第12話 毒スパイスと、溶解する資産

 ダンジョン探索において、情報は武器であり、アイテムは命だ。

 だが、今の俺にとって、それらは全て「出費」という名の劇薬だった。


「……なぁ、雫。本当にこれ、必要なのか?」


 ダンジョンへ向かう道中、俺は震える手で小瓶を握りしめていた。

 中に入っているのは、ドス黒い紫色をした液体。

 『バジリスクの猛毒液』。

 お値段、なんと一本2万円。


『必要経費よ。相手はCランク上位の「暴食のオーク」。まともに戦えば、今のあんたの火力じゃ5万円分の魔法を撃ち込んでも削り切れるか怪しいわ』


 雫の計算は冷徹だ。


『でも、その毒なら2万円で致死量を与えられる。差額3万円の節約。……やるしかないでしょ?』

「くっ……わかってる! わかってるけどよぉ!」


 毒一個に2万円だぞ。

 吉野家で何回も豪遊できる金額じゃねか。


 ◇


 地下3階層、オークの生息エリア。

 腐臭と獣臭が混ざり合う通路の奥で、俺は「料理」の準備をしていた。


 スーパーの見切り品で買った特大ブロック肉(半額シール付き)に、ナイフで切れ込みを入れ、そこに2万円の毒液をドボドボと注ぎ込む。


「へへっ……食えよ、たっぷり食えよ……」


 カメラに向かって、俺は暗黒微笑を浮かべる。


「今日は特別企画だ。『オークの3分クッキング』をお届けするぜ!」


《うわぁ、絵面が最悪w》

《毒殺配信とか初めて見たわ》

《2万円の毒とかガチじゃん》

《失敗したら大赤字だなw》


 コメント欄は半信半疑だ。

 俺も不安だ。本当にこれで30万の賞金首が落ちるのか?


『カナタ、来たわよ。風下から匂いを嗅ぎつけたみたい』


 雫の合図と共に、通路の奥から地響きが聞こえてきた。

 ドスン、ドスン。

 現れたのは、通常のオークの二倍はある巨躯。

 ブヨブヨに膨れ上がった腹、黄色く濁った目。そして口からは、絶え間なく緑色の涎が垂れている。


 【暴食のオーク】だ。


「ブモォ……ニク……ニクゥ……」


 オークは俺が置いた肉を見つけると、疑う様子もなく突進してきた。

 俺は慌てて岩陰に隠れる。


 バクッ! グチャア!

 咀嚼音などない。オークは肉塊を丸呑みにした。

 2万円が、豚の胃袋に消えた瞬間だった。


(頼む……! 効いてくれ……!)


 俺は祈るような気持ちで見守る。

 数秒後。


「ブ、モ……?」


 オークの動きが止まった。

 顔色が土色になり、巨体が小刻みに震え始める。


「ブモオオオオオオオッ!!?」


 突然、オークが苦悶の絶叫を上げた。

 腹を抱えてのたうち回り、通路の壁に頭を打ち付ける。


《効いた!》

《すげえ、一撃じゃん》

《コスパ最強!》

《30万ゲット確定演出!》


 勝った。

 俺はガッツポーズをした。

 これで30万円。毒代を引いても28万円の利益だ!


「よっしゃあ! お疲れさんでしたァ!」


 俺は岩陰から飛び出し、トドメの安い魔法を撃ち込もうとした。

 だが、その判断が甘かった。


『待って! まだ死んでない!』

「え?」


 雫の警告が遅かった。

 のたうち回っていたオークが、血走った目で俺を睨みつけたのだ。

 その口が、ありえないほど大きく開かれる。


「ブ、ガァアアアアッ!!」


 嘔吐。

 だが、吐き出されたのは食べた肉ではない。

 強酸性の胃液と毒が混ざり合った、緑色の溶解液の奔流だ。


「うおっ!?」


 俺は反射的に横に飛んだ。

 ジュワアアアアッ!!

 俺がいた場所の地面が、激しい白煙を上げて溶けていく。

 石畳が泥のように崩れるほどの酸。あんなもの浴びたら、骨も残らない。


『暴走状態(バーサク)よ! 毒の苦しみで胃液を撒き散らしてる! 回避して!』

「んなっ、聞いてねえぞ!」


 オークは狂ったように酸を吐き散らしながら、俺に向かって突っ込んでくる。

 死に物狂いの特攻だ。


「《シールド》ッ!」


 飛んできた飛沫を防ぐために障壁を展開する。

 ジュッ!

 酸が触れた瞬間、シールドの光が蝕まれ、急速に輝きを失っていく。


(嘘だろ!? 魔法障壁まで溶かしてんのか!?)

(耐久値がゴリゴリ減っていく……! 100円、200円、500円ッ!)


 ただのしかかり攻撃なら耐えられたかもしれない。

 だが、この酸はヤバい。

 継続ダメージ判定で、俺のMP(金)を掃除機のように吸い取っていく。


「ああっ! 俺の金が溶ける! 物理的に溶けてる!」


 俺は悲鳴を上げながら、狭い通路を逃げ回った。

 背後から酸の雨が降る。

 ブーツの踵に一滴付着しただけで、ソールが溶けて足裏に熱さを感じる。


《絵面が地獄絵図すぎるw》

《逃げろ逃げろ!》

《装備が死ぬぞ!》


 装備が死ぬ。そのワードに俺の顔色が青ざめる。

 この服も、靴も、買い換えるのに金がかかるんだぞ!


「頼むからさっさとくたばってくれ!」


 俺は逃げながら、後ろ手に《ウィンド・カッター》を乱射した。

 狙いは定まらないが、今のオークは防御など考えていない。

 数発が背中に突き刺さる。


 そして。

 毒と魔法、そして自身の酸による自滅ダメージが限界を超えたのか。

 オークは最後に大量の酸をぶちまけ、どうっ、と地面に伏した。


 ジュウウウ……。

 死体から流れ出る酸が、周囲の岩を溶かし続けている。


「はぁ……はぁ……」


 俺は安全圏まで離れて、膝をついた。

 生きてる。

 だが、右足のブーツは底が抜けて使い物にならなくなり、愛用のズボンも酸の飛沫で穴だらけだ。


「……雫、収支報告を」

『……賞金30万は確保。毒代2万を引いて28万の黒字。……だけど』


 雫の声が申し訳なさそうに響く。


『装備の損害が甚大ね。ブーツと防護服の買い替え、シールドの消耗分を合わせると……経費で8万円は飛ぶわ』

「は、はちまん……」


 手取り20万円。

 いや、十分な大金だ。

 でも、あわよくば28万丸儲けだと思っていた俺の心は、酸で焼かれたようにヒリヒリしていた。


 俺は穴の空いたブーツを見つめ、確信した。

 俺には盾がいる。

 それも、魔法障壁なんかじゃない。

 酸を浴びても、殴られても、俺の財布を傷つけない「本物の盾」が。


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