第5話ー分け合う夕餉

ユーリの心の傷が見えるように、伝わってきた。深く、癒えることのない傷。両親を同時に失うということは、想像を絶する痛みだろう。だから僕は、珍しいことに彼女を励ましたくなった。


守り手として、僕はいつも一歩引いた立場にいる。人々とできるだけ適切な距離を保ち、役割だけを果たす。


それが、正しいと思っていた。けれど、今回は違った。


なぜだか分からないが、ユーリを放っておけず、別れてはすぐに、ユーリの家を訪れた。扉を叩くと、驚いた顔でユーリが現れた。


「守り手さま?」

「ユーリさん」


僕は、少し照れくさそうに言った。


「もし良ければ今夜、僕の住まう小屋に来ませんか。食事を振る舞いたいのです」

ユーリは、目を見開いた。


「え……でも、そんな……」

「いえ、こちらの気まぐれです。もし、気が向いたら」


ユーリは、しばらく考えてから、小さく頷いた。

「……ありがとうございます。伺います」


守り手の使命を果たすからには、最も豊かな生活が約束されていた。それは、セレヴァナの掟だった。古くから続く、変わることのない掟らしい。守り手は、村々から食料を「献上」される。


毎朝、僕が目を覚ますと、小屋の扉の前には既に荷物が置かれている。大きな籠に入った野菜や果物に布に包まれた穀物や、丁寧に処理された肉。時には、新鮮な魚が届くことまである。


野菜は実に色とりどりであった。深緑のキャベツ、鮮やかな赤のトマト、太い人参、艶やかな茄子。季節ごとに内容は変わるが、常に新鮮で、最高品質のものばかりで果物も豊富だった。


林檎、梨、ぶどう、桃。夏には甘いメロンが届き、秋には栗や柿が籠を満たす。どれも、村人たちが丹精込めて育てたものだった。


穀物は、小麦、米、大麦、燕麦。挽きたての粉が届くこともあれば、丁寧に精米された米が届くこともある。パンを焼くための酵母や、餅を作るための道具まで、定期的に補充された。


肉は、鶏、豚、時には鹿や猪。狩人たちが仕留めた獲物の中から、最も良い部位が僕のもとへ届けられる。既に血抜きと下処理が済んでおり、すぐに調理できる状態になっている。


魚は、銀色に輝く鯖、立派な鯛、時には珍しい深海魚。保存のために塩漬けにされたものもあれば、氷で冷やされて新鮮なまま届くものもある。


そして、香辛料。これは特に貴重だった。遠い土地から運ばれてくる胡椒、生姜、シナモン。セレヴァナで採れるハーブ類ならタイム、ローズマリー、セージ、バジル。これらは料理に深みを与え、僕の料理の幅を大きく広げてくれた。


なんと酒も届く。村で醸造された果実酒、麦酒、時には蒸留酒。祝いの席で飲まれるような高級な酒が、僕のために用意される。そして菓子までもだ。


蜂蜜で作られた甘いケーキ、ナッツを使ったクッキー、果物を煮詰めたジャム。村の菓子職人が腕によりをかけて作ったものが、月に何度か届けられる。


ありとあらゆる食材が、定期的に僕の小屋に届けられる。それは、一人では到底食べきれないほどの量だった。


最初は、戸惑った。守り手になってから、いつからか分からないが最初にこの大量の食料が届いた時、僕は途方に暮れた。


「こんなに必要ないのに……」


小屋の中に積み上げられた食材を見て、そう呟いた。一人で食べるには多すぎる。野菜は傷む前に使い切れないし、肉も保存できる量には限りがある。


「何か、間違いでは……」

僕は、食材を届けてくれた村人に尋ねた。するとその村人、農家のトーマスという男性は、驚いたような顔をした。


「間違い? いいえ、守り手さま。これは掟です」

「掟?」

「はい。守り手さまは、私たちの魂の番人です。だから、最も良いものを捧げるのは当然です」


トーマスは、深々と頭を下げた。


「どうか、お受け取りください。これは、私たち村人全員の感謝の気持ちですから」

その言葉に僕は、何も言えなくなった。断ることは、彼らの気持ちを踏みにじることになるだろう。


「……分かりました。ありがたく、いただきます」


僕は食材を受け取ったが、やはり一人では食べきれない。


どうしたものかとしばらく悩んだ末、僕はある決断をした。料理を覚えよう、と。そして、誰かと分け合おう、と。料理を覚えるのは、思ったより楽しかった。


最初は、簡単なものから始めた。野菜を切って茹でる。肉を焼く。米を炊く。シンプルな調理法だが、それでも工夫の余地はいくらでもあった。

野菜の切り方一つで、火の通り方が変わる。肉の焼き加減で、味が大きく変わる。米の炊き方で、食感が全く違う。少しずつ、コツを掴んでいった。


そして、香辛料の使い方を覚えた。これが料理の幅を大きく広げてくれた。タイムを加えると、肉の臭みが消える。ローズマリーを使うと、香りが豊かになる。生姜を入れると、体が温まる。シナモンを少し加えると、甘みが引き立つ。


様々な組み合わせを試し、失敗を重ねては次第に、美味しい料理が作れるようになっていった。そんなある日、僕は気づいた。


料理をしている時に僕は、自分が誰なのか考えていない。守り手という役割も、忘れている。ただ、目の前の食材と向き合い、どう調理すれば美味しくなるか考えている。


それは、心地よい時間だった。名前のない自分、記憶のない自分。それが気にならなくなる、唯一の時間。


料理が上達してくると、僕は自然と誰かを招くようになった。最初に招いたのは、村の老人だった。


名前は、エドワード。妻に先立たれ、一人暮らしをしている七十代の男性。ある日、村で彼を見かけた時、その背中があまりにも寂しそうだったので、つい声をかけてしまった。



「エドワードさん、もし良ければ、今夜、私の小屋で夕食をどうですか」


エドワードは、驚いた顔をした。


「守り手さまが、私なんぞを?」

「ええ。一人では食材が余ってしまうので」


それは、半分本当で、半分言い訳だった。

本当は彼の寂しそうな背中が、放っておけなかったのだ。


「それでは……お言葉に甘えて」

エドワードは、嬉しそうに微笑んだ。


その夜、僕は腕によりをかけて料理を作った。

野菜のスープ。ローストチキン。温かいパン。果物のコンポート。


そして、村で醸造された果実酒を用意した。エドワードが小屋を訪れた時、彼は少し緊張しているようだった。


「守り手さま、お邪魔します」

「どうぞ、楽にしてください」


僕は、彼を席に案内した。

テーブルには、既に料理が並んでいた。


「これは……すごい」

エドワードは、目を見張らせてこう言った。


「こんなご馳走、何年ぶりだろう」

「どうぞ、遠慮なく」


二人で、食事を始め、最初は少し気まずい沈黙があった。けれど、食事が進むにつれてエドワードの表情が柔らかくなっていった。


「美味しい……本当に、美味しい」

彼は、スープを一口飲むたびに、そう呟いた。


「婆さんが作ってくれた味を思い出します」

「奥さまは、料理が上手だったんですか?」

「ええ。それはもう」


エドワードは、遠い目をしながらこう言った。


「特に、このスープのような、野菜のスープが得意でした。毎朝、作ってくれたものです」

彼は、ゆっくりとスープを飲み、こう続ける。


「一年前に、婆さんに先立たれてから世界から色が失われたようだ」

その言葉は、静かだったが、深い悲しみを含んでいた。


「朝起きても、隣にいない。食事を作っても、一人で食べる。夜寝る時も、一人だ」

エドワードは、パンを小さく千切った。


「五十年、一緒に生きてきたんです。気がついたら、彼女がいることが当たり前になっていた」

「そうですか……」

「でも、当たり前のことなど、何もないんですね。いつか、必ず終わりが来る」


彼は、果実酒を一口飲んだ。


「空葬の儀で、婆さんを見送りました。守り手さまにも、お世話になりました」

「覚えています」


僕は、確かに覚えていた。

一年前に白い布に包まれた老婆。その隣で、涙を堪えながら立っていたエドワード。

「あの日から、毎日が灰色なんです。何をしても、楽しくない。何を食べても、美味しくない」


エドワードは、テーブルを見た。


「でも、今日は違う」

「え?」


「今日の食事は、美味しい。久しぶりに、味を感じる」

彼は、僕を見た。その目には、涙が浮かんでいた。


「守り手さま、ありがとうございます。こんな老いぼれを招いてくださって」

「いえ……」


僕は、言葉を探した。


「僕こそ、来ていただいてありがとうございます」


エドワードは、涙を拭った。


「婆さんが、どこかで花になって咲いているんでしょうね」

「はい。きっと」

「いつか、私も花になったら、婆さんの隣に咲けるといいな」


その言葉に、僕は何も言えなかったが、ただ静かに頷いた。


その夜、エドワードは長い時間、小屋に留まり食事の後も、二人で酒を飲みながら、色々な話をした。若い頃の話。妻との出会いの話。子どもたちの話。エドワードは話しながら少しずつ、笑顔を取り戻していった。


「今日は、本当に楽しかった」


帰り際、彼はそう言った。

「また、お招きいただけますか」

「もちろんです。いつでも」


エドワードは、深々と頭を下げて、小屋を去った。僕はその背中を見送りながら、思った。料理を作るのも楽しい。


けれど誰かと一緒に食べるのは、もっと楽しい。そして誰かの心が、少しでも軽くなるなら。それは、守り手としての役割以上に、意味のあることなのかもしれない。




次回〜誰かの役に〜

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る