第2話ー空想の朝

太陽が登ると、故人に縁があった者たちが続々と丘に押し寄せる。

まず最初に来るのは、家族だ。


配偶者、子ども、親、兄弟——血の繋がった人々が、泣きながら、あるいは無言で丘を登ってくる。


次に来るのは、友人たちだ。

幼なじみ、仕事仲間、近所の人々——生前に関わりのあった人々が、それぞれの思いを抱えて集まってくる。


そして、村中の人々が集まる。

子どもも、老人も、犬も、猫も。

あるものは泣いていた。声を上げて、肩を震わせて。


またあるものは静かに微笑んですらいた。「良い人生だった」と、まるで故人の代弁をするかのように。


犬は静かに尻尾を下げ、主人の死を悟ったかのように大人しく座っている。

猫は小さく鳴いている。「ニャァ、ニャァ」と、まるで故人を呼んでいるかのように。


動物たちですら、その丘「ホウルプッレ」に集うのだ。


死は、すべての生き物に等しく訪れる。そして、すべての生き物が、それを悼む。


人々は亡骸の周りに円を作る。


僕は少し離れた場所に立ち、その様子を見守る。


やがて、最も故人と関わりの深かった人物、多くの場合、配偶者か子ども——が前に進み出る。


その人物の手には、白い布が握られている。


セレヴァナで作られる特別な布。柔らかく、軽く、けれど丈夫な布。


代々受け継がれてきた織り方で作られ、空葬にのみ使われる神聖な布。


その人物は、ゆっくりと亡骸に近づく。

そして、丁寧に、愛情を込めて、故人の体を布で包み始める。

「包み人」という役割だった。


足から、腰、胸、そして最後に顔。

顔を包む瞬間、多くの人が涙を流す。


もう二度と、その顔を見ることはないのだから。

布の中に、人々は様々な植物の種子を忍ばせる。


ひまわり、野花、ハーブ、木の実——故人が生前好きだった植物の種子を。


それらは、やがて故人と共に大地に還り、そこで芽吹き、花を咲かせる。


故人は花となり生まれ変わる。

そういう信仰が、セレヴァナには根付いていた。



龍は、朝になっても丘の最も先、崖っぷちにそびえ立ち、夜から巻き起こる一連の流れを「眺めて」いる。


サラマンダーの瞳には、何が映っているのだろう。


人々の悲しみが見えるのだろうか。


それとも、もっと別の何か——僕たちには理解できない、より高次の真実が見えているのだろうか。


時折、サラマンダーが瞬きをする。

それが唯一の動きだった。


太陽が昇り、空が明るくなっていく。

雲が流れ、鳥が鳴き、風が草を揺らす。


世界は、死など無かったかのように動き続ける。けれど、この丘の上だけは、時が止まったようだった。


やがて陽が頂点に昇った時、空葬の儀は始まる。


正午。太陽が真上に来て、影が最も短くなる時刻。それが、合図だった。


人々は、それぞれの楽器を取り出す。この地方では、新たに生命が誕生する際、様々な楽器が贈られる習慣がある。


赤子が生まれると、家族や村の人々が相談し、その子に相応しいと思われる楽器を選ぶ。太鼓、笛、弦楽器、打楽器——種類は様々だ。


そして、その楽器は生涯、その人物に寄り添う。喜びの日には、明るい音色を奏でる。悲しみの日には、慰めの旋律を奏でる。


祭りの日には、新しい曲が披露される。そして、最後の日——空葬の儀では、別れの調べを奏でる。


その楽器と生涯向かい合うことが、また一つの慣わしであった。


楽器は、その人の人生そのものだった。手の形に馴染んだ楽器。

長年の使用で艶が出た楽器。時に修理され、時に調整され、けれど決して手放されることのない楽器。太鼓のようなもの、笛のようなもの、弦楽器のようなもの——姿かたちは実に様々だった。



ある者は、小さな手鼓を持っている。リズムを刻む、シンプルな楽器。ある者は、竹製の縦笛を持っている。澄んだ音色を奏でる、繊細な楽器。またある者は、三弦の小さな琵琶のような楽器を持っている。哀愁を帯びた音を奏でる、情感豊かな楽器。



一方で、守り手である僕は、楽器を持っていない。

代わりに「弓」が代々の守り手に預けられたようだった。

その弓は今、僕の背に担がれている。


弓は僕の身体半分くらいの大きさで、初めて手にした時——いつだったか思い出せないが——弓柄を引くことは出来ず、抱えることで精一杯だった。


子どものような自分が、大きな弓を必死に抱えている姿が、ぼんやりと記憶の奥に残っている。

弓は木製ではなく、金属でもない異なる文明からやってきたような素材で作られている。触ると、冷たくもなく、温かくもない。硬いようで、わずかにしなやかさがある。傷一つなく、まるで昨日作られたかのように新しい。


けれど、確実に古い。何百年、いや、何千年も前から存在しているような気がする。この弓が役に立ったことは、まだ一度も無い。狩りにも使わない。護身にも使わない。ただ、背負っているだけ。


けれど、他の皆が楽器と生涯向き合うことを約束されたように、守り手である存在は弓の腕を磨かなくてはいけなかった。それが、掟だった。


毎朝、僕は早朝、弓の訓練をする。的に向かって矢を放つ。最初は、的にすら当たらなかったように思う。


けれど、今では——いつからかは分からないが——百発百中だ。どんなに遠くても、どんなに風が強くても、矢は必ず的の中心を射抜く。なぜそんなに上手くなったのか、自分でも分からない。

体が勝手に動くのだ。

まるで、何千回、何万回と練習してきたかのように。


ーー正午の光の中、人々が楽器を構える。


そして、静謐な古代の調べが、奏でられ始めた。

最初は一本の笛の音だった。高く、澄んだ音。風に乗って、空へと昇っていく。次に、弦楽器が加わった。低く、重い音。大地に響き、魂を揺さぶる。そして太鼓が加わった。


規則正しいリズム。心臓の鼓動のような、生命の証。


一つ、また一つと楽器が加わり、やがてそれは壮大な一つの曲となった。


喜びと悲しみが混ざり合った音楽。生と死が交錯する音楽。別れと再会を同時に歌う音楽。人々は目を閉じて演奏している。


涙を流しながら演奏している者もいる。けれど、その音に乱れはない。


完璧な調和。何十人、何百回と繰り返されてきた儀式の中で磨かれた、完璧な調和。僕は、その音楽を聴きながら、不思議な感覚に襲われる。これを、前にも聴いたことがある。


何度も、何度も。同じ旋律。同じリズム。同じ和音。

けれど、それは記憶なのか、それともデジャヴなのか——


音楽は、やがて静かになっていく。

一つ、また一つと楽器が止まり、最後に残ったのは、たった一本の笛の音だった。


その音も、次第に小さくなり——


最後の一音が、空虚に溶けた刻。


沈黙。


完全な、完璧な沈黙。風も止まった。鳥も鳴かなくなった。


世界全体が、息を潜めているようだった。


そして——


「ヤァ、テッラ!」


一斉に、人々が唱えた。

その声は力強く、空に響き、大地を震わせた。


「ヤァ、テッラ!」


もう一度。


「ヤァ、テッラ!」


三度目。


そして——ここで、ようやく白龍の「おでまし」だ。

サラマンダーが、動いた。


崖の縁から、ゆっくりと体を起こす。

巨大な翼を広げる。


その翼は、空を覆うほど大きかった。日光が遮られ、丘全体に影が落ちる。


人々は、息を呑んだ。

何度見ても、その光景は圧倒的だった。




次回〜白龍〜






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