第4話ー巡る命
空葬の儀が行われるのはまちまちだ。
ある時は、二日続けて行われることもある。そう珍しくはない。
村の老人が安らかに息を引き取った翌日、隣村で事故があったと聞けば、僕は二晩続けてホウルプッレに登ることになる。
けれど、さすがに三日以上続いたことはない。半年、いや一年以上の期間が空いたこともある。
その間、サラマンダーは姿を見せない。どこにいるのか、僕にも分からない。
ただ、死者が「誕生」した時に必ず現れる。時間を違えることなく、場所を間違えることなく。
セレヴァナは非常に広い大陸だ。小さな村々が点在し、それぞれが独自の文化を持ちながらも、一つの共通した信仰、空葬の儀で結ばれている。
日々、命が巡っている。それは目には見えない。けれど、確かに感じることができる。風を感じて、それが伝わってくる。
朝、外に出て深呼吸をする。冷たい空気が肺に入ってくる。その空気の中に、何か生命の気配のようなものが混ざっている。
どこかで、誰かが生まれている。
どこかで、誰かが笑っている。
どこかで、誰かが死んでいく。
そして、どこかで、誰かが花となって咲いている。
足元に花が咲いていると、僕はいつも立ち止まる。
小さな野花。色とりどりの花びら。風に揺れる、繊細な姿。
きっと、誰かの生まれ変わりなのだろう。
そう思うと、胸がハッとする。
この花は、かつて誰だったのだろう。
どんな人生を送ったのだろう。
何を愛し、何を憎み、何を夢見たのだろう。
その全てが、今はこの小さな花の中に凝縮されている。
セレヴァナでは、花を摘むことは悪いことではない。
むしろ、推奨されている。
花を摘んで、家に飾る。その香りを楽しみ、美しさを愛でる。それは、故人を敬うことでもあるのだ。
「あなたの美しさを、私に分けてください」
花を摘む時、人々はそう囁く。
「ヤァ、テッラ」
そして、感謝を込めてその言葉を唱える。
けれど花を踏むことは、決して許されない行為の一つであった。
故意であれ、過失であれ、花を踏みつけることは、故人への冒涜とされる。
罪に問われるなどそういったことはない。法律で裁かれるわけではない。
けれど、村八分にされることもある。
人々から白い目で見られることもある。
子どもたちからも、避けられることもある。
なぜなら花を踏むということは、誰かの生まれ変わりを踏みにじることだから。
誰かの人生を、無碍にすることだから。
だから、子どもが成長する過程で真っ先に教えられるのは「花々に感謝を」であった。
歩く時は、足元をよく見なさい。
花があったら、避けて歩きなさい。
もし間違って踏んでしまったら、すぐに謝りなさい。
「ごめんなさい、ヤァ、テッラ」
そして、その花に水をあげなさい。
それが、セレヴァナの子どもたちが最初に学ぶことだった。
昨日に引き続き、今日も空葬の儀が行われた。
朝、まだ陽が昇りきらない頃、僕の小屋の扉を誰かが叩いた。
コンコンコン。いつもの、控えめなノック。
僕は寝台から起き上がり、外套を羽織って扉を開けた。
「守り手さま」
村の若者は確か、ハリーという名前だったと思う。男性が立っていた。顔色が悪く、目には涙の跡があった。
「昨夜、グレゴリーさんが……」
「分かりました」
僕は頷いた。
「すぐに準備します」
ハリーは深く頭を下げて、去って行った。
僕は、小屋の中で準備を始めた。
弓を背負う。水筒に水を入れる。焚き火用の道具を袋に詰める。
ふと、窓の外を見た。
空が、少しずつ暗くなっている。
今日も、また一つの命が終わり、そして新しい旅が始まる。
グレゴリー。
僕は、その名前を聞いて、記憶を辿った。
確か、中年の男性だった。村で小さな工房を営んでいて、家具や道具を作っていた。
腕の良い職人で、村の人々から信頼されていた。妻がいて、子どもが一人いた。けれど——
「病気で妻が先立ち、後を追うように残された夫が自ら命を絶ったらしい」
村の長老が、僕にそう説明した。
僕たちは、グレゴリーの家の前に立っていた。小さな家だが、丁寧に手入れされていて、窓辺には花が植えられていた。
「妻のエリーが、二日前に亡くなりました。長い闘病生活でした。グレゴリーは、最期まで看病していました」
長老は、悲しそうに続けた。
「そして昨夜——グレゴリーは、自宅の寝床で、静かに息を引き取っていたそうです」
「自ら……?」
「ええ。毒草を煎じて飲んだようです。苦しまずに逝けるという、あの草を」
僕は、何も言えなかった。
セレヴァナでは、自死は禁忌ではない。
むしろ、ある種の状況では、理解されることすらある。
愛する者を失い、生きる意味を見失った時。
不治の病に侵され、これ以上苦しむことに意味を見出せなくなった時。
そういう時、人は静かに、尊厳を持って、この世を去ることを選ぶことがある。
それは、逃げではなく——一つの決断だと考えられている。
「娘のユーリが、今準備をしています」
長老は、家の中を指差した。
「彼女が、『包み人』を務めます」
包み人。空葬の儀において、故人を白い布で包む役割を担う者。
それは最も近くで故人に触れることができる、特別な時間でもあった。
ユーリ。
僕は、その名前を聞いて、記憶を辿った。
グレゴリーとエリーの一人娘。
確か、二十歳を少し過ぎたくらいだったと思う。幼い頃、一度だけ会ったことがある気がする。
大きな目をした、人懐っこい子どもだったような気がする。記憶が曖昧だった。けれど、今日会えば、きっと思い出すだろう。
家の扉が開き、一人の女性が現れた。
茶色の長い髪を後ろで束ね、質素だが清潔な服を着ている。目は赤く腫れていたが、表情はしっかりとしていた。
「守り手さま」
ユーリは、僕を見て深く頭を下げた。
「お願いします。父を——父と母を、空へと送ってください」
「はい」
僕は頷いた。
「必ず」
ユーリの目から、一筋の涙が流れた。
けれど、彼女は涙を拭い、しっかりとした声で言った。
「ありがとうございます」
その日の空葬の儀は、特別だった。二人の亡骸が、同時に空へと送られたからだ。
グレゴリーとエリーという、夫と妻。二つの白い布に包まれた亡骸が、並んで横たわっている。
ユーリは、一人で二人を包んだ。
最初に母を、次に父を。その手つきは丁寧で、愛情に溢れていた。布を広げ、体を整え、種子を忍ばせ、そして最後に、顔を包む。
母の顔を包む時、ユーリは声を上げて泣いた。
「お母さん……」
けれど、父の顔を包む時は、涙を堪えていた。
「お父さん。お母さんのところへ行ってね」
二つの布を、そっと寄り添わせた。まるで、二人が手を繋いでいるかのように。
人々が、楽器を奏で始めると、それはいつもより長い演奏だった。
二人分の人生を悼むには、それだけの時間が必要だった。曲は、悲しくも美しかった。別れの悲しみと、再会の喜びが混ざり合った、不思議な旋律。
僕は、その音楽を聴きながら、ふと思った。愛とは、何だろう。愛する者を失った時、人は後を追うほどの悲しみを感じるものなのだろうか。
僕には分からなかった。愛した記憶が、ない。少なくとも、思い出せない。もしかしたら、かつては誰かを愛したのかもしれない。
けれど、今の僕には、その感覚が理解できなかった。
音楽が終わり、人々が「ヤァ、テッラ!」といつものように三度、唱えた。
サラマンダーが動き出した。
そして僕は、二つの亡骸を、サラマンダーの背に乗せた。
並べて、寄り添わせて。
サラマンダーが空へと昇っていく。
二つの白い布が、風になびいている。
まるで、二羽の鳥が一緒に飛んでいるかのように。
人々は、ゆっくりと丘を下りて行った。
けれど、ユーリだけは残っていた。
丘の頂上で、空を見上げたまま、動かなかった。
僕は、彼女の隣に立った。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
ただ、空を見上げていた。
やがて、ユーリが口を開いた。
「守り手さま」
「はい」
「私、これからどうしたらいいんでしょう」
その声は、とても小さかった。
「両親がいなくなって、一人になって……」
僕は、答えを探した。
けれど、適切な言葉が見つからなかった。
僕自身が、一人で生きてきたから。
いや、本当に一人だったのかも分からないのだから。
「ユーリさん」
僕は、ようやく口を開いた。
「あなたは一人ではありません」
「え?」
「村の人たちがいます。友人がいます。そして——」
僕は、空を指差した。
「ご両親は、花となって生まれ変わります。いつか、あなたの足元に咲くかもしれません」
ユーリは、僕を見た。
その目には、まだ涙が溢れていた。
「本当に……そうなんでしょうか」
「はい」
僕は頷いた。
「きっと、そうなります」
それが本当かどうか、僕にも分からなかった。
けれど、そう信じなければこの儀式に意味はまるで無いのだから。
次回〜分け合う夕餉〜
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