第14話 『花を見る場所が違うだけ』
邦子さんは、大きな花が好きだ。
それも、いかにも「花!」という顔をしたやつ。
「ほら、見て。これ」
散歩の途中で、急に立ち止まる。
指さす先には、大輪の山茶花。
赤くて、肉厚で、冬の名残を引きずったまま堂々と咲いている。
「……でかいですね」
「でしょう? 遠くからでも“ここにいる”って分かるのがいいのよ」
邦子さんは、胸を張るみたいに言う。
「私はね、小さい花って、見落とされてかわいそうで」
「えー」
思わず声が出た。
「私は逆です」
「そうでしょうね」
即答だった。
「あなたは、そういう顔してる」
「顔って……」
私は苦笑いしながら、足元を指さす。
「あ、ほら」
舗道の割れ目。
誰も気にしない場所に、ちょこんと咲く青い花。
「オオイヌノフグリ」
「……名前、すごいわね」
「ですよね。かわいそう」
しゃがみ込むと、冷たい土の匂いが鼻に入る。
指先で触れると、花弁は驚くほど薄い。
「でもね」
私は言った。
「この子たち、踏まれても踏まれても、咲くんです」
邦子さんは、少し考えるように黙った。
「……健気、ね」
「はい」
「でも私は、こっち」
数歩先で、菜の花の群れが揺れている。
黄色が、まぶしいほど派手だ。
「この自己主張。
“見なさいよ!”って言ってる感じ」
「言ってますね」
「人生、これくらいでいいのよ」
邦子さんは、笑った。
「小さくまとまるとね、誰にも気づかれないまま終わっちゃう」
私は、その言葉に少しだけ胸がちくっとした。
「……でも」
私は、オオイヌノフグリから目を離さずに言う。
「気づかれなくても、咲いてるって、すごくないですか」
「ふふ」
邦子さんは、声を立てずに笑った。
「真反対ね、私たち」
「ですね」
「私は派手。あなたは地味」
「地味って言いました?」
「言った」
二人で、顔を見合わせて笑う。
歩き出すと、邦子さんが言った。
「でもね、不思議なの」
「なにがですか」
「あなたと歩くと、
小さい花も、目に入るようになるの」
「……ほんとですか」
「ほんと」
邦子さんは、少し足を止めた。
「ほら、あれ」
指さす先。
よく見ないと分からない、薄紫の花。
「名前は?」
「えっと……」
私は記憶をたどる。
「……ホトケノザ、かな」
「かわいい名前」
「ですよね」
「あなた向き」
今度は、私が黙った。
逆に、私も言う。
「邦子さんと歩くと、
大きな花も、悪くないって思うんです」
「でしょう?」
「堂々としてて……
逃げ場がない感じが」
「逃げ場、なくていいのよ」
邦子さんは、きっぱり言った。
「逃げてる暇なんて、もうないんだから」
その言葉は、重かったのに、明るかった。
信号待ち。
風が吹いて、菜の花がざわっと音を立てる。
「ねえ」
邦子さんが、ぽつりと言う。
「私たち、合わないと思う?」
「いいえ」
私は即答した。
「全然」
「どうして?」
「……」
少し考えてから、言った。
「見てる方向が違うだけで、
歩いてる速さは、同じだから」
邦子さんは、一瞬きょとんとして、
それから、あの“くしゃっ”という笑顔になった。
「いいこと言うじゃない」
「先生ですから」
「もう先生じゃないでしょ」
「……癖です」
公園が見えてきた。
ラジオ体操の音が、かすかに聞こえる。
「今日も行く?」
「行きます」
「必死ね」
「必死です」
二人で、並んで歩く。
派手な花が好きな人と、
名もない花が好きな私。
真反対なのに、
どういうわけか、歩幅が合う。
「ねえ」
「はい」
「好きなものが違っても、
一緒に歩けるのね」
「……はい」
私は、足元の小さな花を踏まないように気をつけながら、
でも前を向いて歩いた。
大輪の花も、
名もない花も。
春は、どちらもちゃんと咲かせる。
だから私は、
とにかく、彼女が好きなのだ。
今も。
これからも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます