第2話 世界が変わった日③

         50000年


      セレオス=アウラリア



湿った空気が、肌を伝って落ちた。 熱気とも冷気とも呼べぬ不快な風が、ダンジョンの奥から吹きつけてくる。


リク=オースティンは剣を構え、仲間を振り返ることなく鋭く警告した。


「……来るぞ。雑魚じゃない」


その言葉が終わるより早く、闇が揺らぐ。


「『影』だ! 数は三!」


 フィノルが叫ぶと同時に、虚空から黒い刃が走った。  

岩壁に張り付くように現れたのは、不定形の影の魔物――〈シャドウ・ストーカー〉。

物理攻撃をすり抜ける厄介な中層の主だ。


 影の一体が、後衛のミリアへ音もなく跳躍する。


「させんッ!」  

カスティルが轟音と共に盾を地面に叩きつけた。

衝撃波が空気を歪め、影の軌道を無理やり曲げる。


「フィノル、実体化を!」


「任せてよ!」


 

フィノルが三本の矢を同時に番え、引き絞る。  放たれた矢は空中で弾け、高密度の水飛沫を撒き散らした。  


水を浴びた影が、「ジュウウ」と音を立てて輪郭を露わにする。


ティエルが床を蹴り、その背の翼の痕から青白い魔力の粒子を噴出させた。  

拳に灯るは蒼炎。


「消し飛べ!」  


龍の重撃が影の魔物の腹部を貫き、内側から爆発させる。


 残り二体。  

リクは低く身を沈め、呼吸を止めた。  

左の一体がカスティルの盾を駆け上がり、右の一体が天井からリクの頭上を狙う。


 ――遅い。


 リクの剣閃が銀の弧を描く。  

一閃。天井から降る影が両断され、霧散する。  

返す剣で、カスティルに迫る影の核を正確に突き刺した。


 三つの影が霧となって消えるまで、わずか十秒。


「……ふう。最深域ともなると、道中の雑魚すらAランク相当か」  


カスティルが盾の汚れを払いながら苦笑する。


 

背後で、柔らかな声が響く。

「リク。脈、速くなってるよ。まだ興奮してる?」  

治癒士の少女――ミリア=フィリス

リクの幼馴染であり、同じフェリアン族。

わずかに尖った耳と淡い灰色の瞳が、心配そうにリクを覗き込む。


「大丈夫だ。むしろ調子はいい」  

リクは短く微笑む。

「今日の目標はここを突破することだ。これを超えたら、俺たち……名実ともにAランクだ」


 その言葉に、仲間たちが笑った。



 再び前進を開始する一行。  

先頭には、地上最強の防壁を夢見る盾士、カスティル=グレイヴ。  

その隣には、海底王国出身の弓手、

フィノル=イエルシアン。  


最後尾を守るのは、龍の血を引く戦士、ティエル=ドラヴァンティア。


 やがて、通路が開けた。

 巨大なドーム状の空間。  

壁には獣の爪痕、古代の紋章、そして――無数の骨。


 カスティルが足を止めた。


「……これ、全部冒険者の…?」


 リクはしゃがみ込み、崩れた鎧を確かめた。  


新しい死だ。血の匂いがまだこびりついている。


「おそらくここで……“やつ”にやられた」


 その時、ティエルの背筋が震えた。  彼女は前をじっと見据え、低く唸るように言った。


「気配が濃い……魔力が、膨れ上がっている!」


 

空間の中央。地面が泥のように波打ち、隆起した。  

湿った空気が震え、脈を打つ。


 闇の奥から、四つの腕を持つ巨躯が姿を現した。  粘土と鉄が混じり合ったような皮膚。額に埋め込まれた三つの眼が、血のような赤光を放つ。


 深層の番人ヴァルゼロア。


 咆哮が空気を裂き、冒険者たちの鼓膜を揺らす。  ただの咆哮ではない。衝撃波を伴う

「魔力咆哮(マナ・ハウル)」だ。


「散開!」  


リクの指示と同時に、巨人の四本の腕が別々の人間に襲いかかった。


 カスティルが即座に前に出る。  

盾を構え、スキル

『城塞防壁(フォートレス・ガード)』を発動。  


緑色の障壁が展開されるが、ヴァルゼロアの剛腕はその上からカスティルを叩き潰さんと振り下ろされる。


 ガガガガガッ!  

火花が散り、カスティルの足元の石畳が砕け散る。


「くっ、重てぇ……!」


 その隙を狙い、フィノルが矢を放つ。  水流を纏った矢が巨人の眼を狙うが、番人の皮膚が瞬時に液状化し、矢を飲み込んで無効化した。


「物理も魔法も、受け流される」  


 ヴァルゼロアは背中の粘土を変形させ、無数の「棘」を生成した。  

それは雨のように全方位へ射出される。


「ミリア、伏せろ!」  

リクがミリアを庇い、剣で棘を弾く。  

ティエルは棘を素手で掴み取り、握りつぶした。


「硬いだけじゃない……こいつ、全身が武器だ」


 ティエルが息を吸い込み、両腕に蒼い炎を灯す。  龍の血を封じた種族のみが使える、竜脈法。  

彼女は地面を蹴り、巨人の懐へ飛び込んだ。


「オオオオッ!」  

螺旋を描くアッパーカットが、番人の顎を打ち砕く。  

焼けた粘土が溶け、鈍い臭いが辺りを満たす。


 だが、絶望的な光景が彼らを襲う。  

砕けた顎が、泥が戻るように瞬時に修復されたのだ。  


それどころか、修復された箇所が黒鉄色に変色し、より硬化している。


「再生するたびに進化するのか……!」  


リクが歯噛みする。


 ヴァルゼロアの三つの眼が光った。  赤黒い光線が、ティエルを薙ぎ払うように放たれる。


「危ない!」  


カスティルが盾を投げ捨て、体ごとティエルにタックルして射線を外させた。  

光線が掠めた地面が、音もなく消滅する。


「回復陣展開、『レーヴァ・サルス』!」  


ミリアが杖を掲げる。光の紋が地を覆い、仲間たちの体力を底上げする。


「長期戦は無理よ! 魔力の消費が早すぎる!」


リクは走った

敵の攻撃を紙一重でかわしながら、観察する。  


再生する泥。硬化する鉄。三つの眼。  


どこだ。どこかに「核」があるはずだ。


 その時、ヴァルゼロアが大きく腕を振り上げた瞬間、胸部の泥が一瞬だけ薄くなり、強い輝きが漏れた。


「核を探せ! あれは体じゃなく“器”だ!」


 フィノルが水晶のような眼を細める。


「……見えた! 心臓じゃない、三つ目の下の奥深く! 移動してる!」


「移動する核かよ、面倒な!」  

カスティルが大剣を引き抜き、吼える。


「動きを止めるぞ! ティエル、合わせろ!」


「承知!」


 カスティルとティエル、二人が左右から同時に仕掛ける。  

カスティルが巨人の右足を砕き、ティエルが左足の腱を焼き切る。  

巨体がバランスを崩し、膝をつく。


「今だ、リク!」


 リクはその背を駆け上がっていた。  

刃に全魔力を纏わせる。剣が青白く発光し、大気が悲鳴を上げる。  

両足の筋肉が断裂しそうなほどの負荷。  

だが、構わない。


 ヴァルゼロアが気づき、四本の腕すべてでリクを握りつぶそうと迫る。


 その瞬間、一本の矢が飛来した。  

フィノルの放った、極限まで圧縮された水の矢。  それがリクの足場となり、空中で彼をさらに加速させる。


「――流星剣ッ!!」


 すれ違いざま、渾身の突きが放たれる。  硬化した皮膚を貫き、泥を掻き分け、その奥にある「光」へ。


 手応え。  




そして、爆発。



 「――GYAAAAAAAッ!!」



 断末魔とともに、核が割れ、粘土の肉が四散した。


 轟音とともに、吐き出されるような爆風が五人を壁まで吹き飛ばす。  そして、沈黙。


 リクが肩で息をしながら、折れた剣の柄を握りしめていた。


「……終わった、か」


 ミリアが駆け寄り、治癒の光を彼の腕に添える。  温かな光が、酷使した筋肉に染み渡る。




「まて、終わってない。違う音がする」  


ティエルの声が静寂に響いた。


 耳を澄ますと――確かに、聞こえる。

 さっきまでの破壊音とは違う。もっと美しく、恐ろしい音。  


“水の流れる音”。  


だが、ここは地底の最深部。川などあるはずがない。


 フィノルが周囲を見回し、顔色を変える。


「違う。これは……波音だ」


 「波?」  


全員の顔が曇る。


 砕けた番人の背後――壁の一部が、淡く光を灯していた。  


針の穴ほどの光。  

けれどダンジョン全体の空気が変わった。重力が狂ったような浮遊感。


 リクは一歩近づく。本能が警鐘を鳴らすが、足が止まらない。


「――リク、やめて!」  


ミリアの声が響くが、もう遅い。


 彼の影が光に飲まれ、足元の地面が弾けた。


 次の瞬間、轟音。  ダンジョンの底が抜けたのではない。世界そのものが反転したような衝撃。


 誰もが声を上げる間もなく、視界が白に染まった。




 “風”が吹いた。

 湿った空気ではない。

 どこか澄んだ、塩のにおいを含んだ風。


 リクは目を開けた。


 眼前に広がっていたのは、光る海。

 天井――否、上空にも海がある。

 上下の境界が消えた、不思議な世界。


 見たこともない建物。

 見たこともない地面。  

 見たこともない、澄んだ空。



 隣でミリアがゆっくりと目を開けた。

 


 

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