第4話 デートに性欲は眠っているか?
それから1週間後。
いつもの『訓練』の後に、戻坂美遠が制服を直しながら言った。
「そういえばボクたち、恋人らしいことをあんまりしてませんね」
「そりゃ別に、恋人じゃねえからな」
一番近いのはセフレだ。
ギリギリのところで最後まで行ってないってだけで。
「恋人同士で行くような場所に、一度行ってみたいと思っているんです。そこにボクたちがまだ見ぬ性欲が眠っているかもしれません」
「まあ……それは確かに、そうだろうな……」
デートで得る感情と、エロいことで得る感情は多分別物だ。
経験はないが、そんな気がする。
「どこに行きますか?」
そう尋ねてくる戻坂は、少し楽しそうに見えた。
俺たちが住んでいる時杉市は、田舎と言うほど田舎ではないが、都会と言うほど都会でもない。
自慢は日本史に登場する地名がちょくちょくあることと、全国的に有名なラーメン店激戦区があることくらいで、若者が遊ぶところなんて皆無と言ってもいいくらいだ。
それゆえ『恋人同士で行くところ』と言われてもパッと思いつかなかった。
多分、徒歩圏内で行けるところだと、
そう言ってみると、「じゃあそこに行きましょう」ということになった。
『時杉スクエア』という立派な名前のその施設には、アパレルからペットショップまでいろんな店が4階層に渡って詰め込まれており、この辺りで買い物と言ったら大体ここに来ることになる。
1階にはスタバがあるし、地下にはミスドもある。
俺の生活圏において唯一、都会っぽい顔をしている施設だ。
普段俺が行くのは2階にある本屋と、そのすぐ横にあるフードコートくらいなので、女子と一緒に訪れてもどこに行けばいいのやらわからない。
だからこれが本当に気になる女の子とのデートで、その子に気に入られたい一心でデートを申し込んだのであれば、下見をしたりして必死にリサーチするのかもしれないが、いかんせん相手は戻坂である。
身体だけの関係だ。一切の語弊なく。
おかげで変に緊張することもなく、1人で来る時と同じように、ぶらりと自動ドアをくぐることができた。
「とりあえず服でも見るか?」
「お任せします」
「任せるなよ。そういうのお前の方が興味あるだろ。休日にあんな格好してんだから」
「あんな格好とは失礼ですね。可愛いじゃないですか」
可愛い、か……。
なんだか初めて、戻坂の女子らしい発言を聞いたような気がする。
喘ぎ声は耳に焼き付くくらい聞いてるのにな。
「あの地雷系ファッションって、やっぱりお前の趣味なのか?」
「それ以外に何があるんですか?」
「話してみると、お前ってあんな感じじゃないよなと思って」
「フリルを好む女子すべてが、甘ったるい声でどこか癪に障ることをしゃべるわけではありませんよ」
「そこまで言ってねえよ。お前のイメージの方が悪いじゃねえか」
こいつ『可愛すぎてごめん』のアンチか?
「まあイメージはともかく、お前にオナニー以外のまともな趣味があったことを喜んでおくか」
「オナニーは趣味じゃありませんよ。あなたは毎日トイレでおしっこをすることを趣味って言うんですか?」
「ごもっとも」
センシティブなワードを平気で使うこいつのノリには、もうずいぶん慣れた。
今度は俺の方が、こいつと話す時のノリで他のやつにそういうワードを使ってしまわないかと気をつける番だ。
アパレルショップに入り服を物色してみたが、戻坂はどれを見ても「フリルがない」と残念そうにつぶやいた。
こいつの中では、フリルが付いていない服は服とみなされないらしい。
だから気付いた時には、俺のデート着を選ぶ時間になっていた。
次から次へと様々な服を肩に当てられ、試着室に放り込まれた。
幸い、何度か着せ替え人形をした末に戻坂のお気に召すものがあり、値段もリーズナブルだったので、それを買うことにした。
戻坂のセンスっていうのがちょっと不安なところだが、こんなことでもないと服なんて買わないから、選んでもらえる分ちょっと助かった。
その後は俺の趣味に付き合ってもらう番だ。
2階の本屋に行くと、SFやミステリーの文庫が置いてある棚で新刊をチェックしたり、おすすめの作品を紹介したりした。
戻坂も小説は読む方らしいが、SFやミステリーにはそこまで明るくなかったみたいで、俺の話を興味深そうに聞いてくれた。
「もしかしてさ……お前のその一人称って、なんかの作品の影響か?」
あまりにも小説の話の反応が良かったので、俺はふと思いついてそう尋ねてみた。
棚に並んだ背表紙を覗き込んでいた戻坂はこっちを見上げて、
「……わかりますか?」
と、ちょっと言いづらそうに言った。
「わかるっていうか、リアルにはあんまりいないからな、ボクっ子は」
「中学の時、一人称が安定しない時期があったんです。そんな時、読んだ小説の口調が移ってしまって、このような感じに」
「うわ、確かにいたわ。一人称が安定してないやつ」
俺とか僕とか私とか自分とか自分の名前とか、日ごとにコロコロ変わるやつが身近にいた。
「だから決して、人とは違う部分を出したいという自己顕示欲の発露ではないんです」
「それを言ったことで逆に怪しくなったぞ」
「教室で浮いている時点で、そんな小細工は必要ないでしょう」
戻坂はあっけらかんと言った。
俺は少し驚いて、
「自覚あったのか」
「そんなこともわからないほどぼーっとしている人間ではないですよ」
周りのことなんて目にも入っていないんだと思っていた。
だから『教室で浮いている』という概念すら、彼女にはないものだと……。
「気を遣わないでくださいね。友達がいないならいないで、気楽で楽しいものですから」
「……確かにお前の場合、友達がいたらいたで面倒そうだな」
なにせ見てくれがバグってるし、頭の良さもバグっている。
嫉妬の対象になって面倒なことになるのが容易に想像できる。
「ご理解いただけて嬉しいです。これでも結構、苦労したんですよ?」
冗談めかして戻坂はそう言った。
その冗談も、一人称も、きっと彼女が孤独の中で積み上げてきた自意識の一側面。
俺は少しだけ、戻坂美遠という女子を知ることができた気がした。
夕食前ではあったが、せっかくなのでフードコートで駄弁ってみることにした。
マクドナルドでポテトと飲み物だけ買ってきてソファ席に陣取る。
隣に座った戻坂は、マスクを顎の下にずらし、つまんだポテトをパクッと咥える。
「……確かに、こういうのもかえって恋人らしいかもしれませんね」
「だよな」
俺はストローでコーラを少し吸って、
「映画館や水族館に行くばかりがデートじゃない。勉強になった」
「そうですね……。活用する機会は、しばらく訪れなさそうですが」
俺も戻坂も、恋愛というものに対してどこか乾いた見方をしている。
あるいはもっと大きく……『青春』というものに対して。
どこか一歩引いていて、なのに、どういうわけか完全な無関心ではいられない。
「なあ……お前って、好きなやつとかいたことあんの?」
ポリポリとリスみたいにポテトを食べている戻坂に、俺はふと尋ねた。
深い意味はない。単なる雑談だ。過去の恋愛遍歴とか、普通デートでは話題にしないかもしれないが。
戻坂はポテトを咥えたまま、ぽてっと首をかしげて、
「さて、どうでしょうか……。正直なところ、どういった感情を恋と呼ぶのか、それがまだ判然としていないような気がします」
「あー……わからんでもないな」
可愛いと思った女子はいる。
気が合うなと思った女子もいる。
しかしその感情のうち、どれが恋愛なのか――俺にもわからない。
「だというのに性欲だけははっきり存在するんですから、まったく厄介なことです」
「公共の場所であんまそういうこと言うなよ」
温度の低い敬語で下ネタを連発するこいつだが、不思議と品のなさがない。
タブーをあえて破っている感というか、そういう悪戯めいた雰囲気がないのだ。
まるで医者がペニスと口にする時のような、生物として当たり前のことを当たり前に言っている――そういう空気感が、こいつの口ぶりにはあった。
「彼氏さんはどうなんですか。好きになった方の1人や2人」
俺は頬杖をついて少し考え込む。
「……いたような気もするし、いなかったような気もするな」
「同性愛や無性愛の可能性は?」
「ないな。それははっきり言える……というか、そうだったらお前との関係は成立しねえだろ」
「おっしゃる通りですね」
そう言うと戻坂はカバンの中からノートを取り出した。
「ボクと接触している時の心拍数からして、あなたは紛れもなく異性愛者です」
俺は少し苦い顔をした。
訓練の時、こいつは俺の手首にスマートウォッチを取り付けて心拍数などを記録し、それをノートにまとめているのだ。
なんだかモルモットにでもされた気分で、あまりいい気持ちではない。
俺の心拍数は勝手に計測するくせに、自分のは教えてくれねえしな。
「不思議なもので、ボクとキスしながら胸を揉んでいる時よりも、スカートをたくし上げてショーツを見せた時の方が心拍数が跳ねているんですよね」
「だから公共の場所でそういうこと言うなって……」
俺は顔が熱くなるのを感じながら目をそらした。
「そういうわけにはいきません。次の訓練の参考にしなければなりませんから。ボクのことを一番エッチだと思うのはどんな時ですか? 詳しく教えてください。さあさあ」
「いやだからさあ……!」
詰め寄ってくる戻坂にのけぞっていた、その時だった。
「あれ? カー君?」
聞き慣れた声が横合いから飛んできた。
そちらを見ると、小学生の頃から知っている幼馴染みが、トレイを持って立っていた。
「あ、よお。はじめか」
「珍しいね、こんなところで買い食いなんて」
そう言いながら、はじめはちらっと俺の隣に座っている吸血鬼みたいな女を見た。
「えっと……そちらは……?」
「あー……クラスメイトだよ。めちゃくちゃ頭良くてさ、ちょっと勉強教えてもらってんだ」
「勉強ぉ? カー君が?」
下手な冗談を聞いたように、はじめはちょっと小馬鹿にする感じで笑った。
「わかったよ、そういうことにしておいてあげるね?」
「そういうお前は1人か?」
「学校の友達と一緒だよ。紹介しよっか?」
「いらねえよ。必要に見えるか?」
「全然見えないね。ちょっと悔しいけど」
はじめはもう一度戻坂を見てかすかに笑うと、
「じゃあごゆっくり。晩ご飯前にあんまり食べちゃダメだよ〜」
母親みたいなことを言いながら去っていった。
戻坂は無言でその背中を目で追っていた。
「悪いな。同じマンションに住んでる顔見知りなんだ」
「……可愛らしい方ですね」
「スペック超高ぇんだよな、あいつ。友達も多いし、テニス部のエースらしいぜ」
まあ、それに何かしらの貢献をしたわけでもないから、俺が誇るようなもんではないが。
「彼氏さん」
その呼び声がいつもより少し硬いような気がして、俺は戻坂の顔を見つめた。
「デート中に他の女性を褒めるのは、いかがなものかと思います」
「……お前にもそういう常識があるんだな」
「自然に考えれば当然あるべき配慮かと」
「別にいらねえだろ、お前には」
戻坂の眉がそっとひそめられた気がしたが、俺は構わずに続けた。
「誰の何を並べても、お前より可愛いやつなんかいないんだから」
それは偽らざる俺の本心――というより、ただの事実だった。
戻坂美遠の美貌は、そんじょそこらの美少女が並び立てるものじゃない。
だから他の誰を褒めたところで、彼女が頂点なのは変わりようのない事実なのだ。
「……そ……」
珍しく戸惑ったように、戻坂は顔をそらした。
「そう……ですか」
その声は、多分――俺の気のせいだとは思うが、
動揺して、かすれているように聞こえた。
――こうして、俺たちの真っ当な恋人同士のような1日は終わりを告げた。
しかし、後から振り返ってみて――この日のデート訓練のことを、俺はこういう風に評価する。
やるべきじゃなかった、と。
この日を明確な分岐点として、俺たちの乾いた、しかしバランスの取れた関係は、静かに終わりへと向かっていたのだった……。
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