第3話 収支報告:マイナス1万円

 消毒液の特有のツンとする臭いで、俺は目を覚ました。


「……あ、れ?」


 白い天井。硬いベッドの感触。

 体を動かそうとすると、全身が軋むような痛みを訴える。特に左腕は、石膏でガチガチに固定されていた。


「気が付いた?」


 横から声をかけられ、俺はのろのろと首を動かす。

 ベッドの脇にある丸椅子に、白衣を着た医師――ではなく、協会の制服を着た事務員の男が座っていた。手にはバインダーを持っている。


「ここは……」

「探索者協会の救護室だよ。ロビーで倒れていただろう? Fランクの神宮寺カナタ君だね」

「あ、はい……助けていただいて、すみません」


 俺は慌てて起き上がろうとするが、男はそれを手で制した。


「ああ、寝てていい。ポーションで内臓のダメージは治したし、左腕の複雑骨折も繋いでおいた。完治までは一週間ってところかな」

「はあ、ありがとうございます……」

「で、だ」


 事務員は眼鏡の位置を直し、バインダーから一枚の紙をペラリとめくった。

 嫌な予感がした。


「治療費の請求だ。下級ポーション2本と、接骨処置。保険適用外だから、締めて2万円になる」


「に、2万……!?」


 俺は飛び起きた。激痛が走ったが、それどころではない。

 2万円。

 前回の配信で命がけで稼いだ手取りが、9,300円。


「あ、あの、ツケとか……分割払いは……」

「うちはボランティアじゃないんだよ。払えないなら、君の装備品を担保にもらうことになるけど?」


 男の視線の先には、俺のボロボロのバックラーと、使い古した短剣が置かれている。

 あれを失ったら、俺はもうダンジョンに潜れない。

 つまり、シオリの治療費も稼げなくなる。


「……はら、います」


 俺は震える手で財布を取り出し、なけなしの全財産と、さっき換金したばかりの9,300円を合わせて差し出した。

 財布の中身が空になる。

 それどころか、生活費を入れていた封筒からも数千円が消えた。


「はい、確かに。お大事にね」


 事務員は淡々と処理を済ませ、部屋を出て行った。

 残されたのは、一文無しになった俺と、静寂だけ。


「……ハハッ」


 笑うしかなかった。

 レッドオーガを倒して、数千人の前で魔法をぶっ放して、英雄気取りで生還して。

 結果がこれだ。

 マイナス1万円。


「やって、られるかよ……クソッ……!」


 俺は枕に顔を埋めた。

 情けなくて、涙が出てくる。

 こんなことで、本当にシオリを救えるのか?

 あのシステムは凄いかもしれないが、肝心の「弾薬」がなければただのゴミだ。俺の人生と同じだ。


「――相変わらず、無様な泣き顔ね。カナタ」


 不意に、凛とした声が降ってきた。

 心臓が止まるかと思った。

 顔を上げると、病室の入口に一人の少女が立っていた。


 黒髪のボブカット。理知的な光を宿す切れ長の瞳と、銀縁の眼鏡。

 小脇にノートパソコンを抱え、不機嫌そうに腕を組んでいる。


「し、雫……?」


 早乙女さおとめ雫。

 俺の幼馴染であり、腐れ縁。そして、かつては共に探索者を目指したパートナーだ。

 今は協会のデータ分析課でバイトをしているはずだが……。


「なんでここn」

「単刀直入に聞くわ」


 雫は俺の言葉を遮り、カツカツとヒールを鳴らしてベッドサイドまで歩み寄ると、抱えていたノートパソコンを俺の目の前に突きつけた。


 画面に映っていたのは、動画サイトの切り抜き動画だ。

 タイトルは『【神回】底辺探索者、レッドオーガを一撃粉砕www』。

 再生回数は、すでに5万回を超えている。


「この配信者、あんたでしょ」


 心臓が早鐘を打つ。

 動画の中の俺は、顔こそ土埃と血で汚れているが、声も体格もそのままだ。


「い、いや、これは……よく似た他人というか……」

「とぼけないで。あんたが着てるそのFランク装備、私が3年前にワゴンセールで選んであげたやつよね? 右肩のほつれ方まで一致してる」

「……」

「それに、あんたがピンチの時に右手の親指を噛む癖。完全に一致してるわ」


 ぐうの音も出ない。

 俺は観念して、溜息をついた。


「……ああ、そうだ。俺だ」

「やっぱり」


 雫は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、どこかホッとしたように、しかし鋭い眼光で俺を見下ろした。


「説明しなさい。魔力値5の落ちこぼれが、どうして魔法を使えたの? それに、あの得体の知れない配信システムは何?」


 俺は覚悟を決めた。

 こいつは昔から勘が鋭いし、一度噛みついたら離さない。

 それに、雫になら話してもいいか、という甘えもどこかにあった。唯一、俺の事情(シオリのこと)を知っている人間だからだ。


 俺は、スマホの『D-Live』アプリを見せながら、洗いざらい話した。

 同接数がステータスになること。

 投げ銭がMPになること。

 そして、魔法を使うたびに金が消えていくこと。


「…… 『――ユニークスキル《等価交換ライブコネクト》ね」


 全てを聞き終えた雫は、顎に手を当てて考え込んだ。

 呆れるかと思ったが、彼女の瞳はむしろ、未知のデータに触れた研究者のように怪しく輝いていた。


「面白いわ。配信に影響される能力なんて物理法則を無視したトンデモ理論だけど……現象としては確認済みだものね」

「面白がってる場合じゃないんだよ。さっきの治療費でスッカラカンだ。稼いでも稼いでも、経費がかかりすぎて赤字なんだよ」


 俺が嘆くと、雫は「はぁ」と大きなため息をついた。

 まるで、出来の悪い生徒を見るような目だ。


「これだから脳筋は困るのよ。あんた、自分の動画のコメント欄、ちゃんと読んだ?」

「え?」

「『無駄撃ちしすぎ』『効率悪い』……批判の嵐よ」


 雫はパソコンの画面をスクロールして見せる。


「あんたの戦い方は、ビジネスとして最悪。500円の《ファイアボール》で20円の魔石しか落ちない敵を倒してどうするの? 収支計算もできないなら、探索者なんて辞めなさい」

「うっ……」

「でも、素材はいいわ」


 雫は不意に表情を緩め、パソコンを閉じた。


「この能力は、使い方次第で化ける。シオリちゃんの治療費……月20万どころか、億だって稼げるポテンシャルがある」

「お、億!?」

「ええ。ただし、今のあんたの『どんぶり勘定』じゃ無理。破産して野垂れ死ぬのがオチね」


 雫は俺の顔を指差した。


「だから、私が管理してあげる」

「……は?」

「私がマネージャーをやるって言ってるの。配信の構成、スパチャ誘導の演出、敵の選定から収支管理まで、全部私がやる。あんたは私の指示通りに動いて、ただ敵を倒せばいい」


 俺は呆気にとられた。

 マネージャー? 雫が?


「なんで……お前、協会でのバイトがあるだろ」

「あんなデータ入力だけの仕事、退屈で死にそうだったのよ。それに……」


 雫は少しだけ視線を逸らし、小声で付け加えた。


「……あんたが一人で無茶して死ぬの、見てられないし」


「え?」

「なんでもない! とにかく、これはビジネスよ!」


 雫は咳払いをして、ズイっと顔を近づけてきた。


「報酬は、利益の20%。経費(魔法代)は売上から差し引く。文句ある?」

「に、20%は取りすぎじゃ……」

「今の赤字経営よりマシでしょ。嫌ならこの秘密、協会にバラして被検体として解剖してもらうけど?」

「あ、悪魔かお前は!」


 俺は頭を抱えた。

 だが、悪い話ではない。というか、渡りに船だ。

 俺には数字の管理や配信のノウハウなんてない。雫の分析力があれば、確かに勝率は上がるはずだ。


「……わかった。頼む」

「交渉成立ね」


 雫は満足げに微笑むと、俺のスマホをひったくった。


「じゃあ早速、次回の配信計画を立てるわよ。まずはそのダサいチャンネル名と、概要欄の修正からね。あと、次のターゲットは『アンデッド系』よ」

「アンデッド? なんでまた」

「聖水や回復魔法(ヒール)でダメージが入るからよ。回復魔法のコストは攻撃魔法より安いの。コスパ最強」

「……お前、俺より守銭奴なんじゃないか?」


 こうして。

 俺の借金返済ライフに、とんでもなくがめつい「参謀」が加わった。

 最強のシステムと、最恐のマネージャー。

 これで稼げなきゃ嘘だろ。


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