第2話 弾薬費という名の出費

「おいおい、マジかよ……」


 レッドオーガの焼死体が転がる通路で、俺は額の汗を拭いながら、空中に浮かぶステータスウィンドウを凝視していた。


 興奮が冷め、アドレナリンが引いていくにつれ、冷静な思考が戻ってくる。

 俺は今、とんでもない綱渡りをしているのではないか?


 現在の状況を整理する。

 俺の目の前には、コメント欄が流れる半透明のウィンドウ。

 頭上には、俺を追尾して撮影する光の球体(ドローンカメラ)。

 そして、視界の隅に表示されている数値だ。


【現在同接数:412人】

【現在MP(残高):¥1,800】

【ステータス補正:+42(全能力値47)】


「……なるほどな」


 俺は小さく息を吐き、折れたままの左腕を庇いつつ、右手で顎をさする。

 理解したことが三つある。


 一つ。**『同接数は、そのまま力になる』**。

 現在412人。その1割にあたる「42」が、俺の基礎ステータスに加算されている。

 元々のゴミみたいな数値「5」と合わせれば「47」。

 これでもまだ一般成人男性の平均(50)より少し低い程度だが、瀕死の重傷を負っている割には、不思議と体が軽い。

 視聴者がいる限り、俺は動ける。


 二つ。**『投げ銭は、即座にMP(魔力)に変換される』**。

 さっきのレッドオーガ戦で、視聴者から投げられたスパチャの総額は2,300円だった。

 そして、俺が放った特大の《ファイアボール》一発で、500MPが消費された。

 残りは1,800MP。

 つまりレートは完全に「1円=1MP」で固定されているらしい。


 そして、三つ目。これが一番重要で、かつ最悪な事実だ。


(……これ、俺の『稼ぎ』から引かれてるのか?)


 俺はウィンドウの「収益管理タブ」をタップした。

 そこには無情な履歴が残っていた。


『受取総額:¥2,300』

『魔法行使による消費:-¥500』

『現在の出金可能額:¥1,800』


「ふざけんなッ!!」


 俺は思わず叫んでいた。

 カメラの向こうの視聴者がビクリとしたのがコメントの反応でわかるが、構っていられない。


「500円だぞ!? あの炎一発で、牛丼の大盛りが食えたんだぞ!?」


 俺は頭を抱えた。

 魔法を使えば使うほど、俺の手取りは減っていく。

 つまり、この能力は「魔法」なんて生易しいものじゃない。

 文字通り、《金を燃やして敵を殴っている》のだ。


《いきなり叫んでどうしたw》

《500円でキレる探索者www》

《命が助かったんだから安いだろ》

《貧乏くせえwww》

《草 ¥100》


 チャリン、という音と共に残高が1,900円に増える。

 俺はハッとして、すぐに営業用の顔を作った。


「あ、ありがとう! 今の100円でMP回復したわ! ナイススパチャ!」


 ……やってられない。

 だが、やらなければならない。

 妹の治療費を稼ぐためには、このふざけた能力を使って、黒字を出し続けるしかないのだ。


「よし、とりあえず地上に戻るぞ。……あ、その前に」


 俺はレッドオーガの死体に近づき、燃え残った肉の中から「魔石」をほじくり出した。

 Cランク相当の魔石。市場価格で言えば数万円にはなるはずだ。

 これは配信システムとは関係ない、純粋なドロップ品だ。

 俺のポケットマネーだ。絶対に誰にもやらん。


《うわ、素手でいった》

《グロいって》

《必死すぎだろこいつw》


「生きるのに必死で悪いかよ。……っと、なんか来たな」


 通路の奥から、複数の足音が聞こえてくる。

 ギャギャッ、という耳障りな鳴き声。

 ゴブリンだ。それも10匹以上の群れ。

 普段の俺なら絶望して逃げ出す数だが、今の俺には「弾薬カネ」がある。


(1匹あたり……いくら掛けるのが適正だ?)


 俺は瞬時に計算する。

 さっきの《ファイアボール》は威力過剰(オーバーキル)だった。500円も使う必要はない。

 ゴブリン程度なら、50MP……いや、30MP(30円)の《ウィンドカッター》で十分か?

 いや、外したら30円の損だ。確実に仕留めるなら広範囲魔法か?

 でも範囲魔法は燃費が悪い。


「……チッ、世知辛いな」


 俺は舌打ちをして、カメラに向かってニヒルに笑ってみせた。

 内心の「出費への恐怖」を悟られないように。


「みんな、ゴブリンの群れだ。……掃除の時間だな」


《おお、やる気だ》

《さっきの魔法また見れる?》

《期待 ¥500》


 500円の先行投資が入った。

 よし、これで予算確保。

 俺は右手をかざす。


「見てろよ、これが500円分の風だ――《ウィンド・ストーム》!!」


 俺の掌から、暴風が解き放たれる。

 狭い通路をカマイタチの嵐が駆け抜け、ゴブリンたちを切り刻んでいく。

 断末魔の悲鳴すら風にかき消され、10匹のゴブリンは瞬く間に肉片へと変わった。


《すげえええええ!!》

魔法職ウィザードでも詠唱に10秒かかるやつだろそれ》

《無詠唱とかチートかよ》

《かっけえええ! ¥1000》


 コメント欄が加速し、同接数が一気に跳ね上がる。

 500人、600人、800人。

 体がさらに軽くなる。

 全ステータス補正+80。合計値85。

 これなら、陸上選手並みの速度で走れる。


「軽い軽い! このまま出口までノンストップで行くぞ!」


 俺は駆け出した。

 折れた左腕の痛みなど、興奮とステータス上昇の麻薬が忘れさせてくれる。


 そこからは、ある種の無双状態だった。

 襲い来るコボルトを10円の《ストーンバレット》で眉間を撃ち抜き、

 天井から降ってきたスライムを5円の《スパーク》で焼き尽くす。

 

 俺は、最安値で敵を殺すコツを掴み始めていた。

 ヘッドショットを決めれば、安い魔法でも即死させられる。

 俺の長年の「逃げ回る経験」と「観察眼」が、意外な形で活きていた。


《エイム良すぎだろ》

《本当にFランクか?》

《投銭効率厨で草》


 コメント欄も盛り上がっている。

 視聴者は、俺が「効率的に敵を倒している」と思っているだろう。

 違う。

 俺は「1円も無駄にしたくない」だけだ。


 そうして、約30分後。

 俺は地上への出口ゲートにたどり着いた。


「ふゥ……なんとか、生還だな」


 ゲートの光を前に、俺は立ち止まる。

 ここを出れば、ダンジョン管理協会のロビーだ。

 配信を続けながら出るわけにはいかない。俺の素性がバレてしまうし、何よりこの能力を公にするのはリスクが高すぎる。


「よし、今日の配信はここまでだ。みんな、スパチャありがとな!」


《えー、もう終わり?》

《まだ見たい》

《乙! 次はいつ?》

《チャンネル登録したわ》


「次は……未定だ。まあ、通知オンにしといてくれ。じゃあな!」


 俺は半ば強制的にウィンドウの「配信終了」ボタンを押した。


 プツン。

 空中に浮かんでいたカメラが光の粒子となって消える。

 ウィンドウが閉じ、静寂が戻る。


 その、直後だった。


「――が、っ!?」


 全身を、鉛のような重力が襲った。

 膝から崩れ落ち、地面に手を突く。


 同接数0。

 ステータス補正、消失。

 魔法による興奮状態(ハイ)の終了。


 途端に、麻痺していた感覚が一気に戻ってきた。

 砕かれた左腕の激痛。

 全身の打撲の熱。

 走り続けた肺の酷使。


「あ、ぐゥ……ぅぅ……!」


 声にならない悲鳴が漏れる。

 痛い。痛い痛い痛い。

 これが、現実だ。

 魔法が解ければ、俺はただの、魔力値5のゴミに戻る。


 脂汗を流しながら、俺は震える手でスマホを取り出した。

 D-Liveアプリの画面には、今回のリザルトが表示されている。


【配信終了】

総視聴者数:1,205人

最大同時接続数:890人

獲得スーパーチャット総額:¥12,500

魔法消費額:-¥3,200

**最終収益:¥9,300**


「きゅう、せん……えん……」


 命を賭けて。

 骨を折って。

 化け物と戦って。

 残ったのは、たったの9千円。


 シオリの今月の支払いまで、あと19万1千円。


「……割に、合わねえな……」


 俺は薄れゆく意識の中で、泥だらけの床に突っ伏した。

 遠くから、協会の職員らしき足音と、「おい、誰か倒れてるぞ!」という声が聞こえた気がした。


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