第7話 黒字決算と、消える二十万

 スケルトン・ジェネラルが消滅した後に残された宝箱。

 ダンジョンにおいて、ボス討伐後にのみ出現するこの箱は、探索者シーカーにとって最高のボーナスだ。


「よし、開けるぞ……!」


 俺は高鳴る胸を押さえ、重厚な蓋に手を掛けた。

 ギギギ、と錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、中身が露わになる。

 そこに入っていたのは、鈍い銀色の輝きを放つ指輪だった。


「指輪か。装備品なら当たりだぞ」


 俺は指輪をつまみ上げ、D-Statusアプリで鑑定をかける。


【アイテム名:死霊騎士の指輪】

【ランク:C】

【効果:精神耐性(中)上昇。闇属性ダメージを10%軽減】


「おおっ! 耐性装備だ! これなら闇魔法を使ってくる敵とも戦いやすくなる!」


 俺が喜んでいると、インカムから雫の冷静な声が飛んできた。


『却下よ。売りなさい』

「は?」

『精神耐性なんて、気合いでどうにかなるわ。今のあんたに必要なのは装備の充実じゃなくて、現金(キャッシュ)よ』

「お、鬼かお前は……」

『市場価格で15万円は下らないわ。今のあんたの装備、修理代だけで数万飛ぶでしょ? それに……』


 雫の声が少しだけ優しくなる。


『……今月の治療費、払いたいんでしょ?』

「……!」


 その言葉に、俺は熱くなった頭が冷やされるのを感じた。

 そうだ。俺は強くなるためにダンジョンに来たんじゃない。

 稼ぐために来たんだ。


「……ああ、そうだな。売るよ」


 俺は指輪をポケットにしまい込んだ。

 惜しい気持ちはあるが、迷いはない。


 ◇


 数時間後。

 地上に戻り、換金所と協会での手続きを終えた俺たちは、近くのファミレスで「反省会」と称した決算報告を行っていた。


「では、本日の収支報告を行うわ」


 ドリンクバーのメロンソーダを飲みながら、雫がノートPCの画面を見せる。


【総売上】

・スパチャ総額:¥185,400

・魔石・ドロップ品売却益:¥212,000

**合計:¥397,400**


「さ、約40万……!」


 俺は震える手で伝票を握りしめた。

 たった数時間の労働で、40万円。

 以前の俺が、命を削って一ヶ月かけて稼いでいた金額だ。


「ここから経費を引くわよ」


【経費】

・魔法消費額:-¥42,000

・装備修理費:-¥30,000

・ダンジョン入場料・雑費:-¥5,000

・雫への借金返済(利子込み):-¥11,000

・マネジメント料(利益の20%):-¥61,880


**【最終手取り】:¥247,520**


「……まあ、それでも24万か」


 税金や手数料(マネジメント料)でガッツリ引かれたが、それでも手元には24万円残る。

 大金だ。

 これなら、美味い焼肉を食って、新しい服を買って、最新のゲーム機だって買える。


 だが、俺の行き先は決まっていた。


「雫、今日はここで解散でいいか?」

「ええ。お疲れ様。……行ってきなさい」


 雫は全てを察したように頷き、またPCの画面に向き直った。


 ◇


 夜、21時。

 都内にある大学病院の特別病棟。

 無機質な電子音が響く無菌室の前で、俺は深呼吸をしてから、受付で支払いを済ませた。


『受領いたしました。今月分の透析費用、20万円になります』


 財布から、さっき稼いだばかりの札束が消えていく。

 24万円あった手取りが、一瞬で4万円になった。

 重たかった財布が、また軽くなる。


 でも、不思議と喪失感はなかった。

 この金は、ただ消えたんじゃない。命に変わったんだ。


「……入るぞ」


 消毒を済ませ、病室の扉を開ける。

 そこには、たくさんの管に繋がれた少女が眠っていた。

 神宮寺じんぐうじシオリ。俺のたった一人の妹だ。

 透き通るように白い肌は病的なほどで、呼吸をするたびに胸が弱々しく上下している。


「……ん、お兄ちゃん?」


 気配に気づいたのか、シオリがゆっくりと目を開けた。


「悪い、起こしたか」

「ううん、待ってた……。今日もお仕事、お疲れ様」


 酸素マスク越しの声は細い。

 俺はベッドの脇に椅子を引き寄せ、彼女の痩せた手を握った。

 冷たい。


「ああ、今日はいい稼ぎになったよ。今月分の支払いは済ませたから、安心しろ」

「そっか……。無理、してない?」

「してないさ。俺はただの荷物持ちだからな。安全な場所で見てるだけだよ」


 嘘だ。

 数時間前まで、骸骨の化け物と殺し合いをしていたなんて言えない。

 シオリは勘が鋭いから、俺の服に染み付いた硝煙や鉄の臭いに気づいているかもしれない。

 それでも、彼女は優しく微笑んでくれた。


「あのね、お兄ちゃん」

「ん?」

「今日、スマホで動画見てたの。……凄い探索者シーカーさんがいたよ」


 ドクリ、と心臓が跳ねた。


「Fランク装備なのに、魔法でボスを倒しちゃうの。すっごく強くて、かっこよかった」

「……へえ、そうか」

「コメントでね、『守銭奴』って書かれてたけど……私は知ってるよ。あの人が、誰のために必死になってるか」


 シオリの瞳が、真っ直ぐに俺を見つめている。

 バレている。

 いや、最初から隠し通せるなんて思っていなかったか。


「……あいつは、ただの馬鹿だよ。金のことしか考えてない」

「ううん。世界で一番、優しいお兄ちゃんだよ」


 シオリは俺の手をぎゅっと握り返してきた。

 その力はあまりにも弱く、俺が少しでも力を入れたら折れてしまいそうだ。


(20万じゃ、足りない)


 俺は痛感した。

 今の稼ぎじゃ、現状維持しかできない。

 シオリを生かしておくことはできても、治すことはできない。

 この子をこの白い牢獄から連れ出すためには、もっと莫大な金が――特効薬となる『エリクサー』を買えるほどの億単位の金が必要だ。


 今日のような綱渡りの勝利じゃダメだ。

 もっと効率的に、もっと圧倒的に稼がなきゃいけない。


「……シオリ。俺、もっと頑張るからな」

「うん。でも、約束して。……絶対、生きて帰ってきてね」

「ああ、約束する」


 俺は妹の頭を撫でて、病室を後にした。


 病院を出ると、冷たい夜風が火照った体に染みた。

 ポケットの中には、残り4万円。

 次回の配信準備(アイテム購入)と生活費を考えれば、ギリギリだ。


「……休んでる暇はねえな」


 俺はスマホを取り出し、雫にメッセージを送った。


『次のプランを送ってくれ。明日も潜る』


 即座に既読がつき、返信が来る。


『了解。……と言いたいところだけど、今日のボス戦のデータを見直したわ。全体的に動きが危なっかしい。金で解決する前に死ぬわよ』


 厳しい指摘だ。

 同接バフで身体能力が上がっているとはいえ、素人の動きでは限界があるということか。


『回避パターンの最適化マニュアルを作成したわ。添付ファイル(全50ページ)を明日の朝までに暗記してきなさい。次の配信はノーダメージ目指すわよ』


  雫らしい、効率重視かつ鬼畜な提案だ。

 だが、今の俺にはそれが必要だ。金を守るためにも、命を守るためにも。


「……上等だ。やってやるよ」


 俺は夜空を見上げて、ニヤリと笑った。

 俺の価値は1円かもしれないが、俺の夢には値段なんてつけさせない。


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