第5話 猿以下の

「はっ……ぁ……っ」


 埃臭い元天文部室の匂いに、戻坂の汗の匂いが混じる。

 俺が口の中に含んだ突起を舌で転がすたびに、彼女の華奢な身体がびくりと震えた。


「あっ……ぁうっあっ……♡」


 戻坂は俺の行為に身を委ねながら、まるで溺れているかのように俺の身体にすがりついてくる。

 俺は脳が欲望で痺れるのを感じながら、やりすぎないように加減を探っていた。


 こんな淫蕩で背徳的な行為でも、確かに繰り返せば慣れが生まれてくる。

 そのおかげで俺は、戻坂の興奮具合を観察し、彼女が達してしまわないように加減をする余裕が生まれていた。


 正直に言うと、今まで何回か加減をミスったことがある。

 そういう時は決まって、戻坂は口数が少なくなった。どうやら自己嫌悪に陥ってしまうようだ。賢者モードが女子にもあるのか俺には知るよしもないが、似たようなものかもしれない。


 この訓練には、時間制限を定めている。

 そうしないと終わり時がないからだ。

 俺は視界の端で、古びたテーブルの上に置いたスマホのタイマーを確認した。

 残り1分くらいか――今回もどうにか、耐えきることができそうだった。


「か……彼氏っ、さ……♡」


 助けを求めるような声に応じて俺が顔を上げると、戻坂は魚が餌に食いつくように俺の唇に吸いついてきた。

 口の中を蹂躙するような暴力的なキス。

 その合間合間、息継ぎをするたびに、濡れた瞳が俺を間近から覗き込んだ。


「彼氏さんっ……♡」


 …………?

 何か……おかしい。


 仮に戻坂が股を開いて、俺と一線を越えようとしたとしても、俺はそれをおかしいとは思わないだろう。

 なぜならそれは欲望の発露にすぎない。彼女の欲望の強さは俺が一番よくわかっている。猿以下になってしまうという彼女の言葉通り、欲望が暴走して約束事が頭から消えてなくなってしまったというだけだ。


「もっと……」


 だけど、これは。

 この濡れた瞳は。

 唇から伝わってくる、熱を帯びた感情は。

 これはまるで、欲望ではなく――


と――」




 俺は戻坂の細い肩をつかみ、無理やりその身体を引き剥がした。




「えっ……?」


 半裸の戻坂が、困惑した目で俺を見る。

 俺の頭は冷えていた。

 はだけた制服からまろび出た白い膨らみや、俺の唾液で濡れた桜色の乳首や、扇情的にくびれた腰や、シミができたパンツが目に入っているにも関わらず、俺の頭を支配していた欲望の痺れは綺麗さっぱり消えてなくなっていた。

 なぜなら。


「お前……」


 間違っていたらどうしようという不安はどこにもなかった。


「俺のこと、好きになってるだろ」


 赤いカラコンが入った目が大きく見開かれる。

 その、まるで普通の女子みたいな反応に、俺の胸の内に黒々としたものが広がった。


「何が性欲を克服するだよ……。何が『私』だよ……。少しエロいことをしたくらいで簡単に情が移って……俺に女子らしく見られようとして……克服するどころか、操られてんじゃねえかよ……」


 俺たちは、乾いていたはずだ。

 恋愛というものを、素直に受け入れられない同士だったはずだ。

 なのに――なんだよ、このザマは。


「これじゃあ、まるで――欲のことしか頭にない、猿じゃねえか」


 猿よりも賢くなろう、とお前は言ったはずだ。

 そのお前が、なんで。

 なんで――――




 ぽろぽろと。

 戻坂の目から、涙がこぼれた。




 声もなく、音もなく。

 彼女は大粒の涙を頬に伝わせ、感情を垂れ流していた。


 俺は何も言えない。

 彼女も何も言えない。

 やがて戻坂は粛々と衣服を直すと、うつむきがちなまま出口に足を向ける。


「……ごめんなさい」


 子供みたいな、謝罪の言葉だけを残して。

 俺たちの訓練は、こうして唐突に、幕切れを迎えた。

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