招集
仕事を終えたメイとぴよ丸は、
栄の大通り沿いを足早に進んでいた。
少し遅い時間だ。
街はまだ灯りを残しているが、
人の流れはかなりまばらになっている。
そんな夜の空に溶けるように、
頭上を、烏が一羽。
低く鳴きながら、
誘導するように、先を飛ぶ。
「烏の伝令なんて……」
メイは眉をひそめた。
「一体、誰が……?」
答えはない。
だが、
歩きながら、
メイは違和感に気づき始めていた。
行き交う人々の話し声。
通り過ぎる車の音。
店先から漏れる灯り。
どれも、
いつもと変わらない。
――なのに。
音が、やたらと反響する。
「……明らかに、街の中が変よね」
足を止めず、メイが言う。
「なんだか、彼岸寄りっていうか」
ぴよ丸が、
メイのバッグから顔を覗かせ、
周囲を見回す。
「うむ。境界が、またも曖昧に緩んでおるな」
その声は低く、
どこか確信めいていた。
「ほれ。あそこにおるのは彼岸の者だ。
その隣は、生者だが」
メイは、思わず視線を向ける。
並んで歩く二人組。
服装も、歩き方も、何もおかしくない。
けれど――
彼岸の者には、影がない。
生者の影は、
足元から、
ほんのわずかにずれている。
「……曖昧すぎるわよ」
誰も、
気づいていない。
黄泉と、
現世が。
境界を失ったまま、
静かに、
重なり合っていることに。
烏が、闇の中で
ひときわ低く鳴いた。
大通りから外れた、路地の奥。
看板の灯りが、
ひとつだけ、
不自然に静かな場所がある。
――大須のBAR、鬼灯。
その姿が
視界に入った瞬間。
烏の影が、
ふっと揺らいだ。
羽ばたきはない。
音も、ない。
輪郭が、
夜に溶けるように、
ほどけて――
消えた。
「……ママが、呼んだのね」
もう、
導かれる必要はない。
ここから先は、
呼ばれた者だけが
足を踏み入れる場所だと――
身体が、
理解していた。
◆
レオンの部屋の、
ベランダの手すりに――
いつの間にか、烏が止まっていた。
黒い影。
夜の輪郭を、少しだけ濃くしたような存在。
「カア!」
短く、鋭い鳴き声。
レオンは、
はっと視線を上げた。
その視線に応えるように、
烏はさらに短く鳴いた。
状況を測るように、
レオンが目を細める。
「……呼ばれてる?」
椅子に座ったままの
パンドラが、意外そうに
低く呟いた。
「これは驚いたな。俺まで対象か」
烏は答えない。
だが、視線の先――
街のほうへ、
わずかに首を傾ける。
レオンが軽くうなずく。
「しかも、至急だ」
それだけで十分だった。
◆
BAR鬼灯の店内は
外の街の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
時計の針の気配すら、
ここでは薄い。
カウンター横のソファに懸翁。
その傍らに、雛菊が座っている。
二人とも、
すでに状況を察している顔だった。
――鬼灯が、冥界の門番。
緩んだ冥界の門を、
今一度きちんと閉め直す。
その言葉に、
メイとぴよ丸は一瞬、言葉を失った。
「……なんで今頃……
もっと早くに……!」
懸翁が、静かに首を振る。
「冥府の門番は、
冥府そのものを守るために
“制度外”に置かれた存在だ」
淡々とした声。
「門番が依頼に応じるのは、
あくまで非常時対応のみだ。
常時動かせる仕組みではない」
雛菊が、静かに続ける。
「冥府を守るための、最後の留め金……
冥府の門番は、
そういう位置づけなんだよ」
鬼灯は視線を伏せ、
小さく息を吐いた。
「……でも」
ふわりと、笑う。
「今なら、還せると思うわ」
その一言で、
空気が変わった。
「冥界の門を、
一度ちゃんと閉じ直す。
その前に、
街に溢れて彷徨っている魂を回収して、
黄泉へと還す」
鬼灯は、ぴよ丸を見る。
「ぴよちゃんの死霊の軍で」
そう言って、
カウンターの上にいる
ぴよ丸の影を指さした。
「この名古屋の地に控えている、
あなたの軍なら
回収できるでしょう?」
ぴよ丸は、しばらく黙っていた。
小さな体で、
それでも確かに
“考えて”いる沈黙。
やがて、
ゆっくりと顔を上げる。
「……今なら」
低く、重い声。
「我にも、
救えるかもしれん」
ぴよ丸は、
自分の足元――
影に向かって静かに命じた。
「ゆけ」
その声に、
迷いはなかった。
「一人でも多くの魂を
連れてまいれ」
ざわり、と。
ぴよ丸の小さな影が、
床の上で、
不自然にうごめいた。
影は、裂け、
増え、
溶けるように広がっていく。
そして、
音もなく、
街へ。
「でもママ、
一体どうやって……?」
大量の魂を、
門を閉じる前に、
冥府へ――。
メイの問いに、
鬼灯はほんの一瞬だけ
目を伏せた。
そして。
「ふふ」
小さく、
楽しげに笑う。
「いい考えがあるのよ」
その言葉と、
ほとんど同時に。
――カラン。
店の扉が、
音を立てて開いた。
息を切らして、
レオンが踏み込んでくる。
肩で呼吸をしながら、
視線だけが、
店内を素早くなぞった。
「……何が、
起きてるんだ」
その背後から、
気の抜けた声が続く。
「うわ。
冥府省の面々が勢ぞろいだ」
パンドラが、
軽く肩をすくめる。
その一言で、
場の空気が、
わずかに引き締まった。
鬼灯は、
二人を見て、
にこりと笑う。
「――これで、
みんな揃ったわね」
その頃――
テツは、
自宅の玄関で
靴を脱ぎかけたまま、
一瞬、手を止めた。
胸の奥が、
ふっと軽くなった気がした。
理由は、
分からない。
カイは、
コンビニのレジに並びながら、
無意識に天井を見上げた。
店内の音が、
一拍だけ、遠のいた。
すぐに戻る。
だが、
空気が変わった気がした。
シノは、
自宅の前で、
鍵を差し込む手を止めた。
いつも濃すぎる影が、
いつの間にか、
薄くなっている。
「……気のせいか」
そう思えたこと自体が、
いつもと違った。
ハスは、
窓を開けて夜風を吸い込み、
小さく息を吐いた。
「……静かだな」
名古屋の夜は、
確かにそこにある。
それでも――
何かが、
抜け落ちた。
誰も、
何が起きたかは分からない。
だが、
同じ瞬間に、
同じ違和感を覚えていた。
街の至る所で
魂が――
回収され始めていた。
やがて、
街のあちこちから、
霧のようなものが
集まり始めた。
人の形を失った気配。
輪郭の曖昧な魂の名残。
それらは、
大須の地下へ続く階段を、
滑るように落ちてくる。
音もなく、
迷いもなく。
一直線に。
パンドラの手にある箱が、
静かに口を開いた。
吸い込まれていく。
止めどなく。
あまりの流れに、
パンドラが
小さく息を吐く。
「……最初から、
このつもりだったな」
視線だけで、
鬼灯を見る。
「まったく。
得体が知れない」
鬼灯は、答えない。
ただ、
すべてを承知しているかのような目で、
その光景を見つめていた。
この先に待っているものを、
誰も、
まだ言葉にできなかった。
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