第5話
くじらの声が島中にこだまする。
異変に気付いた島民は沖を見て絶望する。
島で1番の高台、サキハルの研究所と資料庫に人が押し寄せる人。最期を悟り穏やかに過ごす人。廃屋になった教会で祈りを捧げる人。
ノヴァ島に最期が訪れようとしていた。
「...どうしろって....」
リオルの口からは絶望が溢れる。
サキハルは狂ったように笑いながらクジラの群れを迎えようとしている。
「ねえ、サキハルさん!」
ミオは膝下までを海に浸からせたサキハルに向けて叫ぶ。
「なんだーい?」
沖を向いたままサキハルが答える。
「なんで"クジラ"って名前にしたの?」
サキハルは振り返るとイタズラっぽく笑う。
「深海って暗いだろー?"暗い"ところから現れた"白い"巨大生物。略してもじって"くじら"だ!」
答え終わると再び沖を見つめる。
「凄い。惜しいけど正解だ。」
ミオがそう呟く。
「...ミオ?」
ミオはポケットから錆びついたボロボロのネックレスを取り出し、リオルに渡す。
「これっ....リシアの...!」
リオルはネックレスを握ると、ミオの肩を強く揺らす。
「どこで見つけたんだ?」
「...この子が教えてくれたの」
「この子?」
ミオが指差すその先には、くじらがいた。
「....どういうことだ?」
混乱し、頭を抱えるリオル。
「私が聞いたの。そしたら海鳥に聞いてくれて....」
「待てミオ。お前....」
混乱するリオルの脳内を掻き分け、いくつかの記憶が流れ出す。
くじらの声をホイッスル音と呼んでいたのはミオだけだ。
あの日一緒に歌っていた曲。なぜくじらと同じ歌が歌える?
海水に長く浸かっていたはずなのに、なぜ生きている?
「...何者だ?」
ミオは悲しそうにリオルを見つめる。
「私、リオルのこと好きだったよ。人間って捨てたもんじゃ無いなって思えた。」
膝から崩れ落ちたリオルと目線を合わせるべくしゃがみ込む。
「私は、"元人間"だよ。」
第X次世界大戦
人類のテクノロジーは限界を迎え、収拾がつかなくなっていた。
ついに政府が考え出したのは人間の改造。
ランダムに選ばれた当時5歳の子供達は、政府や科学者の手によって改造が進められた。
そして改造が始まり数年。
何人もの子供が死んでいったが、奇跡的に生き残ったミオが手に入れたのは、海中で息ができる力。手放したのは寿命。
改造が成功した何人かの子供は、戦争に駆り出されることになった。
産まれた時から戦争一色の世界。ミオのように戦いたくない者は居なかった。
「嫌だ...戦いたくないよ...」
ミオは監視の眼を盗み研究所を抜け出し、海の底で泣いていた。
冷たい波がミオを包み、近くにいた小さい魚達が逃げていく。
目の前に現れたのは"くじら"だった。
「君は....クジラ?でも色が真っ白だ。」
(くじら?素敵な名前ありがとう!)
「すごい!私、お魚さんと喋れるんだ!」
深海を漂いながら、ミオとくじらは話をした。
「私戦いたくない。あいつらが嫌い」
(じゃあ一緒に行こう!)
くじらの言葉にミオはまた涙を流す。
涙は海水と混ざり合い一体になった。
そうしてミオは、地上を捨てた。
戦争は海にも大きな被害を与えた。
潜水艦や爆弾、あるいはもっと別次元の兵器により、海の平穏は乱され、たくさんの仲間が死んでいった。
地上が静かになり、どれぐらいの年月が経ったのだろう。
ミオはゆっくりだが大人になっていた。
深海は暗く冷たいが、クジラ達との生活は穏やかで温かかった。
そんなある日、不発弾に触れ、仲間数人が死んでしまった。
「私。やっぱり人間が憎い。」
(ミオ...)
「復讐する。」
(駄目!ミオ、行かないで)
悲しそうにホイッスル音を奏で、ミオの行き先を塞ぐくじら。
「絶対戻ってくるから。」
そうまっすぐ答えるミオをくじらは止められなかった。
久しぶりに見た地上は、ミオの予想とは大きく異なっていた。
人間達は戦争を悔い、後世に残すことすら辞め、愚直に生きる場所を探し、見つけ、ひっそりと生きていた。
突然現れたミオに対しても、温かく優しかった。
5歳の頃から研究所で過ごしたミオにとって、人間の温かさに触れるのは初めてだった。
「はじめまして!私リシア!こっちはお兄ちゃんのリオル。よろしくね!」
初めて触れ合った人間の掌の感触温もり全てを、ミオは忘れもしないだろう。
「ノヴァ島での生活は、私が夢見ていたものそのものだった。」
波が荒くなる。クジラの群れはもうすぐそこだ。
「私を少しの間だけど"人間"にしてくれた」
「君は今でもっ....」
ミオの目を見て、リオルは言葉を続けるのを辞めた。
「このクジラは私の親友なの。私を探しに来たみたい。そしてあの群れも...
巻き込んでしまってごめんなさい。」
「ミオ!」
リオルは立ち上がると、海に向かおうとしたミオの腕を掴む。
「リオル?」
「...どうせ俺らはもう死ぬんだろ?なら、側にいてくれないか?」
苦しそうに笑顔をつくるリオル。
「...恨んでる?」
ミオはリオルに向き合うと、ネックレスを2人で包むように両手を繋いだ。
「おかしいよな。そんな気分じゃねえんだ。」
「リシアにも謝っておいてね。」
「あいつは怒るぞ。なんで言ってくれなかったんだって。」
「あはは」
「....なんでそんな辛かったこと、俺たちに言ってくれなかったんだって」
ミオはリオルの本心に気づくと息を呑み、パッと顔を上げてリオルの顔を見る。
泣いていたリオルの表情は穏やかだった。
ミオは、後悔した。そして決断をした。
「....リオル」
波が再び、ノヴァ島を襲った。
凪いだ海。
そこに境界線は無かった。
残ったのはノヴァ島の基盤になった自然由来の小さな小さな島だった。
唯一生き残った男はそこに座り、鼻歌を歌いながら一日中地平線を見ている。
何度も繰り返し歌ったうろ覚えの歌が、あの日一度聴いただけの歌が、どれだけ原型を留めているか知る術はない。
あの時握りしめていたネックレスは、波に攫われてしまった。
彼は待っている。
鼻歌を歌い待っている。
また地平線を歪ませる巨大生物を。
彼の人生に焼き付いた、あの少女を。
クジラの棲む星 みりん @mirin_min
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