2.種

 花の名に因んだ鎮魂歌を奏でる彼女は、ハーモニカを口から話すと、恥ずかしそうに微笑んだ。


「すみません。習慣になっていまして」


「いえ」


 言葉少なに返しながら、私はさりげなく彼女を観察した。


 薄い青色のワンピースを纏った彼女の年のころは、二十代に届くかどうか、だろうか。先ほどのやや手狭な和室と違い、さらに奥に通された座敷の縁側で音色を奏でた彼女の肌は透明感があり、ほころんだ口元から、健康そうな白い歯がのぞいていた。アーモンド形のくっきりとしたまぶたに、細い眉。艶めいた唇に目が留まりそうになり、私はつと視線をずらした。


「不思議なお名前ですね。『ニドラ』って。何か、特別な意味があるのでしょうか」


 私の所属先のことだ。時折なされる質問なので、いつもの返答を返す。


「いえ。私は詳しくはないのですが、サンスクリット語で、『眠り』という意味だそうです」


「素敵な名前ですね」


「知ったかぶっているだけかもしれませんけどね。以前は、『ララ』と言っていました」


 ふふふと、彼女が笑う。育ちの良さというより、気品すら感じさせる、優雅な微笑だった。陰りがない。頃合いをみて、私は尋ねた。


「弊社への、見積もりおよび買取の依頼とうかがっておりますが」


 頷いて、彼女は、その細く白い指を、口元にあてた。


「ところで、八代様。なんと言いましょうか。この件に関しましては」


「もちろん、守秘義務がございます。私どもの生業ですので、疎かにすることはけしてございません。漏洩に関しましては、一切のご心配は必要ありません」


 しばしの沈黙。風が通り過ぎ、ほんの一瞬、彼女の頬にかかる髪を揺らした。


「それがたとえ」


 私は続けた。


「常識のことわりに、抵触するものであっても」


 彼女はまっすぐにこちらを見ている。その視線に一瞬、氷のような鋭さがよぎった気がして、私は「ですが」と一つ分、呼吸を挟んだ。


「私どもで買取に値しないと判断した場合、別途料金を頂戴いたします。また、いただいております前金についても、返却しかねますので、改めてご了承をいただければと」


「けっこうでございます」


 もっとも、この時点で、そのような展開はないと、私は確信していたのだけれど。事実、事前に契約書に記載された内容を確認しあうこのやりとりは、極めて形式的なやりとりだった。


「ゆか・・・・・・り・・・・・・」


 目をやると、先ほどの女性が竹籠たけかごをもって立ちすくんでいた。嘔吐がすぎたのか、呼吸のたび、喉からぜろぜろと音が鳴っている。その双眸そうぼうには、明確に怯えの色が浮かんでいる。私に対してではない。その視線の先は、凝視することも、逸らすことも許されないまま、曖昧に彼女に向かっている。


「ありがとう。お母さん」


 籠を受け取ろうと手を伸ばす彼女に対し、首切りを宣言する王女に懇願するように、女性は跪いた。


「お願い・・・・・・もう、こんな、ことは・・・・・・」


「ありがとう。戻って待ってて。終わったら、行くから」


 母と呼ばれた女性は崩れ落ちそうになりながら、支柱に縋ってなんとか体勢を持ち直した。私のことなどとうに視界から消えているようで、こちらには一瞥もせずに、よろめきながら去っていった。

 さきほどの薄暗がりの部屋では気づかなかったが、その両の目の下は、真っ黒なくまに縁どられていた。

 そして、女性が彼女の前に置いていった籠には、ぎっしりとそれが溜まっていた。


「さきほど、ご覧になられた通り」


 彼女が、微笑を崩さないままに言う。


「これは、種です。種を吐くのです、母は」



 

 

 


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