていたものも、あの続きを知る権利も。
悔しさが、確かに胸を刺す。
だが、腕の中の小さな重みは、静かで、確かだった。
木製メガネの奥で、まだ起動していないはずの“何か”が、じっと前を向いている気がした。
巨大な謎は、遠ざかった。
けれど、掌の中には、別の未来が眠っている。
ギユウは、ゆっくりと息を吐いた。
別れと同時に、確かに始まりを感じながら。
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