3.階段

「亡くなった祖父母は、造園を趣味に。というより、それを通し越して、半ば生業としておりまして。生前は私も、特に可愛がってもらいました。それは、母に対してよりも、強い愛だったかもしれません」


 裏口から出てすぐの場所に立つ、蔵。その閂に鍵を差し込みながら、彼女が言った。その左手には、先ほどの籠が握られている。三十センチほどの高さの、約六分目まで溜まった種は、それぞれの色形を主張しながら、静かに身体を重ねあっていた。

 

 正門に比べ木々の葉が多く茂るこの場所は、外とは思えない涼しさだった。光を抱きながら空を覆う葉は、囲いのようにも、聖域を守る天然の社のようにも感じられた。不思議なのは、夏のさ中にこれだけ草木が生い茂っているのに、虫の姿が一切認められないことだった。


 蔵の扉が開いて目に飛び込んできたのは、農具や園芸用のものと思われる機材や、土嚢のように積みあがった、あれは肥料だろうか。木と土の匂いがややこもってはいるが、嫌いではない。外の空気が入ったからか、どこからか、覚えのある花の香りが鼻孔をくすぐった。


「足元に、お気を付けください」


 そう言って、彼女は二階に続く階段を上がり始めた。今更ながら、「持ちましょうか」と声をかけるが、「お気遣いだけ」と、断られた。


 しっかりした階段のようで、何度踏みしめても、足音ひとつたたなかった。外観をじっくりと見分したわけではないが、もともと堅牢なつくりなのかもしれない。

 ひとつ欲をいえば、足元が薄暗いので、やや意識をして一歩一歩を踏み出さなければならないことくらいか。前を行く彼女の細い足首を、追いかけるかたちになる。


 ふと、私は気づいた。私たちは、あれから何段、階段を上がっている?


 先ほどちらりと見た感じでは、この蔵は二階かそこらの、一般的なつくりと高さに見えた。それが、どうしたことだろう。体感でしかないが、真っすぐな階段を上がり始めて二分か三分は、確実に経過している。

 首筋を伝う汗に、冷たいものが混じり始めた。前方の彼女は息ひとつ乱さず、粛々と歩を進めている。離されてはいけない。私はそう直感した。


「父は、私が小学生のとき、亡くなりまして」


 ふいに、彼女が口を開いた。初めて、足元から家鳴りがした。


「それは、ご愁傷さまです」


「母の仕業でした」


 昨日の空の色を告げるような、重さのない口調で彼女が言った。


「酔って、溺れたことにはなっています。いえ、実際、そのようになりました。けれどそれは、母による画策でした。いいえ、正確には・・・・・・」


 彼女の言葉が途切れると同時に、彼女の目の前に扉が現れた。少なくとも、暗闇の中で私には、そう見えた。先ほどとは別の鍵を握った彼女は、肩越しに私を見やり、申し訳なさそうに言った。


「ごめんなさい。お疲れになりませんでしたか」


「いいえ・・・・・・」


 嘘だった。身体が。いや、それよりも、精神的な疲労が、少しずつ蓄積していた。


「終わりましたら、冷たいお飲み物をお持ちしますね。少しの間だけ、ご辛抱ください。少しお時間を、頂戴いたしますね」


 彼女の手元で、カチリと音がした。続けて、ダイヤルを回す、カラカラという乾いた音。手元から覗くそれは、南京錠だった。それも、一つや二つではない。


「先ほど、八代様が仰ったように」


 一つずつ、数字が定まっていく。


「少しばかり、常識の外にあるものを、お目に入れることになります。あまり綺麗なものではないので、心苦しいのですが」


「慣れておりますので、お気遣いなく」


 そう返しながら、ここで私は、また気づいた。花の香りが、先ほどよりも強くなっている。

 ごとんと、音が鳴った。一つ目の南京錠が、床に転がっていた。「そう言っていただけると、ありがたく存じます」と、彼女は言った。


「八代様」


「はい」


「人の念というものは、今生にいなくてもなお、消えないものなのでしょうね」


 二つ目の、錠が落ちた。


「場合によるとは思いますが、個人的には同意いたします」


 証明の仕様はないがそう答えると、含むように、彼女は小さく笑った。またひとつ、そしてもうひとつと、錠が落ちていく。数分あけて、彼女が言った。それは、水辺で謡う、小鳥のような声だった。


「私は、愛されていました。父に。祖父母に。けれどね、八代様」


 最後の錠が落ち、彼女の右手がだらりと下がった。


「あの人たちは、そうじゃなかった」


 言って彼女は、扉を開けた。


 






 









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