第3話 世界が変わった日②

       143018000000年


        天鏡郷てんきょうきょう:星草原


 





 星のように光る草花が、風に揺れていた。

 静寂と柔らかさが同居する、永遠の微睡みの大地。


 その中心で、一人の青年が気持ちよさそうに寝ていた。


 黒髪は雲のように揺れ、頭には小さく整った二本の角。

 胸は規則正しく上下し、世界の時間とは違うリズムで眠っている。


 ――龍種の超越者、

 《シュレン=カムイ》。


「……主様。そろそろ本当に起きてくださいませ……」


 ため息まじりの声が落ちる。

 声の主は、天鏡郷の精霊筆頭ミリシア。

 白銀の光をまとい、草原の揺らぎと同じリズムで静かに立っている。


 それでも、シュレンは眠ったまま動かない。


「……まだ……風が眠ってる……」


「風は四六時中眠っています。

 主様の言い訳は、もう聞き飽きましたよ……」


 ミリシアは少しだけ頬を膨らませながら、柔らかく揺れる光を強めた。


「本日は《天鏡八柱議てんきょうはっちゅうぎ》の日です。

 寝ている場合ではありませぬ、主様」


「……はっちゅうぎ……? 今日……?」


「昨日からです。

 主様が寝続けていたせいで、他の超越者の方々が全員――

 《八柱宮》でずっとお待ちです。」


「……昨日から……?」


「はい。皆さま不機嫌です。」


 シュレンはゆっくりと片目だけ開けた。

 眠たげな目の奥に、龍種特有の淡い金色が光る。


「……あぁ……それで空が騒いでたのか……」


「やっと気付きましたね!? 

境界が揺らぎ、裏世界の瘴気が滲み出しています。

このままだと三つの世界が混線してしまいますよ!」


 ミリシアが手を差し出す。

 シュレンはそれを掴み、ようやく腰を上げた。


「……わかったよ。行く……

 でも……眠い……」


「寝ないでください!!」


 ミリシアが怒り気味に光を強め、

 星草原がふわりと輝いて二人の身体を包む。


 次の瞬間、光は天へ伸び、

 浮遊神殿八柱宮へと続く道を開いた。



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       160000000000年


       天鏡郷 :星路の散歩道


 天鏡郷の朝は、音が柔らかい。

 風も、光も、急がない。


 その中心を、シュレン=カムイは歩いていた。


 黒髪を揺らし、少し眠たそうに目を細めながら。

 小さな二本の角は、今日も隠す気がない。


「……あぁ……いい風……」


「おはようございます、シュレン様!」


 声をかけてきたのは、背の低い獣人の少年。

 耳は丸く、尻尾は短い。まだ力も弱い、下位の住人だ。


「……おはよ……」


 シュレンが手を軽く振ると、

 少年はそれだけで顔を赤くして走り去っていく。


「やっぱり龍様は優しいよね〜」


「話しかけても怒られないし」


 少し離れた場所では、翼を持つ小妖精たちがひそひそ話している。


 シュレンは聞こえているが、気にしていない。

 というより、少し照れて歩く速度を上げた。



巨大湖天映湖


 視界が一気に開ける。

 空をそのまま落としたような、巨大な湖。


 湖面は鏡のようで、

 シュレンの姿と、天鏡郷の空を同時に映していた。


「……静かだ……」


 湖畔には、様々な種族が思い思いに過ごしている。


 水に足を浸す人魚。

 湖面を跳ねる精霊獣。

 釣り糸を垂らす鬼族の老人。


「お、シュレン様じゃねぇか」


「……こんにちは……」


「今日も眠そうだなぁ」


「……いつも……」


 笑い声が起こる。

 敬意はあるが、距離は近い。


 それが、シュレンという存在だった。



◆ ― 巨大な屋敷


 白亜の屋敷。

 天鏡郷でも指折りの規模を誇る、吸血貴族の館。


「シュレン様、ご到着です!」


 空を飛ぶメイド服の少女が声を張る。


 廊下の両脇には、

 種族も年齢もばらばらなメイドたちが並んでいた。


「……わざわざ並ばなくても……」


「いえ、これは“慣例”ですので」


 奥から、屋敷の主人――

 長身の吸血鬼が現れる。


「久しいな、龍の超越者」


「……久しぶり……元気そう……」


「おかげさまで。

 ところで今日は?」


「……紅茶……飲みに……」


「はは、相変わらずだ」


 メイドの一人が、

 そっとシュレンのマントを整える。


「お疲れでしょう?

 よろしければ客間で少し……」


「……うん……」


 そのまま、少しだけ眠って、

 何事もなく屋敷を後にする。



◆ 幻想の森 / 万色樹林


 光が木々の間を漂い、

 現実と夢の境が曖昧になる森。


 シュレンは大樹の根元に腰を下ろし、

 気づけば目を閉じていた。


 ――いつの間にか。


 膝の上に、小さな妖精。

 肩にも、もう一人。


「……すー……」


「龍さま、あったかいね……」


「動かないで……」


 シュレンは薄く目を開け、

 状況を理解して、諦めたように息を吐く。


「……落ちないように……ね……」


 妖精たちは、

 それを子守歌のように受け取って、さらに眠る。





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       165000000000年



――天鏡郷・八柱宮はっちゅうきゅう


 宙に浮かぶ円形の神殿。

 床は鏡のように空を映し、柱は世界の境界線そのものを象っている。


 八つの玉座のうち、七つはすでに埋まっていた。


「……で? まだ?」


 境界の裂け目に腰掛けるように座っているのは、

 紫の衣をまとった女性――

 八超越者の一柱、《境界》を司る存在。


 名は、アマツ=ユグラ。


 彼女は扇子で口元を隠し、くすくすと笑った。


「ふふ、どうせまた寝てるんでしょう?

 可愛い龍ちゃんは、朝が弱いものね」


「“可愛い”は余計だぞ、ユグラ」


 低い声で返したのは、鬼種の超越者カグラ。

 腕を組み、すでに不機嫌そうだ。


「定例会議だ。遅刻は97841回目だぞ、あいつ」


「まぁまぁ。

 シュレンちゃんは“起きてる方が珍しい”んだから」


 今度は吸血鬼のユオが、肩をすくめて笑う。


「それに、起こす役がいるでしょう?」


 その瞬間。


「……失礼します……!」


 光の扉が開き、精霊筆頭ミリシアが慌てて飛び込んできた。


「シュレン様が……その……

 星草原で、また……」


「寝てた?」


「はい……!」


 全員が、納得したように頷いた。


「ほらね」


 ユグラは扇子を閉じ、立ち上がる。


「じゃあ、迎えに行きましょうか。

 あの子、放っておくと“会議が終わるまで”寝るもの」


「お前が一番甘やかしてるだろ」


 カグラが呆れたように言う。



◆ 星草原


 星の光を宿す草原の中央で、

 シュレン=カムイは仰向けに寝ていた。


 小さな二本の角が、きらりと光る。


「……すー……」


「ふふ……相変わらず無防備ねぇ」


 ユグラはそっと近づき、しゃがみ込む。


「ほら、シュレンちゃん。起きなさい」


 返事はない。


「仕方ないわね」


 彼女は指先で、境界を少しだけ“ずらした”。


「……っ、さむ……?」


 シュレンがもぞりと動き、片目を開ける。


「……ユグラ……?」


「正解。

 はい、ご褒美に起こしてあげる」


「……それ……ご褒美なの……?」


 眠そうに言うシュレンの頬を、

 ユグラは指で軽くつついた。


「可愛いからいいの」


「……それ……皆の前で……言わないで……」


「えー? 八柱全員の前で言うつもりだけど?」


「やめて……」


 完全に起ききらないまま、

 シュレンはユグラに引きずられるように八柱宮へ。



◆ 八柱宮・再び


「お、起きたか」


「遅かったな」


「おはよう、シュレン」


 次々に声がかかる。


 シュレンは玉座に座り、

 小さくあくびを一つ。


「……おはよう……

 えっと……今日……何の話だっけ……」


「定例会議よ」


 ユグラが彼の背後に立ち、

 肩に手を置く。


「世界の安定確認、境界の観測、異界の報告。

 いつものやつ」


「……じゃあ……問題ない……?」


 

「今のところはな」


「異常は観測されていない」


「平和そのものだよ」


 シュレンは少し安心したように目を細める。


「……よかった……

 じゃあ……終わったら……また……」


「寝る気でしょ」


 ユグラが即座に突っ込む。


「……だめ……?」


「だめに決まってるでしょう。

 会議中に寝たら、また私が起こすわよ?」


「……それなら……寝ない……」


 小さく呟くシュレンに、

 八超越者たちは自然と笑っていた。



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       170000000000年


 空が、低く唸っていた。

 蒼ではなく、灰でもない。

 光と闇の境界を融かしたような色をしている。


 ―天鏡郷。


 天蓋に走る幾筋もの亀裂は、まるで巨大な鏡が悲鳴を上げているかのようだった。


 階段の下。

 そこに、ひとりの男が立っていた。


 シュレン=カムイ。

 瞳が、冷たい光を宿している。

 髪がふわりと揺れ、背には淡く龍の紋が浮かぶ。

 息が、わずかに荒い。


(……俺と同格。しかも――)


 視線の先。

 長い階段の中腹。

 そこに三つの影が並ぶ。


 かつて同じ卓に座り、同じ時間を誓って笑っていた仲間たち。

 だが今は、黒紫の渦に包まれていた。

 その背から滲み出す気配は、“アビス”そのもの。


(アビスで強化されてる……三人同時とか……)


 唇の端がわずかに歪む。

(勝てん――いや、勝つしかない)


 先に動いたのは、闇。


 ひとりが両手を広げると、宙に無数の矢のような闇が出現する。

 歪曲――虚数軌条(ファンネル)展開。

 魔力の糸が絡み合い、構成子が自律運動を開始する。


 刹那。


 空間が弾けた。


 無音の爆縮。

 数百の闇弾が同時に放たれ、斜行する軌跡が階段を削る。

 ひとつひとつが分子結合を破壊する“刃”そのもの。


「……速い」


 シュレンは地を蹴る。

 龍の脚力。瞬間で体を真横に滑らせ、連射の隙間をすり抜けた。


 かすめただけで、肩口の布が溶け落ちる。

 避けきれなかった数発を、彼は尾鱗で払った。


 ――ぼん。


 背中付近から現れたのは、煙のように生成される九本の“尾”。

 それぞれが金属質の光を放ち、意志をもつように空を泳ぐ。


「第一相、吼えろ、アークテイル」


 号令と同時に、尾が分裂した。

 一部は盾のように巻き取り、残りが弾丸の軌道を逆に読んで撃ち落としていく。

 無数の尾が空に軌跡を描き、黄金と紫がぶつかり溶け合った。


 閃光。

 階段が砕け、岩片が無重力のように宙に舞う。


 (いったい、いつから囁きが始まっていた?)


空気が震える。

 次の瞬間、三方向同時に虚数軌条が別種の攻撃を展開した。


 一体は刃の雨。

 一体は重力収束。

 一体は虚界干渉。


 反応が一瞬遅れる。


(出力が違う……!)


 シュレンは息を吸い、己の血を燃やした。

 瞳が縦に裂ける。


「――第二相、龍顕」


 音が消えた。

 空気が引き裂かれ、紅金の光が背中から放たれる。

 尾がさらに伸びて十二本に増え、そこから龍の体がそれぞれ生えてくる


龍の大群

一瞬で散開し、敵の虚数軌条群を迎撃した。


 近距離に近づく前に尾が防壁の網を張り、反射の角度で魔弾を弾き返す。


 (なんだこの感じ、本気が出せない?)

 

だが追撃は止まらない。

 三人が同時に印を切り、空間そのものをひっくり返した。



 天地の概念がねじれ、階段が上下を逆転させる。

 慣性すら変化した。


 シュレンの右手が弧を描き、白炎が走る。

「咢(あぎと)――霊牙衝」


 尾の一本が槍状に変形し、炎蛇となって弾けた。

 亜音速で突き抜ける一撃。

 黒紫の一人が身をかわすが、衝撃波が肩を裂き、アビスの霧が散った。


 だが痛みもなく笑う。


「まだそんな火が残っていたか」


「お前たちを戻す、何度でもな」


 尾が旋回する。

 複数の尾が束ねられ、龍の咆哮の形をとる。

 それぞれが砲身のように口を開き、内部で光を蓄積していく。


 三人が同時に構えた。


 同時放射。


 光が交わった瞬間、世界が闇に染まった。

 音もなく、衝撃だけが空を裂く。


 天鏡郷の上空に、巨大な円形の波紋。

 それは後方へ重力を引きずり、虚空の布地をねじりながら拡大していく。


 爆風の中心で、金と黒紫がぶつかり続けた。

 尾が砕ける。

 再生する。

 血を吐いても、足を止めない。


「シュレン、無駄だ。私たちは“外”と融合した。神ですら触れぬ領域にいる」


「外、ね……」


 シュレンはゆっくりと息を吸い、心臓の奥を叩いた。

 第三相が開く。



 龍が一瞬で広がった。

 十二体すべてが光を帯び、陣形を描く。

 その中心に、龍の紋章が浮かび上がる。


「第三相――天尾三式・絶界陣」


 世界が裏返る。

 時間の流れが遅く見え、光速以下の攻撃軌道が可視化される。

 防壁ではなく、“空間そのもの”が尾で編み込まれていた。


 彼の周囲、三十メートル圏内が絶対領域として固定され、

 敵の魔彈が入るたびに分解され、粒子となって返る。


 その粒子を尾先で掴み、逆流に変える。


「“外”を繋ぐ力だろ? なら、これで塞ぐ」


 シュレンが腕を振り下ろす。


 一本、二本、三本――

 すべてが一点に集合し、巨大な槍と化した。


「――終境・龍閃尾」


 光が縦に走った。

 刹那、天と地が分かれる。


 衝撃波が三人を包み込み、アビスの霧が弾ける。

 視界が白に染まり、悲鳴もなく、ただ沈黙が残る。


 ……煙が晴れた。


 そこには焦げた階段と、崩れた壁。

 そして、無傷そうに立っている影


「……」


 耳鳴りの中、空気が歪む。

直後、見えない斬撃がシュレンを撃ち抜いた。



「……ぐっ!」

 

シュレンは膝を地に付く


「言ったはずだ、既に外と融合していると」


 息を整えながら、辺りを見回した。


 そのとき――


 コツ…コツ……


 階段の下から、足音。


 軽くもなく、重くもない。

 だが確実に、“戦う者”の音ではない。


 シュレンは眉をひそめ、ゆっくりと振り返る。


 その影を見た瞬間、胸がざわついた。


「……いいところに……早く……!」


 声が震える。唇が乾く。


 だが、返事はない。

 足音は変わらず。

 その男は、まっすぐ階段を登ってくる。


 光の中を進む姿。

 一見、普通のように見える。

 だが――空気が違う。


 重力のベクトルが一瞬揺らぎ、

 天鏡郷全体の構造が“警戒”していた。


「……まさか……」


 シュレンの背筋を、氷のようなものが這い上がる。

 龍の尾が本能的に揺れた。


 嫌な予感が、確信に変わった。


 


 それは止まらない。

 足音だけが規則正しく、響いている。



「ほう、間に合ったか」

 

上から声が聞こえる


シュレンは歯を噛みしめ、全力で階段を跳んだ。


 ――瞬間。


 世界が震えた。


 音が消え、光が歪み、

 境界そのものが、断末魔をあげる。


 衝撃で視界が反転する。

 階段を駆け上がり、いた“はず”の位置へ。


 そこには――


 黒紫のモヤに覆われた空間。


 中心は空洞だった。

 何者の気配もない。


 ただ、そこに立っていた“存在”の圧だけが残っている。


 風が吹く。

 天鏡郷の鏡面が、ゆっくりと音を立てた。


 シュレンは、その場に立ち尽くしたまま、小さく呟いた。


「……まずい」



 











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2026年1月10日 18:00
2026年1月11日 18:00

世界が変わった日〜眠たがり龍が住む天鏡郷で仲間が厄災に堕ちた結果、地球ではダンジョンが生え、異世界では世界の穴を覗いた冒険者が現代日本を見る〜 さまたな @SAMATANA

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