黄泉比良坂
かちり、と箱の蓋が閉じる。
「これで――
その箱の中の魂には、
外から干渉できなくなったわね」
パンドラは、
少し気味の悪いものを見るような顔で、
鬼灯を見る。
一瞬、言葉を探すように視線を伏せてから――
「……そうだな」
そして、淡々と答える。
「もともと、
そういう用途の箱だ」
懸翁は、ソファから静かに立ち上がっていた。
腕を組み、
カウンター越しに、
パンドラを見ている。
「正直に言うわ」
雛菊は、まっすぐパンドラを見る。
「あんたが、
今回の一連の異常に
関わっとるいう報告は、
うちも受け取っとる」
「せやけど……」
「今は誰が“元凶”やと
決めつける段階やない」
「鬼灯が呼んだ以上、
意味はあるんやろ」
「せやから今は――
保留や」
ぴよ丸の足元の影へと
控えていた死霊の軍が、
音もなく、
溶けるように消える。
その背を見送り、
ぴよ丸が、静かに問う。
「しかし……
冥府へ送ったところで、
またよみがえるのであれば――
彼らは、どこへ還ればよいのだ」
鬼灯は、
わずかに目を細めた。
「黄泉比良坂に、
澱みがあるのよ」
それだけを告げると、
今度は、
レオンとパンドラを
交互に見やる。
「でも――」
鬼灯は続けた。
「あなた達には、
何か算段が
あるんじゃない?」
レオンは、
しばらく黙っていた。
かつて、
エデンのコアを覗いた。
――あのときは、
怖くて、引き下がった。
覗くことはできた。
だが、
踏み込む勇気がなかった。
でも――今度こそ。
エデンの奥を。
“神”のふりをした、
その構造の、
最奥の扉をこじあけ――
最後まで、
見届ける。
そして――
書き換える。
それが、
今の自分が
“ここにいる理由”なんじゃないか。
「……やってみたい」
短く、
そう言った。
パンドラは、
その横顔を見て、
わずかに口元を緩める。
「いいね」
「その顔。
すごく人間らしい」
「……我も、行こう」
ぴよ丸が言った。
「魂を集めた小箱――
預からせては、
もらえぬか」
パンドラは、
手にしていた小箱を、
静かにカウンターの上へ置く。
ぴよ丸の前に。
「黄泉比良坂の火口の中は――
魂を、
分解してゆく渦だ」
声は低く、
淡々としていた。
「澱みを正せるかどうかは、
賭けになる」
「だが、もし――
正せたなら」
「中の死霊たちを、
解放してやれ」
「魂が、
正しく循環するように」
「私も行くわ」
メイは、そう言ってから、
短く息を吐く。
「……黄泉送りだもの」
視線を、伏せたまま続ける。
「還ったかどうかを、
確かめないままじゃ――
終われない」
「……だめだ」
「……ならぬ」
レオンとぴよ丸の声が、重なる。
「黄泉比良坂の内側から――
戻れる保証がない」
「だからよ」
メイは、
ほんの一瞬だけ顔を上げた。
「還す側だから――
見届けないと、いけないの」
鬼灯は、
首元にかかる鎖に、
そっと指を添えた。
それは、
鎖と呼ぶには、
あまりにも細い。
月光を溶かしたような、
繊細な輝き。
切れそうでいて、
決して断たれない張りを、
静かに保っている。
鎖の先には――
何もない。
けれど。
指先が触れた瞬間、
その細い鎖が、
わずかに震えた。
空気が、
糸を引かれるように揺らぐ。
そこに、
小さな鍵が
浮かび上がる。
金属同士が触れ合う、
かすかな音。
それだけで、
場の気配が変わった。
「ぴよちゃん、
その器、
置いていきなさいな」
ふいに、鬼灯がぴよ丸に小さく笑いかけた。
「この先は――
お尻が破ける、くらいじゃ
済まないかもしれないから」
「……それは、どういう――」
問いかけを遮るように、
鬼灯のしなやかな手が、
ぴよ丸をすくい上げた。
次の瞬間。
ぬいぐるみの身体から、
ふわりと、
霧のようなものが抜け出す。
影が、形を持つ。
輪郭が定まり、
布の擦れる音とともに――
一人の男が、
そこに立っていた。
黒髪。
着物姿の青年。
泰朝は、
自分の両手を、
確かめるように見つめた。
「……泰朝」
はっとして、
メイは
その傍へ駆け寄った。
「門番が守るのは、
扉と――
そこへ至る道まで」
鬼灯は、
静かにそう言って、
店の奥へと歩みを進めた。
首から下げていた鎖を、
外す。
そして、その先にある鍵を、
店の奥――
何もない空間へと差し込む。
音は、しない。
だが、
空間そのものに、
細い継ぎ目が走った。
空気の重さだけが、
変わってゆく。
扉が開いた次の瞬間、
扉の向こう側の“気配”が、
こちらに滲み出た。
熱でも、冷気でもない。
――重さ。
黄泉比良坂の火口へと続く道が、
今、
繋がった。
鬼灯は、
その前で立ち止まり、
一歩だけ、脇へ退いた。
道を――
塞がないために。
レオンと泰朝は、
同時に、
ごくりと喉を鳴らした。
今、踏み出さなければ――
二度と、
この扉は
開かれないかもしれない。
その横を、
メイが、
迷いなく、
一歩、踏み出す。
一瞬、
レオンと泰朝は
顔を見合わせ――
どちらともなく、
小さく笑った。
そして、
メイに追いつくように、
二人もまた、
黄泉へと、
足を踏み入れた。
◆
三人を、
黄泉比良坂へと送り出した後――
鬼灯は、
BAR鬼灯の階段を上がり、
地上へと出る、その寸前。
鬼灯は、
一度だけ足を止めた。
何もない空間へ、
鍵を差し込む。
今度も、
音はしない。
だが、
ほつれていた境界が、
糸を巻き取られるように――
瞬く間に、閉じていった。
継ぎ目は消え、
そこには、
ただの空気だけが残る。
冥府の門は、
確かに――
閉じられた。
その静けさの中、
パンドラが、鬼灯の背後で軽く息を吐く。
「あーあ。
やっぱり俺も、
黄泉に行っときゃよかったかな」
鬼灯は、そんなパンドラに少し微笑み、首を横に振った。
「いいえ。
これでいいのよ」
「あなたの役目は、
果たされたのだから」
その言葉に、
パンドラは、
いぶかしそうに眉根を寄せた。
しばらく、
鬼灯の顔を見つめてから、
「……なにもかも、
お見通しかよ」
乾いた笑いが漏れる。
「これじゃあ, まるで――」
言いかけた、その言葉を。
鬼灯は、
指一本で,
その言葉を制した。
形のいい唇に,
人差し指を当てて――
ただ,
美しく微笑んだ。
◆
レオンの青灰色の瞳に、
渦が映った。
炎のようでいて、
炎ではない。
溶けた光が、
ねじれながら回転し、
オレンジ色の反射が、
瞳の奥に焼き付く。
誰も、
すぐには言葉を発せなかった。
足元は、岩。
巨大な火口の縁に、
三人は立っていた。
底は――
見えない。
「……ここで、何をしろというのだ」
泰朝が、
火口から視線を逸らさずに言う。
「……どうやって、
これを正せと?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます