種を吐く。

西奈 りゆ

1.依頼

 今日の最高気温は三十六度の予想だった。まだ昼前だけれど、体感温度は、とうに三十度は超えていた。日差しが、容赦なく車体を熱する。最大出力にしているのに、ガソリンばかり食って一向に温度を下げないエアコンに苛立ちながら、私は車を走らせていた。


「うわ、最悪・・・・・・」


 渋滞を避け、ナビを頼りに抜け道に入ると、消防車の赤い車体と、パトカーの車両が数台止まっていた。その中央には、真っ黒に焦げ、いまだに燻っているのが見て取れる車両が、横たわっていた。

 傍のブロック塀が、半分以上倒壊している。追突事故か。炎上した車の主は、どうなったのか。救急車の姿がない現場からは、想像をすることはできない。本来は。


(ご冥福を)


 けれど、私には分かる。いましがた、ここで、誰かが命を落とした。

 霊感ではない。事実、こうして窓越しに現場を見ていても、私には何も見えていない。体質ではなく、職業柄身に着けた、勘のようなものだ。

 交通誘導をする警察官の指示に従いながら、私は依頼者のもとにたどり着く、最短ルートを計算しなおしていた。


 再び国道に出た先のコンビニの駐車場に車を入れ、私は依頼者の記した連絡先に、事情により少々遅れる旨、連絡を入れる。


「『ニドラ』の、八代やつしろと申します。申し訳ないのですが、交通事情により、少々お時間を過ぎる見込みでして」


「かまいません。気をつけて、お越しください」


 それが、名前も知らない依頼人からの返答だった。



 到着した先は、私有地の奥まった場所にある広めの日本家屋だった。通された和室は暗く、やや埃臭かった。


 目の前に座す依頼人の年齢は、五十代半ばといったところだろうか。やや酷薄そうな印象を与える薄い目と唇に、あまり手入れがなされた様子がない、パーマがかかった茶色の髪を、後ろに束ねている。どことなく生気を欠いたその風貌から、実年齢はもう少し若いのかもしれない。勧められた麦茶に口をつけると、依頼者と思われる女性は、ためらいがちに何かを口にしようとして、言いよどんだ。


「ご質問でしたら、どうぞ」


 そう言いながら、私はそっと目の前の女性を観察する。

 健康ではないのは、一目して明らかだった。頬は薄くなり、部屋に光は差しているのにも関わらず、顔色は冷気にあてられたように青白い。笑みらしいものを浮かべているが、口の端は細かく痙攣しており、こちらを見やる目にも警戒というより、どこか恐れの色が見て取れた。


 とはいえ、こうした依頼人の姿には慣れている。私たちに依頼する者は、多くが後ろめたい事情を抱えている。なおかつ「ニドラ」もとい、「買取屋」と称される私たちに、最初から良い感情を抱くものは少ない。

 これまで目の当たりにした依頼者たちの様子を脳裏に浮かべていると、女性が飲み込みかけていた言葉を発した。


「あの・・・・・・じつは、依頼したのは私じゃなくて。申し訳ないのですが、ここでお引き取りいただくことは」


 ああ。そういうタイプか。


「つまり、この依頼は、上原うえはら様のご意向には沿わないものであるということですね。しかし、あくまで私たちは、上原ゆかり様のご依頼で動いておりまして。既に、前金のご入金もいただいておりますし」


 言い終わらないうちに、女性が膝をつき、私の肩を掴んで叫んだ。


「いいから帰って!早く!どうしよう、助けて。助けて。あいつが。あいつが帰っ・・・・・・」


 言い終わらないうちに、女性の眼球がぐるりと上を向き、口元全体が、ぶるぶると痙攣し始める。そして彼女の喉元を、急速に何かが這い上がってくるのが分かった。


 嘔吐か。


 持病ありか。そんな情報はなかったが。咄嗟に飛びのく。

 吝嗇家りんしょくか(つまり、ケチ)な西永にしながが支給した安物のスーツとはいえ、汚されてそのまま帰るのは、割に合わない。咄嗟に飛び上がって避けると、案の定、女性は畳の上に向かって、盛大に体内の中身を吐き出した。

 それを見た私は、久しぶりに言葉を失った。


 黒や、白。黄土色。球体もあれば、楕円形のようなものもある。いずれにしろ、おびただしい数だった。その大きさも様々で、直線のようなものも、三日月のような形状をしたものもあり、途中で欠けてひび割れたものもあった。それらは一様に、胃液と唾液に塗れてぬらぬらと艶をまとっており、女性がのたうつようにえずいて吐き出すたびに、床の上に石畳のように盛り上がり、その数を増やしていった。おそらく、百は、超えているだろう。


(石・・・・・・? いや、これは・・・・・・)


 勢いがついて足元に飛んできたその一粒を、仔細に観察する。ずっと昔。おそらく幼少の頃に、私はこれを目にしたことがある。


(花の・・・・・・種?)


「お待たせいたしました」


 手を出そうとしたら、後ろから声がかかった。振り向くと、別の女性が戸口の前に立っていた。


 外の厚さを感じさせない、涼しげな笑顔を浮かべた彼女は、この異常な状況を前にしても、その笑みを崩さずに、私だけを見やっている。


「あなたは・・・・・・」


 予想を確かめるために念のため問う。「お呼びしておきながら」と遅れた非礼を詫びつつ、彼女は想像通りの返答をした。


 彼女が依頼主。上原ゆかりだった。

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