万延元年の涼宮ハルヒ

森崇寿乃

第1話​ 嵐の前の諦観

 雨に濡れたセーラー服と、泥に汚れたローファー。そして、深海魚のように冷たく、しかし原子炉のような熱を秘めた瞳。

 私がその少女――涼宮ハルヒと遭遇したのは、鶏たちの糞尿の臭いが立ち込める小道であったが、その瞬間、私の灰色だった青春は、不可逆的な「狂気」の季節へと舵を切ることになったのである──。

 ​

 ​六月の雨が、私という存在を包み込む羊水のように、あるいは死者を埋葬する泥土のように、この谷間の村全体を執拗に濡らし続けていた。

 私が東京という巨大な消費と政治の荒野から、敗走兵のような惨めさを引きずってこの村に帰還して以来、空はずっと鉛色の内臓を晒し続け、そこから絶え間なく降り注ぐ雨滴は、私の皮膚の下にある神経を一本一本腐らせていくような陰鬱な響きを立てていた。

 ​私は二十歳になろうとしていたが、社会的には何者でもなかった。

 大学受験という制度的な通過儀礼に失敗し、予備校生という名のモラトリアムの身分で潜り込んだ東京の神田界隈で、私はあの熱狂的な、しかし今にして思えば極めて空疎な政治運動の渦に巻き込まれた。ヘルメットとゲバ棒、路上のバリケード、そしてシュプレヒコールの波。私たちは世界を変革できると信じ、あるいは信じるふりをし、最終的には内側からの裏切りと、権力による圧倒的な物理的暴力によって粉砕された。

 ​私の魂は、あの催涙ガスの白煙と、仲間たちが互いを糾弾し合う凄惨な言葉のつぶてによって去勢されていた。私は逃げ出したのだ。革命の幻想から、そして自分自身の卑小な弱さから。

 ​現在、私は実家の養鶏場で、鶏たちの糞尿を処理する労働に従事している。

 アンモニアと発酵した飼料の臭気が充満する鶏舎の中で、私は何千羽もの鶏が、ただ卵を産むための生体機械として、金網のケージの中に押し込められている光景を眺める。その、「コッコッ」という乾いた、意味を持たない鳴き声の集積は、かつて私が参加した集会での、無意味なスローガンの連呼と奇妙に重なり合うことがあった。

​「やれやれ」

 ​私はゴム長靴のつま先で、泥にまみれた鶏糞の山を蹴りながら、その慣用句めいた嘆息を漏らした。それは、もはや誰に向けたものでもない、私自身の空虚な内面を確認するためだけの、ひどく個人的な儀式であった。

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万延元年の涼宮ハルヒ 森崇寿乃 @mon-zoo

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