第4話 「意地」

 翌日、松永はリビングで朝食を食べながらテレビをつけた。お馴染みの情報番組では天気予報が流れていて、今日は朝から夜にかけて雨が続くようだ。


「なんだか最近、お父さんに似てきたわね」


 ため息混じりに呟きながら、母親がテーブルに松永のぶんの弁当を置いた。


「ニュース見ながらご飯食べる姿、そっくりよ」


 そう言われて、松永は微妙な気分だった。父親を軽視しているつもりはないが、自分でも意識していないところで似ていくのは、恥ずかしいものがある。


「そろそろ時間なんじゃない?」


 黙って考え込んでいる間に、家を出る時間が差し迫っていた。残りの朝食を口に詰め込み、弁当を鞄に入れる。

 玄関で靴を履きながら、松永は傘を二本持っていくべきか迷った。

 毎回、昨日のように二人で傘に入るのも変だし、何より知り合いに見られるのは憚られる。だからといって、二本あるのを見られたら上野あたりにつっこまれそうで、億劫になった。

 悩んだ末に、結局、折り畳み傘を持っていく方向で落ち着いた。


「行ってきます」

「はーい、行ってらっしゃい」


 母親の声に見送られ、家を出る。

 今朝はここ最近のなかでも特に雨が酷かった。歩いているだけなのにズボンの裾が濡れていく。

 学校についたら、体操着に着替えようか、松永は本気で悩んだ。ズボンだけならそこまで目立たないし、案外悪くないかもしれない。

 そんなことを考えていたせいで気付かなかった。前を歩く人影に顔を上げる。ビニール傘の向こうに、赤髪が見えた。


「い、石井?」


 思わず声が出た。

 前を歩く男は振り向きもしない。松永は小走りで横に並んだ。


「おはよう」


 そう言うと石井は少し間を置いてからぼそりと「おはよ」と答えた。松永は嬉しくなって石井の顔が見えるように半歩前を後ろ向きに歩いた。


「朝から珍しいな」

「……」


 相変わらず石井の反応は乏しい。けれど、松永と目を合わせてくれるから、無視していないのだけは伝わってきた。


「もうすぐ期末テストだし、授業受ける気になった?」

「……まあ」

「ふーん」


 石井の返事がどこか言い訳めいていて、松永はニヤニヤと笑った。


「……高崎に」

「ん?」

「高崎に傘のこと、相談するって言ってたやつ……」

「ああ、あれな。今日にする?」

「……」


 石井の返事はない。


「俺はいつでもいいよ。でもなるべく早いほうが見つけやすいと思う。梅雨が終わったら機会が減るし」

「……言わなくていい」


 予想外の返答に松永は目を丸くした。


「なんで?」


 聞いても石井は黙って俯くだけだった。


「悔しくないのかよ、あんなことされて」

「だから、どうでもいいって……」

「どうでもよくない!」


 思ったより大きな声が出て、松永は慌てて「ごめん」と謝った。石井は「いや」とも「いいよ」とも言わなかった。


「でも、どうして言わないんだよ。このままだと石井だって困るだろ?」

「……」

「石井が動かないと、これからだって同じことが繰り返されるんだぞ。今はまだ傘だけかもしれないけど、そのうちもっとエスカレートしていくかもしれないし……」


 松永が何を言っても石井が首を縦に振ることはなかった。どうしてそこまで言いたくないのか、理解できなかった。


「俺は納得できない。石井が言わなくても、俺は高崎に言うから」


 意地になってそう告げると、石井は松永の腕を掴んだ。かつてないほど、険しい表情をしていた。


「やめろ」

「なんで?」

「これは俺の問題だ」

「でも俺は知ってる。……知ってるのに黙ってるなんてできない」

「……っ」


 石井はぐっと眉間に皺を寄せた。二人の間に沈黙が流れる。

 しばらくして、石井は掴んでいた松永の腕をほどいた。そしてなにも言わないまま、先に行ってしまった。

 その後、松永は時間ギリギリで教室に入った。体操着に着替えることも忘れて、席に着く。

 窓際から横に五列目、最後尾が石井の席だった。チラリと横目に見ると、石井は珍しくそこに座っていた。嬉しいはずなのに、素直に喜べなかった。

 松永は石井の傘を盗んだのは上野だとほぼ確信していた。上野は普通に話していればそこまで悪いやつじゃない。だけど、石井に対しては違う。明確な悪意を傍で何度も見てきた。だからこそ余計に、目の前にいてなにもできないのが悔しかった。

 とはいえ、証拠もなしに直接本人に問い質したところで、シラをきられるだけだ。なんの解決にもならない。高崎に相談しようと言ったのは、そのためだった。

 それなのに、石井は拒絶した。どうしてなんだろう、と考えてみてもわからない。単に面倒ごとにしたくないだけなのかもしれない。

 本人が明確に嫌がってるのだから、強要することはできない。松永もわかってはいた。それでも、何とかしてやりたかった。



 その日、石井は珍しく一日中教室にいた。休み時間になる度、松永が席を立つと、石井は少し後ろをついてきた。だけど話しかけてくるわけじゃない。

 松永は最初、今朝のことがあるから声をかけづらいのかと思った。だったら自分から声をかけるべきだろうかと考えた。でも、石井にそんな様子はなかった。 

 そんなことを何度も繰り返すうちに、松永は次第に監視をされているような居心地の悪さを感じた。そして気づいた。

 石井はもしかしたら、自分が勝手に高崎へ傘のことを話さないか見張っているんじゃないか。だから話しかけもせずに、ずっと自分を見ているんじゃないか。そう思ったら、途端に腹が立った。

 石井だって、傘を盗んでいる人物に心当たりはあるはずだ。それなのにどうしてそこまでするんだと、イライラが募る。石井を見るのも嫌になって、松永はわざと視界から遠ざけた。



 昼休みになり、関口はいつものように松永のもとへやってきた。購買のパンを片手に前の席に座る。


「珍しいこともあるんだな」

「なにが?」

「石井だよ、なんで今日はずっといるんだろ」

「……さあ」


 石井には目もくれず、弁当を口に運ぶ。


「石井と何かあった?」

「何も」

「でも……何か今日、まっつん変だよ」


 関口に言われ、ギクリとする。そんなにわかりやすかっただろうかと、慌てて笑顔をつくった。


「何もないって」


 関口は疑いの眼差しを向けてきたが、しばらくすると「ならいいけど」と引き下がってくれた。


「まっつん、石井の噂聞いた?」

「噂?」

「そう。前の学校で何かやらかして転校してきたってやつ」

「何かって?」

「……そこまでは知らないけど、上野が言ってた」


 関口は、少し小声で、松永の近くに身を寄せた。


「だから、あんまりその……関わらないほうがいいと思うよ」


 関口が松永を心配してくれているのは、口振りからしてもわかる。……わかるけど、松永はやるせない気持ちになった。

 いくら石井が気に入らないからって、上野はどうしてここまでするんだろう。噂だって、どこまでが本当か、わかったものじゃない。

 松永は胸の奥がモヤモヤして、弁当を食べてもちっとも美味しく感じなかった。

 関口とはそれっきり、石井の会話はしなかった。松永がわざと話題を切り替えたからだ。これ以上、誰かの口から石井のことを聞きたくなかった。

 昼休みが終わるチャイムが鳴り、関口は自分の席へと戻って行った。

 途中、松永は石井のほうに目を向けた。すると目が合って驚いた。ずっと自分のことを見ていたんじゃないかと思うと、決まりが悪くて、すぐに目をそらした。

 午後の授業の準備をしながら、松永はどうするべきか考えた。

 このままお互い、冷戦状態が続いても仕方がない。どちらかが折れるしかないとわかっていても、松永からは折れたくなかった。

 どうしてここまで意地になっているのか、自分でもうまく言葉にできなかった。


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