第10話 買った命中率での辛勝

 ガギィィィン!!


 不快な金属音と共に、目の前の光景が火花で歪む。

 展開した《シールド》に、疾風の狼(ゲイル・ウルフ)の爪が突き刺さっていた。


(ぐぅッ……! 重い!)


 衝撃は防げても、物理的な圧力までは殺しきれない。

 俺はブーツの底を地面に擦らせながら、ジリジリと後退させられる。


 そして何より痛いのが、脳内で鳴り止まない課金音だ。


(今の衝撃で耐久値減少……追加コスト200円! さっきからの合計で、もう2,000円も溶けてるぞ!?)


 防戦一方。

 反撃しようにも、シールドを解いた瞬間に喉笛を食い千切られる未来しか見えない。

 狼は残像を残すほどの速度で俺の周囲を旋回し、死角から波状攻撃を仕掛けてくる。


《速すぎてカメラ追いついてねえぞ!》

《防戦一方じゃん》

《MP持つのかこれ?》

《やっぱ相性最悪だな……逃げたほうがいいんじゃね?》


 コメント欄にも不穏な空気が漂い始める。

 同接数は3,500人まで伸びているが、このままジリ貧で負ければ、この数字は「失望」に変わるだろう。


『カナタ、聞こえる?』


 インカムから、雫の緊迫した声が届く。

 彼女の声だけが、今の俺の命綱だ。


『今のあんたの動体視力と反射神経じゃ、こいつの速度にはついていけない。攻撃を当てようとしても、空振りしてコストを浪費するだけよ』

(わかってるよ! じゃあどうすりゃいいんだ!)


 俺は心の中で叫んだ。

 マイクに向かって言えば、視聴者にパニックが伝わってしまう。

 俺は必死にポーカーフェイス(引きつった笑み)を維持しながら、次の攻撃を待つ。


『……プランCで行くわ。狙う必要のない攻撃――「広範囲魔法(AOE)」を使うのよ』

(広範囲!? 馬鹿言え、今の俺が使えるAOEなんて……)


 思考する。

 広範囲を焼き尽くす《ファイア・ストーム》? 地面を泥沼に変える《クエイグ》?

 どれもコストは3,000円を超える高級魔法だ。

 そんなものを使ったら、今日の利益が消し飛ぶ!


『金と命、どっちが大事なの!』


 雫の叱責が飛んだ。

 ハッとする。

 そうだ。ここで死んだら、シオリの治療費どころか、俺の人生が終わる。


『ケチってる場合じゃないわ。確実に当たる「雷」を買いなさい、予算5,000円よ!』


 5,000円。

 その金額に、俺の貧乏性が悲鳴を上げる。

 だが、狼は待ってくれない。

 トドメの一撃を放とうと大きくバックステップし、タメを作ったのが見えた。

 来る。最大出力の突進が。


「……くそッ、わかったよ! 買えばいいんだろ、買えば!」


 俺はヤケクソ気味に叫んだ。

 視聴者には「覚悟を決めた」ように聞こえただろう。


「お前ら! チマチマやるのは終わりだ! 俺のとっておき(散財)、見せてやるよ!」


 俺はシールドを解除し、両手を広げた。

 無防備な姿を晒す。

 狼が好機と見て、風の弾丸となって突っ込んでくる。


 その速度、音速に迫る勢い。

 回避不可能。防御不可能。

 だが――俺の魔法の方が速い。


「金で買えないモノはないッ! 雷よ、全てを薙ぎ払え!!」


 俺は全魔力を解放した。

 イメージするのは、空から降り注ぐ裁きの光。

 対象を指定する必要はない。

 このエリア一帯、俺以外の全ての存在を殲滅する飽和攻撃。


「《サンダー・バースト》ッ!!!」


 カッッッ!!!!


 視界が白に染まった。

 ダンジョンの天井付近に無数の雷球が出現し、一斉に炸裂する。

 バリバリバリバリバリッ!!

 鼓膜を破るような轟音と共に、紫電の嵐が洞窟内を蹂躙した。


 5,000円分の雷撃。

 それは、一般家庭の電気代一ヶ月分を一瞬で放出したに等しいエネルギーだ。

 回避行動など無意味。空間そのものが帯電しているのだから。


「ギャンッ、アガガガガッ!?」


 狼の悲鳴が雷鳴にかき消される。

 空中で痙攣し、黒焦げになりながら地面に叩きつけられる獣。

 それでも雷撃は止まらない。俺の口座残高が減り続ける限り、破壊の光は降り注ぐ。


 やがて。

 5秒にも感じる長い一瞬が終わり、静寂が訪れた。


 そこには、炭のように黒くなり、ピクリとも動かない疾風の狼の死体と、黒く変色した地面だけが残っていた。


「はぁ……はぁ……ッ!」


 俺はその場に膝をついた。

 魔力枯渇(金欠)ではない。一気に魔力を放出したことによる精神的な疲労と、何より「出費のショック」で眩暈がしたのだ。


《すっげええええええ!!》

《画面真っ白になったぞwww》

《今の範囲魔法か!? Fランクが使っていい規模じゃねえ》

《エフェクト派手すぎワロタ》

《これは討伐確定演出》

《ナイス! ¥1000》


 コメント欄はお祭り騒ぎだ。

 だが、俺の顔は引きつっていた。


 俺は震える手でインカムを押さえ、小声で確認する。


「……雫。結果(収支)は」


 少しの間があり、雫の淡々とした声が返ってきた。


『……戦闘終了を確認。お疲れ様』

『魔石の推定価格、2万円。今回のスパチャ総額、今のところ8,000円』

『対して、シールド維持費2,500円。トドメの《サンダー・バースト》に5,500円。その他雑費』


 雫はそこで言葉を切ってから、無慈悲な事実を告げた。


『純利益、約1万8,000円。……あれだけの死闘をして、たったこれだけよ』


「い、一万八千……」


 俺はガクリと項垂れた。

 雑魚狩りをしていた時の方が、よっぽど効率が良かった。

 強敵と戦えば戦うほど、経費(防御と大技)が嵩んで利益が減る。

 この「疾風の狼」戦は、ビジネスとしては失敗だ。


「……割に合わねえ。マジで、割に合わねえよ……」


 俺はカメラに背を向け、勝利のポーズを取りながら、目尻に浮かんだ涙を拭った。

 視聴者は「感極まって泣いている」と勘違いしてくれたようだが、これは悔し涙だ。


 ソロじゃ無理だ。

 俺の代わりに攻撃を受けてくれる盾(タンク)がいなきゃ、俺はいつか破産して死ぬ。


 薄暗いダンジョンの天井を見上げながら、俺は改めて「人材投資」の必要性を骨身に沁みて理解していた。


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