第3話 外資系の死神

名古屋の街で迷える魂を送る――冥府省送魂部・名古屋支部の黄泉送り、メイ。

今日もまた、奇妙で厄介な“依頼”が舞い込んでくる。


死んでも働くなんて、どこの社畜よ。

……でも、ここ名古屋では珍しくない。

死んだあとまで労働を続ける魂なんて、いくらでも見てきた。


そして、今夜の死霊カスタマーは、少し国際的だった。

彼は死んでもなお、家族に仕送りをしようとしていた――。


▼△▼


名古屋市・港区のコンビニ前。

明け方の青白い光の下、警察車両の赤色灯が静かに回っている。


フィリピン出身の男性が、コンビニの前で横たわっていた。

右手には送金明細。残高は「¥3,200」。





メイのスマホが震えた。


【対象:マサハル・ガルシア】

【死因:心不全(過労)】


「……また過労死案件ね」


冥府省送魂部・名古屋支部。

築三十年の雑居ビル。エアコンは今日も壊れかけて唸っている。


「最近多いよね、こういうの」


書類の山からカイが顔を出す。

メイは腕の赤いミサンガを触りながら息を吐いた。


名古屋支部の“現場”担当の色。

テツもカイもシノも同じ赤だ。


「過労死、連続でしょ。なんか嫌な感じ」


シノが眼鏡を押し上げ、小声で言う。

「……名駅のタワーに“外資系の送魂会社”が進出したって噂、聞いた?」


「タワー!? 羨ましい……ウチなんてコンビニまで二十分なのに」


テツは肩をすくめ、それ以上は何も言わなかった。


メイは一瞬、手を止める。


「……外資系、ね」


ぽつりと落ちた言葉を飲み込み、

メイは立ち上がる。


「……現場、行ってくる」


ハス部長が手を振る。

「気ぃつけてな、メイちゃん」


◆ ◆ ◆


コンビニの前で、死霊が立っていた。

青ざめた顔でATMを見つめたまま、微動だにしない。


(……マサハルさん)


メイが近づこうとしたその時――


街灯が、ひときわ強く揺らいだ。

明るさが一瞬だけノイズを走らせ、にじむように滲む。


その光の境目を割るように、長身の男が歩いてくる。


黒いスーツ。

だが――


足音がしない。

影だけが、光の角度と“ずれて”地面に落ちていた。


(……同業? でも、何、この気配)


「すみません!」


メイは声を張る。


「この方、うちの死霊カスタマーなんですけど!

あなた、管轄違反では?」


男がゆっくり振り返る。


冬の夜のように冷たい灰青の瞳。

くすんだ金髪。


そして――人間のものとは思えない静けさがあった。


「君は……この国の死神か?」


「黄泉送り、です。そして彼は、うちの死霊カスタマーです」


「残念だが、この魂は敬虔なクリスチャンでね。

 我々のデータベースでも“死後契約済み”になっている」


「……エデン社?」


男は、感情の温度を欠いた微笑の“形だけ”を浮かべた。


「レオンだ」


その瞬間――

マサハルの影が、不自然に盛り上がった。


まるで深い海から“何か”が浮かび上がるように。


「……やっぱり来た。こういう気配の時は、必ずくるんだから」


メイがスマホを構えた瞬間、

レオンは一歩踏み出し、漆黒の指輪をはめた左手を横に払った。


――ザリ、と空気が逆立つ。


影の“内側”がひび割れ、

音もなく砂のように崩れ落ちた。


斬ったわけでも、殴ったわけでもない。

ただ触れたように見えただけ。


なのに“それ”は跡形もなく消滅した。


一拍遅れてシャッター音が鳴る。

画面の中で、マサハルの輪郭が揺れ、光にほどけていく。


画面の隅に、短い表示が残っていた。


《残滓:未検出》


「ああ……話、聞けなかった」


レオンがわずかに目を細める。

「君は……彼らと話そうとするのか」


「できるだけね。最後ぐらい誰かが聞いてあげないと」


メイは消えた空間へ呟いた。


「……もう頑張らなくていい。ゆっくり眠れますように」


その声が、レオンの胸の奥に触れた。

彼自身も気づかぬ何かが、わずかに揺らぐ。


無意識に、指先が胸元に触れて震える。



「君のその送魂……非効率だな」


「ほかっといて。そっちは何よ、そのリング」


「エデン社の最新式だ」


「……いいデバイス使ってるわね。正直、腹立つけど」


その言葉を聞き流して異国の死神は踵を返した。

レオンは振り返らずに一言だけ落とす。


「――今日の“冥域”、数字が噛み合っていない。

 いつからこんな淀みが生じている?」


意味はわからない。

だが、レオンが消えたあと、ふと足元に違和感を覚えた。


メイの影が――二つある。


(……え?)


瞬きした、その一瞬のあいだに、

もうひとつの影はゆらりと揺れ、

音もなく、地面へ吸い込まれるように消えた。


残ったのは、夜の静けさだけ。


背筋の奥が、ひやりと冷えた。


◆ ◆ ◆


エデン社・名古屋オフィス。


虹彩認証ゲートの前で、レオンは瞳を開いた。

虹彩の奥に、淡い数字が浮かび上がる。


《E-314-777-R0》


扉が開くと、瞳の光はすっと消えた。

青灰色だけが残る。


歩きながら、また胸元へ手が伸びる。


痛いわけではない。

だが――どうしてか、そこに触れずにはいられなかった。

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