第3話「ホアたぁっ!」

第3話から第4話へ、読者を**「正気か!?」**と絶叫させつつ引きずり込む展開を作成しました。


第2話の「エレベーターに全裸でバスタブ出社」という地獄絵図から、**更なる「異常事態」**を上乗せし、逃げ場を完全に塞ぎます。


***


### 第3話:『オフィス・イン・ザ・ウォーター』


エレベーターの扉が閉まった瞬間、密室に満ちたのは沈黙ではない。

わたしの絶叫と、お湯が波打つバシャバシャという音、そして――


「……とりあえず、黙れ」


鬼島課長の冷静な声だった。

彼は手に持っていた熱いコーヒーを一口すすると、ため息交じりに自身の高級そうなジャケットを脱ぎ、バサリとわたしの頭から被せた。


「状況は理解できない。夢か、幻覚か、ドッキリか。だが」


課長はジャケットの袖から出ているわたしの震える手――スマホを握りしめたままの手――を冷ややかな目で見下ろした。


「今から3分後、この扉が開けばそこは役員フロアだ。お前が全裸で出社したという事実は、全社員への一斉送信メールよりも早く広まるだろう」


「いやぁぁぁ! 言わないでぇぇぇ!」


「だから黙れと言っている」


チン。

無慈悲な音が鳴る。最上階、到着。


「いいか、私の後ろをついてこい。誰にも見られずに第一会議室へ押し込む」

「む、無理です! このバスタブどうするんですか!?」

「キャスターが付いている」

「は?」


言われて見ると、なぜか我が家のバスタブの四隅に、事務椅子のような立派なキャスターが生えていた。あの魔法使いジジイ、無駄に芸が細かい……!


ウィーン。扉が開く。

廊下には、まだ誰もいない。


「行くぞ」

「え、ちょ、課長!?」


鬼島課長は迷いなくバスタブの縁を掴むと、スーパーのカートを押す主婦のような手つきで、全裸の部下(バスタブ入り)を廊下へと滑らせた。

大理石の床を、バスタブが滑走する。

シュールなんて言葉じゃ追いつかない。


なんとか第一会議室に滑り込み、鍵をかける。

わたしはジャケットの下で、安堵のあまりへなへなとお湯の中に沈み込んだ。


「た、助かった……ありがとうございます、課長……一生ついていきます……」

「礼はいい。それより、さっさと着替えてこい。私の予備のスーツを貸してやる」


課長は顔を背けたまま、ロッカーから予備のシャツとパンツを取り出して投げてくれた。

神か。この人は鬼ではなく神だったのか。


「はい! すぐに着替えます!」


わたしは勢いよく立ち上がり、バスタブから片足を踏み出した。

この悪夢のような「城」から脱出し、人間としての尊厳を取り戻すために。


その時だった。


『警告。警告』


まただ。あの脳内に響く声。でも今回はガンダルフじゃない。もっと無機質な、システム音声のような響き。


『エリア外への移動を検知しました。契約に基づき、ペナルティが発生します』


「は?」


言うが早いか、バスタブの外に出した右足が、急速に干からび始めた。

まるで早送り動画を見ているように、潤いが失われ、老婆のようにシワシワになり、やがて――


**パリンッ。**


乾燥した土のように、皮膚に亀裂が走った。


「いったぁぁぁぁぁいッ!!!」


激痛。焼けるような渇き。

わたしは悲鳴を上げて、慌てて足を湯船に戻した。

ジュワッ、という音と共に、お湯に浸かった足が瞬く間に元のツルツルの肌に戻っていく。


「……おい。今の音はなんだ」

背を向けていた課長が、不審そうに振り返る。


「で、出られない……」

わたしはガタガタと震えながら、涙目で訴えた。

「お風呂から出ると、わたし、干からびて死ぬみたいです……!」


「ハーブのやりすぎで頭が沸いたか?」

「本当なんです! 見てください!」


証明しようと、わたしは濡れた指先をほんの少し、空中に突き出した。

瞬時に指先が白く粉を吹き、ひび割れていく。

課長の目が、眼鏡の奥で驚愕に見開かれた。


「……なるほど。乾燥肌にも程があるな」

「そういう問題じゃなくて!!」


その時、コンコン、と会議室のドアがノックされた。

心臓が止まりそうになる。


「鬼島課長、いらっしゃいますか? 先方の大和田社長が到着されました。プレゼンの準備、できてますよね?」


最悪だ。

今日だった。

この会社の命運を握る、超重要クライアントへのプレゼン当日。

しかも、その資料データは――


わたしは、防水ケースに入った自分のスマホを見つめた。

そして、ゆっくりと視線を上げ、課長を見る。


「か、課長。プレゼンの最終データ……このスマホの中にしか、ありません」


沈黙。

永遠とも思える沈黙が、会議室を支配した。


バスタブから出られない私。

バスタブの中にしかないデータ。

ドアの向こうには、数億の案件を握る社長。


鬼島課長は、深々と息を吐いた。

そして、眼鏡の位置をクイッと直すと、覚悟を決めた戦士の顔で、バスタブの取っ手(なぜかついてる)を握りしめたのだ。


「か、課長……?」


「お前は言ったな。『一生ついていきます』と」


課長の目が、ギラリと光った。


「その言葉、撤回は許さんぞ」


**ガタンッ!**


課長が勢いよくバスタブのロックを外した。


「え、うそ、まさか」

「行くぞ」

「どこへ!?」

「決まっている」


課長はニヤリと笑い、会議室のドアに向かってバスタブを旋回させた。


**「このまま、プレゼン会場へ突入する!!」**


「正気かああああああぁぁぁぁーーッ!!!」


わたしの絶叫をエンジン音代わりに、バスタブ・カーは重役会議室へ向かって急発進した。

全裸(ジャケット着用)。バスタブ入り。

それが、我が社の命運を握るプレゼンターの姿だった。


(第4話へつづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る