第6話ー誰かの役に
それからというもの、僕は時折、誰かを招くようになった。次に招いたのは、旅人だった。
名前は、ルカス。二十代半ば位の若い男性で、大きなリュックを背負って村にやってきた。疲れた顔をしていて、足を引きずっていた。
「どうされました?」
僕が声をかけると、ルカスは苦笑した。
「いや、ちょっと足を痛めてしまって」
「旅の途中ですか?」
「ええ。自分探しの旅、というやつです」
彼は、照れくさそうに笑った。
「もし良ければ、私の小屋で休んでいきませんか。食事も用意しますよ」
「本当ですか? 助かります」
その夜、僕はルカスを小屋に招いた。足の傷を手当てし、温かい食事を用意した。
「すみません、こんなにお世話になって」
ルカスは、申し訳なさそうに言った。
「いえ、旅人を助けるのは当然です」
僕は、スープをルカスの前に置いた。
「ゆっくり休んでください」
食事をしながら、ルカスは自分の話をしてくれた。
「俺、ここから離れた西の村で生まれ育ったんです。小さな村で、みんな顔見知り」
「ええ」
「でも、ずっと息苦しかった」
ルカスは、パンを千切った。
「自分が何者なのか、分からなくて。村の中では、『鍛冶屋の息子』とか『あの家の次男』とか、そういう肩書きでしか見られない」
「それで、旅に?」
「ええ。自分を見つけるために、村を出ました」
ルカスは、遠い目をした。
「でも旅に出たものの、道のりが険しくて。金も尽きかけて。帰るに帰れない状況になってしまった」
彼は苦笑した。
「情けないですよね」
「いいえ」
僕は、首を振った。
「旅に出る勇気があっただけで、十分だと思います」
「そうでしょうか……」
「ええ。多くの人は、息苦しさを感じても、行動に移せません」
僕は、自分の手を見た。
「僕も、自分が何者か分かりません」
「え?」
「記憶がないんです。守り手という役割はありますが、それ以前のことは何も覚えていない」
ルカスは、驚いた顔をした。
「それは……辛くないですか」
「時々、不安になります。でもーー」
僕は、小屋の中を見回した。
「今、ここにいる。それだけは確かです」
ルカスは、しばらく黙っていた。そして、小さく笑った。
「そうですね。今、ここにいる。それだけで、十分なのかもしれない」
その夜、ルカスは深く眠った。翌朝には足の調子も良くなり、彼は旅を続けることにした。
「守り手さま、ありがとうございました」
「気をつけて」
「はい。自分探しの旅、もう少し続けてみます」
ルカスは、笑顔で言った。
「でも、見つからなくても、それでもいいかなって思えるようになりました」
「そうですか」
「ええ。大事なのは、探すことそのものなのかもしれない」
彼は、リュックを背負った。
「いつか、また会えたら、報告しますね」
「楽しみにしています」
ルカスは、手を振って去って行った。
僕は、その背中を見送りながら思った。人は、みんな何かを探している。答えや意味、自分自身。そして、それを見つけられるかどうかは、分からない。けれど探し続けること、それ自体に意味があるのかもしれない。
また別の日、僕は若い女性を招いた。名前は、アネット。十代後半の、恥ずかしがり屋の女の子だ。村で見かけた時、彼女はいつも一人で、寂しそうにしていた。
「アネットさん、もし良ければ、夕食をご一緒しませんか」
「え……私なんかが、守り手さまと?」
「ええ、お話を聞かせてください」
アネットは、戸惑いながらも、小屋に来てくれた。食事の席で、彼女は少しずつ、心を開いてくれた。
「実は……意中の人がいるんです」
「そうなんですか」
「村の大工の息子で、とても素敵な人なんです。優しくて、力持ちで、笑顔が素敵で」
アネットは、頬を赤らめた。
「でも彼は人気者で、村の女の子たちが、みんな彼を好きなんです」
「なるほど」
「私なんか、まるで相手にされていない。地味で、取り柄もなくて……」
アネットは、俯いた。
「話しかける勇気もないんです」
僕は、少し考えてから言った。
「アネットさん、あなたは今日、ここに来てくれました」
「え?」
「招待に応じて、守り手の小屋に来る。それは、勇気が要ることではないですか」
「でも……」
「あなたには、勇気があります。ただ、使う場所を間違えているだけです」
僕は、微笑んだ。
「意中の人に話しかけるのと、守り手の小屋に来るの、どちらが難しいでしょう」
アネットは少し考えて、小さく笑った。
「確かに、こっちの方が難しいかもしれません」
「でしょう?」
「でも、守り手さまは優しいから……」
「意中の人も、優しいんでしょう?」
「……はい」
「なら、きっと大丈夫です」
アネットは、頷いた。その目には少しだけ、希望の光が宿っていた。
ーーこうして、僕は時折、誰かを招いて、食卓を囲むようになった。孤独な老人。疲れた旅人。悩みを抱えた若者。主にそういう人たちを、気まぐれではあるが、小屋に招いた。料理の腕は、なかなか上達したと思う。少なくとも、招いた人たちは皆、美味しいと言ってくれた。
そして帰る時には、来た時よりも少しだけ、表情が明るくなっていた。食材を一人で独占するのはどうかと思うので、こうして時折、誰かと食卓を囲んで色々と話をするのであった。
人の数だけ、悩みがある。人の数だけ、物語がある。
「一年前に婆さんに先立たれてから、世界から色が失われたようだ」
「自分探しで旅に出たものの、道のりが険しく帰るに帰れない」
「意中の男性がいるけれど彼は人気で、私なんかまるで相手にされていない」
様々な人が、様々な悩みを打ち明けてくれた。僕はこれと言って助言をするわけではない。ただ、聞き役に徹する。食事を振る舞い、僅かながらの時間を共にする。
それだけ。
けれど、それだけで人は少し楽になるようだった。話を聞いてもらうこと、温かい食事を共にすること。それだけで、心が軽くなる。僕自身も人の話を聞くことで、少し救われている気がした。
自分が何者か分からない僕。けれど誰かの役に立っているらしい。それが、僕の存在意義を感じさせてくれた。守り手という役割以外にも、僕にできることがある。そう思えることが、嬉しかった。
ある夜、食事を終えた後、一人の老人が言った。
「守り手さま、あなたは不思議な方ですね」
「不思議、ですか?」
「ええ。守り手という役割は、本来、死者を見送ることです」
老人は、窓の外を見た。
「でも、あなたは生者にも寄り添っている」
「……そうでしょうか」
「ええ。死者だけでなく、生きている者の心も守っている」
老人は、僕を見た。
「それが、あなたの本当の役割なのかもしれませんね」
その言葉は僕の心に、深く響いた。
死者を見送ること、それが守り手の役割。
けれど、生きている者の心を守ること。それも、また守り手の役割なのかもしれない。僕は初めて、自分の存在意義を感じた気がした。
名前はないし、記憶もない。けれど、ここに確かに僕がいる。そして、誰かの役に立っている。それだけで、十分なのかもしれない。
「ヤァ、テッラ」
小さく呟いたその言葉は、いつもより温かく響いていた。
次回〜二人だけの夕餉〜
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