第三話 面のいい男から始まる異世界転生

男は私を抱き直すと、そのまま音も立たず静かに浮上し、部屋の扉の前に着地した。

摩訶不思議な能力を目の当たりにし、ただ刮目したまま男の顔を眺める。

風呂場からそのまま直行してくれたようで、濡れた猫のようにペシャンコになった髪の先から雫が垂れ、肩を濡らす。

これぞ水も滴るいい男ってやつだななんて感心していると、抱かれていた私は床に下ろされ、男は濡れた髪を邪魔そうにして後ろに撫で付けた。


「なんか風呂の前で騒がしくしてるなとは思ったけど、まさか飛び降りるとは…」


男は困ったように眉尻を下げ、私を見つめる。

面識がない他人でも、こんな顔をさせるのは流石に気が引ける。

それに面がいいから尚更罪悪感がすごい。


「ご…ごめんなさい…」


「ううん、輝凛は悪くないよ。起きたら一人ぼっちで不安だったよね。ごめんね」


男は大人としての責務を果たせなかったことに反省しているようだが、あんたは全然悪くない。

全部私の自業自得だ。

前世で子どもは全力で死ににいくなんてバカな比喩表現を聞いたことがあるけど、まさか中身アラサーの自分がそれを体現してしまうとは。なんて不甲斐なさすぎるんだ自分。


「けどもう金輪際危ないことはしないで。流石の僕でも気が付かなきゃ助けられないからさ」


「はい、もう一生しないです…すみません…」


「ふふ、何その敬語。…そういえば眼帯はどうしたの?」


男は剥き出しになった厨二病瞼を親指で優しくなぞる。

その時スエットの袖からチラリと黒い入れ墨のようなものが見えた。

あれ…この入れ墨どっかで…。

急にデジャヴを感じ、男の顔をじっと見つめる。

すると首の横にも同じものがあるのが分かった。

それをよく見ると、入れ墨とは違い、ドス黒い痣のようにも見えた。

こんなグロテスクな痣なんか見たことないはずなのに、なぜかこの痣の正体を知ってる気がする。


「えーっと、輝凛?聞いてる?」


ああこの思い出せそうで思い出せない感じが心地悪い。

いや絶対私あんたのこと知ってるわ。

だって喉のここら辺まできてるもん。

あとちょっとで思い出せるから、ンあ〜、なんだっけなー。


「輝凛?」


「っのア!?」


びっくりしすぎて声が上擦る。

急にいい面がドアップで視界に映し出されたらそりゃ変な声も出る。


ん…?って、あれ?


「その“輝凛”って、もしかして私の名前?…ですか」


男との距離感が掴めず、チグハグな敬語で男に問う。

思考が停止していたせいで聞き逃していたが、男は確かにこの幼女の名前を呼んでいる。

この体の内情を全く知らない私からすれば、初めて得られた情報だった。

反応が遅れたのはの名前が私と同名だったからだろう。

聞き馴染みがありすぎて何も違和感を持たなかった。


すると男は耳を疑ったように目を丸くした。


「…自分の名前、忘れちゃったの?」


男が探る様に言った問いに首を横に振る。

同名なのだから賢しらを装ってもよかったけど、それによって後々ボロが出て色々疑われるよりはマシと思ったからだ。

男は私の反応を見ると、立て続けに質問を投げる。


「苗字は?保育園の名前は?」


「知らない。…です」


の苗字なら知ってる。保育園は行った事ない。


「お母さんとお父さんの名前は?」


「存じ上げない。…です」


の両親は知らない。自分の母親なら知ってる。父親は知らない。


「僕の名前は…?」


「ごめんなさい…」


それはまじでごめん。多分私あなたのこと知ってるんだけど、全然思い出せない。


「嘘でしょ…」


すると男は私の体の部位を一つずつ観察し始めた。

足、手、服を捲って腹、そして額に手を当てる。まるで子どもの熱を計るように。

蝉の鳴き声や気温から察するに、今の時期は夏。それなのに男の手はひんやりと冷たかった。

ぼんやりとあの時のコンクリートの温度が蘇り、暑いはずなのにぶるりと震えた。


「詛いの類じゃない…となれば単純に記憶が混濁してるのか」


「えっ…」


思わず男の独り言に反応してしまった。

だって、男が言った“詛い”という不吉な語彙は、私にとって聞き馴染みのあるものだったから。


美麗な面、日本人離れした恵まれた体躯、非現実的な能力、そして男の全身に広がる禍々しい黒い痣。


「…お兄さん、名前は?」


男の顔をじっと見つめてそう問う。


聖籠六せいろうりく。君の新しい家族だよ」


男の名前を聞いて全てを理解する。


聖籠六せいろうりく

もとい

初代しょだい三種さんしゅ神祇じんぎ 引力と斥力の神使しんし 龗韑かむい

もとい

【主人公の父親を殺した史上最恐の詛人とこいびと


ようやく思い出した。

目の前にいる超常的な能力を持つ彼は、愛読していた少年漫画【Holy嫉怒しっど】の登場人物だ。

平面でしか見た事のない“聖籠六せいろうりく”という人物キャラクター

次元が全く異なる世界で生きる彼が、今まさに同じ空の下で共に並んで地に足をつけ、私の眼前にいる。

どうちゃらんぽらんな脳みそで考えたって、あり得ないという答えしか出ない。

けれどこれは夢でも私の妄想でもない。

彼も私も、この世界で実体のある生きる人間だ。

となれば答えは一つ。


私は本当に転生してしまったようだ。


散々愛でた末に、嫉妬に狂って自分勝手に見限った憧れの世界に。

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堕ちた先は聖なる糞 大吟ジョー @dai-ginjo-dayo

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