第5話 「お見舞い」

 石井とのわだかまりが残ったまま二週間が過ぎた。梅雨の終わりが近づき始めた頃、松永の高校では期末テストが行われた。

 今日はその最終日で、チャイムが鳴ると同時に教室のあちこちで小さな息が漏れた。話し声が増えていき、椅子を引く音や、筆箱を閉じる音が重なって、張りつめていた空気がゆっくりほどけていく。松永も肩の力を抜いて、机の上を片づけた。


「テスト、どうだった?」


 上野が急に振り向いてきて、松永は少し反応が遅れた。


「んー、まあまあかな」

「俺、今回自信あるんだよね」


 にっと笑って上野が「夏休み前だから気合い入れたんだ」と自慢気に語る。


「そういえば、赤点とったら夏休みに補習やるんだっけ?」

「らしいな。まっつん大丈夫かよ? 中間も英語の赤点ギリギリだったんだろ?」

「まあね……」


 正直、松永は今回のテストにおいて、英語に限らずどれも自信がなかった。テスト勉強はやっていたものの、どれもあまり手につかなくて、徹夜でやってみても効果は薄かった。


「石井のやつ、ついにテストまで休んだな」


 上野が石井の席を見ながら目を細めた。それを見て、松永も自然と石井の席に目を向ける。

 石井はテスト初日に顔を出して以来、ずっと欠席が続いていた。中間テストの時は、石井も全日ちゃんとテストを受けに来ていたから、今回もテストだけは受けに来るのだと、松永は思っていた。


「テストって後日受けられるんだっけ?」

「さあ? まあどうせ、サボりにサボってたし大した点数とれなかったでしょ」


 上野は椅子の上でふんぞり返って鼻で笑った。

 以前の松永なら上野に同調して適当に流していただろう。でも今はとてもそんな気分にはなれなかった。

 上野としばらく話してから、松永は帰り支度を済ませた。関口と田村も合流して、いつものように教室を出る。

 廊下を歩いて、階段を下りる手前で「松永!」と高崎の声に呼び止められた。前を歩いていた三人も、松永と同じように振り返った。


「また呼び出し?」

「カンニングでもした?」

「してないって」


 上野と田村がからかうのを松永は適当に笑って誤魔化した。


「ちょっと行ってくる、先帰ってていいから」


 珍しく黙りこんだままの関口にそう伝えて、松永は踵を返した。なんとなく、石井の話をされるような気がした。

 足早に目の前までやってくると、高崎は早速、「松永、今から時間あるか?」と聞いてきた。


「ありますけど……」

「石井の様子を見に行ってやってほしいんだ」


 高崎の言い回しが気になって、松永は眉をひそめた。


「実はここ数日、体調を崩してて……何度か俺も行ってみたんだけど、長引いてるみたいでな」

「でも、俺が行っても……」


 松永は口論になったあの日以来、石井と話すタイミングを掴めないでいた。正直、顔を合わせるのは少し気まずかった。


「ちょっとでいい。俺は今日、仕事が溜まってて行けそうにないんだ」

「はあ……」


 そんなに過保護にならなくても、とは思ったが、高崎の必死さに松永も断りきれず、最後にはわかったと頷いた。



 その日の午後、松永は一度家に帰ってから私服に着替え、近くのコンビニへ足を運んだ。病人のところへ行くのに、手ぶらで行くのもどうかと思ったからだ。

 適当に、水とスポーツ飲料を買い物カゴにつっこみ、スイーツの棚を眺めた。体調が悪いのにケーキもないだろうと、下に陳列されたゼリーの類いへ目を向ける。

 そこで、いや待てよと、松永は思い直した。家に家族がいた場合、石井に渡すぶんとは別に、ケーキの一つでも買って行ったほうがいいだろうか。松永は真剣に悩み、兄弟がいた場合も考慮して小さなホールケーキをカゴにいれた。これなら好きなサイズに切り分けられるし、石井も体調が治れば食べられるだろう。

 石井のぶんの蜜柑ゼリーも忘れずカゴに入れ、レジに並んだ。その間に松永は家族に会った時の挨拶を頭の中でシミュレーションした。

 コンビニから石井の家までは、一度一緒に帰った時のことを思い返しながら進んだ。見覚えのある集合住宅地を抜け、小さなアパートが見えてくる。お世辞にもセキュリティがしっかりしているとは思えない襤褸アパートの一室。名字が置かれるはずのプレートは白紙で、その上に【103】とだけ書かれている。

 扉の横には汚れて音がなるかも分からないチャイムのボタンがあって、松永は緊張しながらそれを押した。ジーッとノイズのような音が鳴り、びっくりして指を離す。後ずさった拍子にコンビニの袋を落としそうになって、ひやりとした。

 扉の前でわたわたする自分が恥ずかしくなって、松永は俯き加減に大人しく待った。

 しかし、しばらく経っても誰かが出てくる気配はなかった。チャイムが効かなかったのかもしれないと、今度は扉をノックした。コンコンと控えめに音を立てる。だけどいくら待っても足音の一つもしなかった。

 居留守をされているのかとも考えたが、もしも石井が一人で家にいるのなら、単に出てこられないくらい体調が悪いのかもしれない。心配になって今度は強めに扉を叩いた。


「すみません!」


 声をかけ、ドンドンと何度か同じことを繰り返す。そのうち、扉の向こうから人が動く気配がした。一歩下がって待っていると、扉がギイっと鈍い音を立てて開いた。


「はい……」


 覇気のない声と一緒に、グレーのスウェットを着た石井が顔を出す。


「よお」


 松永は扉の隙間から顔を覗かせると、コンビニの袋を掲げて見せた。


「お見舞いにきた」


 そう言うと石井は困ったように目をそらした。


「体調はどう?」

「……平気」


 石井の声はいつにも増して低く、かすれていた。どこからどう見ても“平気”では無さそうだった。


「いろいろ買ってきたんだ。家族は今いないのか?」

「……いない」

「仕事かなんか? じゃあ今日ずっと一人なの?」

「……」


 石井は黙り込んだあと、ボソリと一言呟いた。


「家族はいない」


 松永は驚きで言葉に詰まった。


「いろいろ、買ってきてくれたんじゃないのか」


 石井に言われて「ああ……」とぎこちなく頷く。

 家族がいないということは、石井は今、このアパートに一人で住んでいるのだろうか。

 松永は石井の背後に見えるアパートの中に視線を向けた。陽当たりがよくないのか、薄暗くてよく見えない。物が少ない部屋だというのだけは伝わってくる。

 病気のなか、こんな場所で一人でずっと過ごしていたのかと思うと、松永のほうが切なくなった。


「石井、飯食った?」

「……は?」

「薬は?」


 矢継ぎ早に聞くと、石井は戸惑ったように首を横に振った。


「俺、ちょっと買い物行ってくるから待ってて」

「でも……」


 石井の言葉を最後まで聞かずに、松永は走りだした。

 ここら辺は住宅街が続いているせいで駅前まで行かないとスーパーも薬局もない。駅までは走っても二十分はかかる。だったら家に帰って薬を探したほうが早い。飯はコンビニにレトルトのおかゆか何かが売っているだろう。

 頭の中で算段をつけ、自宅に急いだ。息を切らして家に帰ると母親が「どうしたの」と目を丸くした。


「あのさ、薬貰っていい? 風邪の時に飲むやつ」

「風邪薬? 何で急に?」

「……友達が、風邪引いてて。でも薬飲んでないみたいだから」

「あら、それはいけない。残ってたかしら」


 母親は慌てて薬箱を探しだすと、数分経って戻ってきた。


「これでいい?」

「あ、ありがとう」

「いいのよ、これくらい。それよりその子、ご飯はちゃんと食べてるの?」


 松永は自分と同じことを聞く母親に苦笑しながら「食べてないと思う」と答えた。


「じゃあお粥でいいかしら。ちょっと待ってて、すぐつくるから」

「え、でも……」

「できたらタッパーに入れるから、持っていってあげてね」


 そう言うと、松永の返事も聞かずにキッチンへ消えていってしまった。

 お粥を待っている間、松永は石井の家族用に買ったホールケーキを自宅の冷蔵庫に入れた。走ったせいで、少し形が崩れていた。

 それから、石井の家になさそうなものを自宅からいくつか持っていくことにした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 22:00 予定は変更される可能性があります

ペトリコール 東雲ひかる @snnmr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画